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現代の遠州地方については遠江 を参照。
「遠江」の名称と由来
六十余州名所図会 「濱名之湖 堀江舘山寺 引佐 之細江」 古くは「遠淡海国 (とほつあはうみのくに)」と表記された。また飛鳥京 跡苑池遺構から出土した木簡 には「遠水海国 」という表記がされている。「遠淡海」とは都(当時の奈良)から見て遠くにある淡水湖 という意味であり、近江国 の「近淡海(ちかつあはうみ)」の琵琶湖 と対比される。この「遠淡海」に関しては、一般的に浜名湖 を指すとされるが、一方国府 のある磐田湖(大之浦)を指すとする説もある。ただし大之浦は名称の通り浦であり、淡水湖でないことに留意される。(当時の浜名湖は淡水湖であったが、明応 7年(1498年 )に起きた明応地震 やそれに伴う津波により、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分(砂提)が決壊し現在のような汽水湖 となった。)
領域
沿革
前史 神武東征 によって故郷を追われた伊勢津彦 は、一族の神々と共に東方へ逃亡したが、一族の美志印命が神武天皇 朝に素賀国造 に任命されたと『先代旧事本紀 』「国造本紀」に見える。古墳時代 には景行天皇 (倭建命 )の東国巡行に伴って物部氏 一族の者が次々に国造に任命され、次代の成務天皇 朝に印岐美命が遠淡海国造 に、仲哀天皇 朝に印幡足尼が久努国造 に任務された。
それぞれの治所は遠淡海国が磐田郡 、久努国が山名郡 (袋井市 )、素賀国が佐野郡 (掛川市 )とされるが、『先代旧事本紀』には久努直(久努国造家)と佐夜直は同祖としており、素賀国造とは別族であることに留意される。また菊川 流域の城飼郡 には素賀国造の祖神とされる天之菩卑能命 や建比良鳥命 を祀る式内社 や、古墳時代前期から中期の前方後円墳 が存在する。
律令時代 7世紀 に、地方豪族 であった遠淡海国造・久努国造・素賀国造の領域を合併して遠江国が設置された。
国府 所在地は、中世に「見付 」と呼ばれたところで、現在の磐田市 にあった。
東隣の駿河国 との境は大井川 であった。奈良時代 には、大井川 の流路が現在より北を流れていたため、今の栃山川 以南が遠江国に含まれていた。具体的には島田市 の南部・藤枝市 の南部、および焼津市 の南部で合併前の大井川町 である。大井川町の全域は、明治初期まで遠江国榛原郡 であった。
中世後期から近世 「遠江國」(『天保國繪圖』天保 9年)。原図では東が上になっているが、90度右回転させて北を上にして表示している 室町時代 には斯波氏 ・今川氏 が守護に補任される。斯波氏の遠江守護の地位を得たものの、今川氏は遠江回復を図り、同じ足利一門である吉良氏も遠江国内の要地である浜松荘や懸河荘などを支配するなど、不安定な支配が続いた。
戦国時代に元来東の駿河国 に強固な地盤をもつ今川氏が斯波氏・吉良氏を圧倒して領国化した。今川氏が衰えると、甲斐国 の武田氏 と、今川配下から独立した三河国 の徳川家康 による今川領分割が約され、遠江は家康が領するとされた。しかし今川支配を駆逐した両氏はまもなく交戦状態となり、山岳部や丘陵部は侵攻した武田氏が支配し、家康の支配は遠州平野や掛川地方を中心とする平地部に限られた。このため家康は浜松城 を築いて居城を移し武田氏と対峙した。武田軍と徳川軍が交戦した遠江国の地としては、二俣城 ・高天神城 ・三方ヶ原 が有名である。武田軍が伊那地方 から遠江国に入る際には、兵越峠 経由の連絡線が整備された。
安土桃山時代 になると、武田氏滅亡跡に武田領国を確保した家康は関東八カ国 に移転し、代わって遠江国には豊臣系大名が配置され、浜松城に堀尾吉晴 が、掛川城 に山内一豊 が転入する。
江戸時代 になると、吉晴は松江城 に、一豊は高知城 に移転する。代わって、遠江国には浜松藩 と掛川藩 が設置され、譜代大名 が入れ替わりで入った。また、江戸時代には、伊那盆地 や水窪 の木材 が、天竜川 の舟運を利用して遠江国平野部に運搬された。
明治維新以後 明治維新 を迎えると、徳川宗家 が遠江国・駿河国 ・その他に70万石を与えられ静岡藩 とされた。石高が約1/10となる大減封での転封であったために俸禄では生活できない士族 や、大井川の渡船解禁によって失業した川越人足 らは、牧之原台地 に入植し緑茶 畑を造成した。これ以後、小笠山 周辺には、緑茶畑が多く見られる。
廃藩置県 の後、旧静岡藩を引き継いだ静岡県 から遠江国が分離し浜松県 が発足した。しかし、1876年 (明治 9年)8月21日 の県合併で、浜松県は静岡県や足柄県 の一部(伊豆国 )と合併した。この決定に怒った遠江地方民は、何度か遠江国の再分離を明治政府に懇願したが、いずれも却下されて終わった。
1889年 (明治22年)に東海道本線 が開通すると、江戸時代の天竜川の舟運とも重なって、浜松 には綿織物 工場や楽器工場が多く立地するようになった。
第二次大戦後になると、東海道新幹線 や東名高速道路 が建設され、遠江地方は、東海地方における農業と工業の要衝となっている。
近代以降の沿革 浜松市役所周辺(広小路通) 「旧高旧領取調帳 」に記載されている明治 初年時点での国内の支配は以下の通り(1,242村・372,388石余)。太字 は当該郡内に藩庁 が所在。国名のあるものは飛地 領。 榛原郡 (155村・50,198石余) - 幕府領 、旗本領 、掛川藩、相良藩 、三河 挙母藩 、三河西尾藩 、伊勢 長島藩 、丹波 篠山藩 城東郡 (149村・68,905石余) - 幕府領、旗本領、浜松藩、掛川藩、横須賀藩 、相良藩、三河吉田藩 、三河西尾藩、丹波篠山藩 佐野郡 (106村・29,406石余) - 幕府領、旗本領、浜松藩、掛川藩 、横須賀藩 周智郡 (94村・25,086石余) - 幕府領、旗本領、掛川藩、横須賀藩、三河挙母藩 磐田郡 (1村・1,041石余) - 幕府領 山名郡 (116村・39,958石余) - 幕府領、旗本領、掛川藩、横須賀藩、堀江藩、陸奥 白河藩 豊田郡 (277村・55,992石余) - 幕府領、旗本領、浜松藩、掛川藩、堀江藩、陸奥白河藩 長上郡 (129村・30,569石余) - 幕府領、旗本領、浜松藩 敷知郡 (153村・49,827石余) - 幕府領、旗本領、浜松藩 、堀江藩 、三河吉田藩 麁玉郡 (6村・2,233石余) - 幕府領、旗本領、陸奥白河藩 引佐郡 (54村・17,927石余) - 幕府領、旗本領、陸奥白河藩 浜名郡 (2村・1,240石余) - 幕府領 1866年 (慶応 2年)6月19日 - 白河藩が陸奥棚倉藩 に転封 。 1868年 (慶応4年) 1868年(明治 元年) 1869年 (明治2年)8月7日 - 府中藩が静岡藩 に改称。 1871年 (明治4年) 1876年 (明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により静岡県 の管轄となる。 国内の施設
国府 御殿・二之宮遺跡 (遠江国府推定地)
国府 は、『和名抄 』では豊田郡、『拾芥抄 』では磐田郡である。
初期の国府は、木簡や墨書土器が出土したことから、御殿・二之宮遺跡と推定されるが、決定的証拠は出ていない。平安時代には見付に移転したと見られ、仁治3年(1242年 )以後に成立した『東関紀行 』には、「遠江の國府(こふ)今の浦に著きぬ」 とある。 また、鎌倉時代後期以降に成立した『源平盛衰記 』、および建治3年(1277年 )または弘安2年(1279年 )の日記とされる『十六夜日記 』には、「見附 の国府」(みつけのこう)とある。
国分寺・国分尼寺 遠江国分寺跡
国分寺は磐田市中泉にあった。819年 に焼失したが、磐田市見付の参慶山延命院薬師国分寺(本尊:薬師如来)がその法燈を伝承する。
国分尼寺は磐田市国府台本町にあった。
神社 淡海國玉神社
総社:淡海國玉神社 (磐田市見付) - 1789年 の『遠江国風土記伝』によると、磐田郡 向坂郷(匂坂の誤記か)の磐田明神が、国府のある見付に移されて惣社とされたという。 一宮:以下の2説がある。1127年 の史料に「遠江国一宮」とあるが、これは笠原荘一宮の高松神社 を指す。 二宮:以下の2説がある。中世史料に二宮についての記述はない。 三宮以下はない。
守護所 見付の国府の近隣に有り、中世後期には要塞化して見付城や府中城と呼ばれた。
安国寺利生塔 安国寺 -金剛山貞永寺(掛川市大坂、本尊:釈迦如来)が法燈を継承 利生塔は未詳である。
地域
郡
江戸時代の藩 遠江国の藩の一覧 藩名 居城 藩主 浜松藩 浜松城 松平忠頼 :5万石。1601年 - 1609年(刺殺・改易) 水野重央 :2万5千石→3万5千石(徳川頼宣 附家老)。1609年 - 1619年(紀伊新宮藩 3万5千石に移封) 高力忠房 :3万5千石。1619年 - 1638年(肥前島原藩 4万石に移封) 松平乗寿 :3万6千石。1638年 - 1644年(上野館林藩 6万石に移封) 太田家 : 3万5千石→3万2000石。1644年 - 1678年(大坂城代として摂津・和泉周辺に移封) 青山家 :5万石。1678年 - 1702年(丹波亀山藩 5万石に移封) 本庄松平家 :7万石。1702年 - 1729年(三河吉田藩 7万石に移封) 大河内松平家 :7万石。1729年 - 1749年(三河吉田藩7万石に移封) 本庄松平家 :7万石。1749年 - 1758年(丹後宮津藩7万石に移封) 井上家 :6万石。1758年 - 1817年(陸奥棚倉藩 6万石に移封) 水野家 :6万石→7万453石→5万石。1817年 - 1845年(出羽山形藩 5万石に移封) 井上家 :6万石。1845年 - 1868年(上総鶴舞藩 6万石に移封) 徳川家達 領:1868年 - 1871年 掛川藩 掛川城 久松松平家 :3万石。1601年 - 1617年(伊勢桑名藩 11万石に移封) 安藤直次 :2万8千石(徳川頼宣 附家老)。1617年 - 1619年(紀伊田辺藩 3万8千石に移封) 松平定綱 :3万石。1619年 - 1623年(山城淀藩 3万5千石に移封) 朝倉宣正 :2万6千石(徳川忠長 附家老)。1623年 - 1632年(忠長に連座・甲斐駅) 青山幸成 :2万6000石→3万3000石。1633年 - 1635年(摂津尼崎藩 5万石に移封) 桜井松平家 :4万石。1635年 - 1639年(信濃飯山藩 4万石に移封) 本多忠義 :7万石。1639年 - 1644年(越後国村上藩10万石に移封) 松平忠晴 :2万5000石。1644年 - 1648年(丹波亀山藩 3万8千石に移封) 北条氏重 :3万石。1648年 - 1658年(無嗣改易) 井伊家 :3万5000石。1658年 - 1705年(越後与板藩 2万石に移封) 松平忠喬 :4万石。1705年 - 1711年(摂津尼崎藩 4万8千石に移封) 小笠原家 :6万石。1711年 - 1746年(陸奥棚倉藩 6万5千石へ移封) 太田家 :5万石。1746年 - 1868年(上総松尾藩 に移封) 徳川家達 領:1868年 - 1871年 横須賀藩 横須賀城 大須賀家:6万石。1601年 - 1615年(館林藩 の家督を継ぐため廃藩) 天領 :1615年 - 1619年 能見松平家 :2万6千石。1619年 - 1621年(出羽上山藩 4万石に移封) 井上家 :5万2千石。1621年 - 1645年(常陸笠間藩 5万4500石に移封) 本多利長 :5万石。1645年 - 1682年(改易) 西尾家:2万5千石→3万5千石。1682年 - 1869年(安房花房藩 3万5千石に移封) 相良藩 相良陣屋 本多家 :1万5千石。1710年 - 1746年(陸奥泉藩 1万5千石に移封) 板倉勝清 :1万5千石→2万石。1746年 - 1749年(上野安中藩 2万石に移封) 本多忠央 :1万石。1749年 - 1758年(金森氏 に連座・改易) 田沼家 :1万石→1万5千石→2万石→2万5千石→3万石→4万7千石→5万7千石→3万7千石。1758年 - 1787年(下村1万石に移封) 天領 :1787年 - 1823年 田沼家:1万石。1823年 - 1868年(上総小久保藩 1万1270石に移封) 井伊谷藩 井伊谷陣屋 近藤秀用 :万5千石→1万7千石。1619年 - 1630年頃(領地を分配したため旗本に) 掛塚藩 掛塚陣屋 加賀爪家:1万1500石→1万石→1万3000石。1641年 - 1681年(改易) 遠江久野藩 久野陣屋 松下重綱 :1万6千石。1600年 - 1603年(常陸小張に移封) 北条氏重 :1万石。1619年 - 1640年(下総関宿藩 2万石に移封)
人物
国司 遠江守 定員:1名。官位相当:従五位下 ※日付=旧暦
守護 鎌倉幕府 室町幕府 1336年~1338年 - 今川範国 1339年~1343年 - 仁木義長 1346年 - 千葉貞胤 1351年~? - 仁木義長 1352年 - 今川範氏 1352年~1365年 - 今川範国 1379年~1384年 - 今川範国 1384年~1388年 - 今川貞世 1388年~1399年 - 今川仲秋 1395年~1399年 - 今川貞世 1400年~1401年 - 今川泰範 1405年~1407年 - 斯波義重 1407年~1413年 - 今川泰範 1419年~1433年 - 斯波義淳 1433年~1436年 - 斯波義郷 1436年~1452年 - 斯波義健 1452年~1460年 - 斯波義敏 1460年~1461年 - 斯波氏 1461年~1466年 - 斯波義廉 1466年 - 斯波義敏 1466年~1470年 - 斯波義廉 1491年~1501年 - 斯波義良 1508年~1526年 - 今川氏親 1526年~1536年 - 今川氏輝 1536年~1560年 - 今川義元 1560年~1569年 - 今川氏真 戦国時代 戦国大名 豊臣政権の大名 武家官位としての遠江守 江戸時代以前 会津蘆名氏 蘆名盛員 :第6代当主。鎌倉時代末期の武将 蘆名直盛 :第7代当主。南北朝時代・室町時代前期の武将 蘆名詮盛 :第8代当主。室町時代前・中期の武将 蘆名盛詮 :第12代当主。室町時代中期の武将 蘆名盛滋 :第14代当主。戦国時代の武将・戦国大名 蘆名盛舜 :第15代当主。戦国時代の武将・戦国大名 その他 江戸時代 脚注 参考文献 関連項目 ウィキメディア・コモンズには、
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