美浦トレーニングセンター: 茨城県稲敷郡美浦村にある日本中央競馬会(JRA)の施設

美浦トレーニングセンター(みほトレーニングセンター)は、茨城県稲敷郡美浦村にある日本中央競馬会(JRA)の施設(トレーニングセンター)である。

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美浦トレーニングセンター: 概要, 開場まで, 歴史
上空より
美浦トレーニングセンター: 概要, 開場まで, 歴史
見学用フロアから南追馬場を望む。
地図

中央競馬東日本地区における調教拠点である。略称は「美浦」「美浦トレセン」「美浦TC」など。

概要

美浦トレーニングセンター: 概要, 開場まで, 歴史 
2009年撮影

美浦トレセンは競走馬の鍛練・調教を目的に設置されているトレーニングセンターとしては中央競馬地方競馬を問わず日本国内で最大の規模の施設であり、厩舎区画は2600頭以上の競走馬を収容可能である。調教コースは6つのトラックが設置されており、2000mのウッドチップコースや障害用の調教コースがある(かつては北馬場に障害用の調教コースがあった)。さらに場内には坂路コース、脚元の弱い馬のためのスイミング・プールや水中歩行訓練装置、馬のクールダウンやリラックスのための逍遥馬道、海外レースに出走する競走馬が入る検疫厩舎、競走馬に総合的な医療行為を行える診療所なども設置されている。この種の施設としては、その規模・設備は世界的に見てもトップクラスの水準にあるとされる。

このような大規模な施設が建設された背景として、トレーニングセンター建設当時は同時期に進行していた新東京国際空港の建設に対して大規模な反対運動が生じており、代執行では多数の死傷者を出したような世相であり、中山競馬場においても地権者会とJRAの間で深刻なトラブルが生じていたことから、「万が一の事態」が生じたときには美浦で競馬を開催することを企図していたことがあるといわれる。

また、敷地内には競走馬のトレーニングのための施設だけではなく、競馬関係者とその家族の生活空間も設置されており、トレーニングセンターで人馬を集約管理するシステムが形成されている。競走の公正確保や防疫という観点から、厩舎やコースがある区域への入口には入退場のゲートが設置されチェックがなされており、許可を持たない部外者の業務区画への立ち入りは常時厳しく制限されている。業務区域に一般的な競馬ファンが入場できる機会は、定期的に企画される施設見学のツアーや、大レース前に開催される公開調教などのイベント企画などに限定されている。

敷地内には、厩務員宿舎・騎手宿舎・独身寮・職員宿舎など、競馬関係者の生活のための施設が設置されている。当施設に所属・在籍の厩舍関係者・騎手・JRA職員などとその家族の約5000人が暮らしており、これは美浦村の人口の約3割を占める。近隣に自宅を構え通勤している競馬関係者も少なくない。トレセン所在の美浦村美駒地内には馬具専門店、ショッピングセンター簡易郵便局診療所などが設置されており、競馬関係者やその家族の日常生活の大半をトレセン及び周辺地域だけで済ませられるシステムが構築されている。

直接の中央競馬関係者の他、周辺地域に数多く存在する競走馬の育成・休養を目的とした牧場の関係者、その他競馬新聞スポーツ新聞などの競馬マスコミ馬匹輸送飼料販売などといった競馬関連産業に従事する者、トレセン内部・周辺の店舗の従業員などまでも含めれば、競馬の存在によって生計を立て暮らす者とその家族はトレーニングセンター・美浦村とその周辺地域で合わせて数万人にも及ぶとされ、美浦トレセンを頂点とした一種の「競馬村」とでもいうべき様相を呈している。

なお、敷地の大部分は美浦村に存在するが、敷地内に稲敷市江戸崎の突出部が存在することから南馬場の一部とその西側に位置する厩舎のうち数棟は稲敷市に所在し、厩舎の中には市境をまたいで建っているものもある。

開場まで

1970年代までは関東地区の厩舎に所属する馬(俗に関東馬と呼ばれる)の調教については東京中山の2つの競馬場と白井の拡張厩舎街(当時は中山競馬場白井分場。現在の競馬学校の所在地)を中心に実施されてきた。

しかし、調教に必要なコース本数が充分確保されておらず、馬場を保護するためにコースの内外を区分して調教するなど難しいやりくりなどを強いられた。また、東京、中山いずれも周辺地域の宅地化が進展しており、競馬場周辺の環境問題にも対応する必要が出てきた。

そこで検討されていたのは、休養馬の保養所および若駒の育成調教場として、東京西郊に東京競馬場の分厩舎を新設するという構想であった。1959年にはその候補地として東京都八王子市片倉町が選定されるなど進展を見せるも、1965年多摩ニュータウン計画の発表で地価が高騰するなどの影響を受けて十分な敷地の確保が難しくなり、分厩舎構想は断念された。また、中山競馬場の白井分場も1960年代の千葉県による千葉ニュータウン計画構想が浮上したことで、移転の必要性が増していた。

1961年(昭和36年)にトレーニングセンター構想と厩舎群の競馬場からの移転計画が具体化した。

1967年(昭和42年)には最終候補地として、茨城県稲敷郡美浦村、神奈川県横浜市港北区(現:緑区長津田地区、神奈川県厚木市棚沢地区の3ヵ所を選定。

このうち美浦村では、前年に新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設地が千葉県成田市三里塚地区に決定されて空港誘致を逃しており、村長の糸賀喜一がトレーニングセンターの誘致に乗り出して大口地権者の協力を得るなどの積極的な働きかけを行った。村からは誘致陳情書が提出され、また地元茨城3区選出の衆院議員農林大臣も務めた赤城宗徳の尽力もあり、翌1968年(昭和43年)4月、正式に美浦村が関東地区のトレーニングセンター候補地として選出された。同年中に調印も行われ、用地買収が開始された。

しかし、多くの地主から退去に伴う代替地の要求が発生したこともあって用地買収の完了には約4年を要し、1972年(昭和47年)9月にようやく敷地の造成工事に着手した。栗東トレーニングセンターが開場した後のことであった。その後も第1次オイルショックの影響などで工事は難航したが、1977年(昭和52年)12月に全ての建設工事が完了した。設計は三橋建築設計事務所

歴史

  • 1978年昭和53年):4月10日に開場し、両競馬場の厩舎群および多くの競馬関係者とその家族を当地に集約移転させた。
  • 1993年平成5年):10月南コース側の一角に坂路コースが完成。
  • 2004年(平成16年):坂路コースの改修と拡張が行われた。
  • 2007年(平成19年):11月16日ニューポリトラックによる調教コースを導入。南馬場Cコースの外柵(ラチ)側を約5メートル拡張し、幅員25メートルの外側15メートル部分に設置する工事が行われた。総工費は材料費を含め約9億円になった。
  • 2008年(平成20年):開設30周年を迎え、その祝賀会が4月21日にトレーニングセンター内の厚生会館で行われた。
  • 2018年(平成30年):2月、JRAは美浦トレセンの大規模改造に着手することで合意した。
  • 2023年令和5年):坂路コースの改修が完了し、従前の18mから15m延長された33mの新坂路コースとして10月に本運用を開始した。

美浦トレセンと関東馬の長期低迷

1988年以降、美浦トレーニングセンターの所属馬(関東馬)は栗東トレーニングセンターの所属馬(関西馬)に勝利数と獲得賞金額の両面で大きく水を開けられた。この状況を天気予報(気圧配置)に使われる言葉になぞらえて「西高東低」と言われることがある。

「坂路コース」問題

関東馬低迷の最大の要因として「坂路コース」問題が挙げられる。

1985年に栗東トレーニングセンターに坂路コースが設置された。調教ノウハウの確立と共に、坂路で鍛えられた関西馬たちが東京・中山など東日本開催の競馬で活躍したことで、坂路コースが競走馬の強化に効果があると言われるようになった。そのため、美浦の厩舎関係者もその効果を求め、坂路コース設置を要望し始めた。しかし、美浦トレセンは関東平野東部のほとんど平坦な土地に立地していたこともあり、そのまま坂路コースを設置できるような自然の丘や地形がなかった。また、開場から10年超を経て敷地内や周辺地の利用・開発が進められており、ほぼ直線の坂路コースを設置する空間もなかった。大規模な工事が必要になることから、JRAはこの要望について「検討中」としながらも、実際には消極的な姿勢を数年間に渡って取り続けた。当時は折しもオグリキャップと当時台頭した武豊に牽引された中央競馬ブームの真っ只中であり、JRAにとっては座していても売り上げが伸びてゆく時代であった。

しかし1990年代に入り、美浦所属馬の不振が競馬マスコミやスポーツ新聞などにより幾度となくクローズアップされる様になると、その原因として栗東にしかない坂路コースが象徴的存在となった。

1993年に南コース側の一角に坂路コースが完成し、2004年には坂路コースの改修と拡張が行われた。しかし、栗東の坂路コースと比べれば勾配の規模が小さいのは相変わらずで、民間の大手牧場や育成牧場が設置した坂路コースにも美浦トレセンの坂路コースを大きく凌駕する規模のものが現れている。

坂路コースは主に競走馬の足腰に筋肉とパワーを付けさせる目的で用いられることが多いが、実際、パワーが重要視されるダート戦における東西の不均衡の差は著しく、たとえば2010年・2011年にJRAで開催されたダート重賞全17戦の優勝馬の東西の比率を見ると、いずれも美浦所属馬1勝に対して栗東所属馬16勝という状態であり、特にJRA所属馬の出走頭数が限られる地方競馬開催のダートグレード競走では、層が厚く獲得賞金順でも上位に立つ栗東所属馬の前に美浦所属馬が悉く除外対象となり出走できない状況も多々見られる。この様に、ダート戦線においては上位クラスになるほど栗東トレセンの優位性が際立つ状況になっている。

この様に、坂路コースは設置されたとはいえ、設置までの8年もの時間差とコース規模の差が美浦と栗東の格差を固定化させたと指摘する競馬関係者や競馬マスコミは多く、20年以上も水をあけられたままの結果となっている。しかし、美浦トレセンの坂路のさらなる拡張や勾配の拡大といった手法は、土地利用面の問題から限界で事実上不可能であるともされる。

立地条件

栗東に比べると当施設は交通アクセスが不便であるとも指摘されている。美浦は鉄道駅まで距離があり、2007年に首都圏中央連絡自動車道阿見東ICが開通するまでは高速道路への接続も悪かった。また美浦から阪神競馬場小倉競馬場へ行くのは不便であり、特に小倉への移動には19時間を要する。府中東京競馬場に行くのでさえ、首都高速道路中央環状新宿線が開通するまでは東京の都心部の慢性的に激しい交通渋滞の通過を余儀なくされていた。一方、栗東から東京競馬場(府中)や新潟に行くのは便利で、遠方の福島への輸送でも新潟から磐越自動車道経由で行けば首都圏を通過する必要がない。

上水道の水質

美浦トレーニングセンターで飲料用にも使用されている上水道は近隣の霞ヶ浦を水源としているが、「水が悪い」と言われている。関西馬や地方競馬所属馬が美浦に滞在したり転厩してきた際に、馬に水を飲ませるのに苦労するケースがあると言われている[要出典]

新陳代謝の面でも影響があるため、競走馬の飲料用水用として浄水器を設置している厩舎が多く存在する。

その他の要因

栗東所属馬と美浦所属馬の成績に差があることが関係者やファンに知れ渡った結果、近年では有力馬主が美浦よりも栗東に良い馬を預ける傾向も見られ、さらに格差を広げる要因になっているとの指摘もある。

また現場でレースに携わる当事者の声として、小島太は騎手時代に著した『競馬八方破れ言いたい放題』の中で、「関西のレースが流れが激しいことも(関西馬が強い)理由だと思う」という記述をしている。スタート直後に誰かが行くとすんなりと隊列が定まって流れが落ち着く関東の競馬に対し、関西の競馬や裏開催(小島は騎乗機会を求めて中堅以下の栗東所属の騎手が新潟競馬場福島競馬場などに来る場合を指している)では、スタートしてからがむしゃらに主導権を握ろうとする為に流れがなかなか定まらず、レースの流れも厳しいと指摘し、それに揉まれて関西馬も強くなっているというのではないかと小島は分析していた。

関東馬の「栗東留学」

「栗東留学」とは「京都阪神の競走への出走のための事前調整」という理由を用いて、管理馬を実際のレースよりも数週間前から栗東トレセンに輸送・滞在させ、一定期間栗東トレセンの坂路などの施設で鍛錬を積ませる強化育成の手法である。2000年代以降、スポーツ新聞等で「栗東留学」という言葉が用いられている。

初期の例として、2002年国枝栄がソルティビッドを阪神ジュベナイルフィリーズへの出走を利用して、栗東トレセンに事前入厩させたことが挙げられる。その後も栗東へ事前入厩した関東馬が好走・勝利する状況が散見される様になり、要因として「栗東トレセンでのトレーニングの効果」を指摘するというパターンが見られる様になったことで、「栗東留学」などの表現が定着していった。

2007年NHKマイルカップを優勝した関東馬ピンクカメオの勝因について、国枝栄厩舍陣営は「前走の桜花賞の前に栗東トレセンに滞在して栗東の施設で調教が行えたこと」を最大の要因として挙げており、2008年秋華賞で1着3着を占めて大波乱を巻き起こした小島茂之厩舎陣営も、全く同様にレース前に馬を栗東トレセンに送り込んで調教を積めたことを勝因に挙げている。

2009年においても、関東馬のGI優勝は年間4頭であるが、その内の3頭がレース前から事前に栗東トレセンに滞在し、その坂路でトレーニングを行うという調整課程を経ての勝利であった。

2010年には国枝栄厩舎所属のアパパネが関東馬として桜花賞を4年ぶりに制したが、国枝の「関西馬に勝つためには関西馬になり切ればいい」という育成方針から、関西圏での出走の度に栗東への事前入厩と数週間の滞在を繰り返しており、栗東留学の先駆者である国枝が作り出した栗東留学の申し子とも言える。

重賞競走に出走するような有力馬以外でも「京都・阪神での出走」を名目に馬を栗東に一定期間滞在させてトレーニングを積ませる厩舍も現れており、美浦所属の厩舎群の低迷からの脱出の鍵として「いかに栗東の坂路を利用して関東馬を鍛えるか」が話題・トピックになるという、もはや美浦トレセンの存在意義にも関わる一面すら窺える現状になった。しかし、「栗東留学」を実践している調教師に対しては「美浦トレセンの価値を自ら貶めている」という冷ややかな見方も存在する。

「栗東留学」の逆に当たる「美浦留学」という言葉が全くないわけではなく、森秀行のように馬に良かれと判断すれば所属馬を積極的に美浦に滞在させる調教師も一部に存在するが、「栗東留学」に比べればごく少数である。

美浦の調教施設の設備全般について、栗東と比較して劣っていると感じる美浦の厩舎関係者は多く、国枝栄は「美浦トレセンの坂路の質を栗東トレセンと同等の水準のものに引き上げるべき」と主張していた。

なお、関東馬を栗東に滞在させるという事自体は、古くは1970年に桜花賞馬のタマミがクイーンカップに勝利した後から桜花賞終了まで栗東に滞在した例がある。この時、厩務員蛯名幸作もタマミの状態を見るために一緒に滞在していた。

「不良資産」化

「栗東留学」効果などで、近年は西日本の競馬場の重賞・特別競走での関東馬の健闘も見られる様になるなど、一部で改善の兆しが見えてきているが、栗東トレーニングセンターに対しては劣勢である。

馬主が、美浦の厩舎でデビューさせた後、当初の期待以上の能力を見せた馬について「馬主都合」という理由で栗東の厩舎へと転厩させるケースもある。また、特に愛馬会法人において、期待馬を栗東の厩舎中心に預託しているといわれる。愛馬会法人の所有馬に出資している「一口馬主」の中には、自身が出資した馬が美浦の厩舎所属となった、あるいは転厩となったことで愛馬会法人に対して不満を抱き手を引く者さえ見られる。

そういった状況の中で、関東圏の2-3歳戦においてオープン・重賞競走の出走枠の多くを関西馬が占めるシーズンも見られる。中には関西馬なのに3歳春シーズンまで関東圏でしか出走したことが無い馬もいる。もっとも顕著な例としては2006年春季の牡馬クラシック路線があり、関東馬は上位クラスに有力馬がおらず、日本ダービーにおいても、出走馬18頭中の関東馬は8番人気のジャリスコライトただ1頭のみという状況であった。

また、栗東トレセンのリーディング上中位の厩舎にあっては、有力な大手馬主や愛馬会法人などを中心に限られた馬房や空き預託枠を巡って争奪戦が繰り広げられることも起きている。その中では厩舎側が受ける預託希望や出走依頼が飽和状態となり、下級条件馬や未勝利馬では「馬房が回ってこない」、つまり、所属厩舎の馬房使用状況の都合で栗東トレセンに入厩させられず、出走することができないというケースもしばしば発生し、この様な下級馬を放出することもあった。この様な馬を美浦の厩舎が中途引き受けして出走させるケースも見られる様になった。その為、馬主・愛馬会法人の中には、美浦トレセンへ所有馬を入厩させる理由として、「馬の具合がいい時にスムーズに入退厩ができる」を挙げる者もいる。

オープン馬であっても、屈腱炎喘鳴症など体調面で慢性的な問題を抱えて成績不振にあえぐ馬は、栗東では放出対象にされることが多く、その後について美浦の厩舎が引き受けて復活を試みることは珍しいものではない。

この様な相対的な競走馬のレベル低下・成績低迷・確保難により、関西馬に関東圏の上位クラスの競走で劣勢となっている状況下で、東西間の厩舎関係者や騎手の収入格差も見られている。勝利数の差は一時期よりも改善されてはきたものの、重賞レースでは関西馬が優勢であり、獲得賞金の差が生じている。また、競馬界全体の問題として、馬主数減少や預託料滞納などの問題があるが、獲得賞金の低迷に苦しむ美浦トレセン所属厩舍の経営にとってはより大きな打撃となっている。また、管理馬の数や馬主とのコネクションの確保・維持をできず、管理馬数が割り当てられた馬房の数さえ下回ってしまう「空き馬房」の発生に悩む調教師もいる。

この様な状況のなかで、美浦トレセンでは70歳の定年まで厩舎を維持することができず、割り当てられた馬房を自主返上したり、調教師免許を自主返上したり、資産面の問題などから厩舍を解散したりするなど、調教師の厩舎経営の縮小や廃業が相次いでいる。

この流れは2004年2月に佐藤征助が65歳で厩舎を解散し「勇退」したことに始まり、2006年には富田一幸が50歳で、2008年には笹倉武久、内藤一雄が共に定年まで8年を残した62歳で免許を返上、さらに2009年2月には中野隆良など50代から60代の定年前の調教師が5名も免許更新せずに「勇退」、5月には斎藤宏が免許取得から僅か10年で「勇退」という状況になった。その後も同様の「調教師勇退」が散発的に発生している。

これら調教師の「勇退」の事情には、経済的なものだけとは言い切れないものもあるが、名目上の理由は「健康上の都合」であっても内実としては「成績不振を原因とした事実上の経営破綻による廃業」「調教師免許の更新ができずに廃業」という内実である事を複数の競馬マスコミ関係者が事実上のこととして認めていたり、遠回しの表現であっても暗に示唆しているケースが存在している。また岩城博俊の様に、比較的早い段階で厩舍経営を諦めた調教師が厩舍を解散して他の厩舍のスタッフとして再起を試みるというケースすら見られる様になった(ただし実際には調教師会・厩務員組合の猛烈な反発を受け、再起は限りなく困難な状況である)。

2010年には、上述した2009年の調教師の「勇退」続出なども要因の1つとなって、美浦における厩舎経営の不安定さが露呈した事をきっかけに、従来は厩舎の開業資金や運転資金の融資を担ってきた大手金融機関から美浦所属の調教師への融資を渋ったりあるいは融資を引き上げるケースがあり、成績不振・資金難で「勇退」という選択肢を考えている少なからぬ調教師たちを、これ以上のトレセン・厩舎群へのイメージ低下や空き馬房の大量発生を防ぐべく、JRAも馬房返上による厩舎の縮小経営を認めるなどして引き留めている実情があるとも報じられている。しかし、その後の2011年にも実に9名もの美浦トレセン所属の調教師が定年前に厩舎解散を決断して「勇退」している。

また、現在の美浦トレセンで発生している、システムで自動的に割り当てるべき調教師が存在しない馬房が数多く存在している「空き馬房問題」についても、2009年以降は調教師の馬房自主返上や「勇退」の続出、調教師の死去による厩舎解散などにより深刻なものとなっている。調教師は割り当てられた馬房数に応じて規定された人数の厩務員を雇用しなければならない規則である為、管理馬房の空きはそのまま余計な人件費に直結する。JRAにとっても管理する厩舎の無い「空き馬房」の発生は厩務員の所属・雇用の問題にそのまま直結し、厩務員春闘などにも悪影響を及ぼしかねないものである。この「空き馬房問題」は発生する都度にJRAが事態収拾に追われることになっている。

これらの結果、厩舎経営にも優勝劣敗の法則を導入してトレセンの活性化を促すという発想で2004年に導入した「メリットシステム」については、美浦トレセンでは成績優秀調教師に対して加増する馬房について、調教師の定年・勇退による厩舎解散や自主的な返上で発生した返還馬房を原資とするシステムへの変更を迫られ、成績下位者からの馬房削減は当面の間は見合わせるなど、大幅な方向修正を余儀なくされている。

美浦所属厩舎群の低迷により、調教師に若い人材を育成できる経済的な余裕が無く、自厩舎に縁故の無い騎手候補生・見習騎手について、所属厩舍の決定を巡って難航する事がある。引受先が決まった場合でも、栗東に比べ有力馬・管理馬が少ない事等から、満足に騎乗実績を得る事が出来ぬまま低迷するというケースが少なくない。競馬学校第16・17期卒業の2世代で美浦に所属した者からは、デビュー後10年内に平地重賞を勝利した騎手がいない。また、平地競走の乗鞍を確保出来ず、障害競走に活動の比重を移す騎手が増えた。管理馬不足や経済的事情などで、調教師が若手騎手の「師匠」「身元引受人」としての役割を果たす事ができない事例も見られ、見習騎手として実績の伴わない内に「フリー騎手」として競馬サークルに放り出される者も見られる。

また、騎手と同じく競馬学校で養成される厩務員についても、候補生の出身地の比率は東西でおおよそ半々であるが、不振の美浦トレセンを忌避して栗東トレセンの厩舎への配属を希望する者が多い。結果として、栗東トレセンは厩務員が常時定数一杯の状況となり、栗東配属の希望者は必要な技量を満たしている者であっても入学自体を待たざるを得ない場合や、養成修了後も実際に配属されるまでに長期間待機せざるを得ない例があり、逆に数少ない美浦配属の志望者の中には、就労の年齢制限の都合からやむなく栗東から美浦へと志望先の変更を余儀なくされた様な者もいる。他方では、栗東の厩舎関係者との縁故などを利用して、美浦から栗東へと本拠地を移す、あるいは本拠地移動の可能性を模索する競馬関係者も現れている。

  • 例として、田嶋翔はデビュー当初は美浦所属であったが、栗東所属の小島貞博の娘婿となった事を契機に栗東に移籍している。また、西日本の地方競馬からの移籍者で当初は美浦に所属した安藤光彰柴山雄一鷹野宏史も後に本拠地を栗東に変更している。なお、安藤は所属地の選択の理由を家事都合としており、具体的には当初の美浦所属の理由を息子の洋一大井見習騎手をしていたため、その後の栗東所属の理由については高齢になった家族の世話と岐阜県の自宅に近いためという理由を付けている。近年では成績が低迷していた国分優作水口優也平沢健治長岡禎仁小野寺祐太のように栗東に一時滞在したことがきっかけとなり、その後正式に栗東に移籍するケースも散見される。
  • 藤田菜七子も2021年には落馬負傷の影響で成績が低迷しつつあり、翌2022年3月から一時的に栗東へ滞在し、この時点でJRA所属現役女性騎手4人すべてが栗東を活動拠点とすることになった。藤田は当初は5月末までの滞在予定であったが、さらに1か月延長して栗東に滞在を続けた。さらに翌年1月中旬からは藤田の兄弟子である野中悠太郎が栗東に滞在した(その後、藤田、野中は美浦拠点に戻っている)。このように美浦所属の若手騎手の栗東への滞在も継続的に見られる。
  • このほか、正式な所属は美浦としながらも事実上栗東へ拠点を移動させた騎手もおり、例として大崎昭一(現役晩年は栗東へ正式に移籍)、吉田隼人横山典弘、西塚洸二などが挙げられる。
  • その反面、栗東から美浦に拠点を移した者もいる。2008年3月に栗東でデビューした大江原圭は、当初の1年間は騎乗機会および騎乗馬の質に恵まれずに未勝利に終わり、翌2009年3月に父の隆伯父の哲が籍を置く美浦に移籍し、以降の9ヶ月間で4勝を挙げている。上野翔もデビュー時からしばらくは栗東所属であったが、騎乗数が減少したことから韓国での短期騎乗ののち、関東で障害戦を中心に騎乗を開始し、2014年に正式に美浦に移籍している。外国人騎手のミルコ・デムーロも正式には栗東所属であるが、2020年1月以降は事実上美浦を拠点に騎乗している。

この様に、人材の西へという流れも起きているが、実際には厩舎制度や労働組合などの関係もあって東西トレセン間の枠を超える移籍は概して困難であり、美浦ではトレセンそのものの先が見えない状況に嫌気を覚えて比較的若い年齢でJRAそのものに見切りをつけて離職する厩舎スタッフも少なくない。

美浦トレセンで厩舎を新規開業する新人調教師もその煽りを受けている。かつては、毎年2月に調教師免許試験の合格発表があり、調教師免許の交付を受けた後まずは技術調教師として1年間の研修の時間が与えられ、その間に他の調教師の下で厩舎経営のノウハウを学習したり、馬主や生産牧場を巡って人脈を作り管理馬の確保など厩舎の開業準備を図るのが通例であった。しかし、調教師の定年前の「勇退」と厩舎解散が発生すると、JRAの厩舎制度上、解散した厩舎に所属していた馬房と厩務員は他の調教師が一時的に引き受けなければならなくなり、引き受ける側にとってもこれは大きな経済的負担となる。そのため、現状ではその期間の短縮の役目を新人調教師が背負わされる格好になっており、調教師免許取得後にまず技術調教師として1年間厩舎経営を勉強するという従来のプロセスが成り立たなくなり、調教師免許試験の合格発表は毎年12月に繰り上げられ、合格後は翌年3月の調教師免許交付・発効までの実質3か月弱で厩舎開業の準備を全て済ませなければならなくなってしまった。そのため、調教師試験に合格した者は、騎手や調教助手・厩務員の業務をこなしつつ、馬産地巡りや関係各所への挨拶回りをしなければならず、栗東トレセンと比べて馬を集めにくい条件下で厩舎の開業準備を全て済ませなければならないなど、厳しい状態になっている。

競馬ファンや競馬マスコミの間でも、関東馬が特に高額賞金の特別競走・重賞競走で実績に劣ることは知られている。トレーニングセンター間の序列としても「栗東の下の美浦」というイメージが固定化しており、栗東と美浦を比較して、プロ野球における「一軍と二軍」の関係に例えられることもある。また実際、関東圏の予想家・競馬ファンの間では関西馬であることが馬券検討の際に重要な購入ファクターとなっている。

このような状況を、野元賢一が「今や美浦は、不良資産化の道を突き進もうとしている」、東京スポーツの記者が「“関西の下請け化”」と酷評している。

2012年9月から、平地未勝利戦・古馬500万条件(現・1勝クラス)戦において関東・関西それぞれのブロックの所属馬を優先的に出走させる「自ブロック優先制度」を開始した。これにより、当該条件の関西馬はフルゲート割れしない限り関東のレースに出走できなくなったため、美浦所属馬の勝つチャンスが増えることが期待された。ただしこの制度については「世界を相手にしなければいけない時代に、狭い日本でなんでこんな規制をかけるのか」との批判もあるほか、美浦の調教師からも「関東で出馬ラッシュになったときの逃げ場がなくなる」「小倉開催時に遠征させる馬がいなくなる」などといった問題の声が上がっている。

大規模改造へ

2018年2月、JRAは美浦トレセンの大規模改造に着手することになった。関東の馬主代表、調教師会役員を集めて説明会を開催し、3者間で基本合意した。

美浦と栗東の格差是正のため、まずは施設面の同等化が必要という考えから、JRAが提示した案として、

  1. 坂路馬場の距離を延ばし、高低差も栗東と同程度にする。
  2. 北馬場を閉鎖し新築中の厩舎地区に充て、障害コースは南馬場に移す。
  3. ウッドチップコースの調教を、左回りも可能にする。

以上調教コースの改造の3点となり、同年9月12日にJRAは美浦トレセンの大規模改造の具体案を説明した。

その後、2019年9月にウッドチップコースの改修工事が終了し、1周1600mのBコースから2000mのDコースに移された。改修工事により、左右両回りで調教可能となった。

新坂路コースは18m地下から掘り下げて、より大きな高低差がつくコースにする。新坂路コースは2023年10月4日に運用を開始した。2021年11月には南馬場の調教スタンドが改築されている。新坂路コース完成となる2023年10月に北馬場は閉鎖となる。

北馬場閉鎖後は、跡地に新たに厩舎40棟を設ける他、競走馬診療所も新築移転する。最終的な完成は、2023年現在は「2028 - 30年頃」としているが、明確な時期は定まっていないという。

主な厩舎および活躍馬

厩舎 活躍馬
加藤征弘 シャドウゲイトノンコノユメ
木村哲也 ステルヴィオジオグリフイクイノックスレガレイラ
和田正一郎 オジュウチョウサン
久保田貴士 マリアライト
小野次郎 コーリンベリー
高木登 スノードラゴンホワイトフーガサウンドトゥルーニシノデイジーウシュバテソーロ
加藤和宏 ハナズゴール
小笠倫弘 ビッグロマンス
古賀慎明 サンテミリオン
堀宣行 キンシャサノキセキジャガーメイルリアルインパクトストロングリターン

ドゥラメンテモーリスサトノクラウンネオリアリズムサリオスカフェファラオタスティエーラ

小島茂之 ブラックエンブレムクィーンスプマンテ
国枝栄 ピンクカメオブラックホークマツリダゴッホマイネルキッツアパパネ

ダノンプラチナアーモンドアイアカイトリノムスメサークルオブライフステレンボッシュ

上原博之 ダイワメジャーセイウンコウセイ
勢司和浩 スマイルトゥモロー
杉浦宏昭 テレグノシスショウワモダン
手塚貴久 グレイスティアラゴスホークケンアルフレードアユサンアジアエクスプレス

フィエールマンシュネルマイスターユーバーレーベンウインマリリンソールオリエンス

宗像義忠 ナランフレグ
高柳瑞樹 スターズオンアース 
菊沢隆徳 アエロリット
武井亮 リエノテソーロ
尾関知人 レッドファルクスグローリーヴェイズドゥレッツァ
中川公成 ゴールドアクター
田村康仁 メジャーエンブレムアスクビクターモア
斎藤誠 ヌーヴォレコルトクラリティスカイ
畠山吉宏 マイネルホウオウウインブライト
田中剛 マジェスティバイオマイネルネオスロゴタイプシャンパンカラー
鹿戸雄一 スクリーンヒーローエフフォーリア
戸田博文 キストゥヘヴンフェノーメノ
奥平雅士 コイウタ
相沢郁 ウメノファイバー
土田稔 タイキシャーロック
萩原清 ロジユニヴァースオーブルチェフルヴァンスレーヴノームコアダノンキングリー
大竹正博 ブラストワンピース
栗田徹 アルクトスタイトルホルダー
林徹 ソングライン
田中博康 レモンポップ
宮田敬介 ダンシングプリンスブレイディヴェーグアマンテビアンコ
黒岩陽一 アスコリピチェーノ
青木孝文 マイネルグロン

所属騎手

現役騎手

事故

  • 2009年4月3日、北馬場で蛯名信広調教師が調教中の管理馬に後肢で胸部を強く蹴られ、3時間後に右胸部打撲による心肺停止で死亡した。
  • 2021年3月31日、南馬場で調教助手の男性が競走馬の調教を行っていたところ、馬が左前足を骨折し転倒したはずみで前方に投げ出され、全身を打って意識不明の重体となった。男性は回復することなく4月7日に死亡した。

その他

交通

脚注

注釈

  • ^ 栗東トレーニングセンターは1969年(昭和44年)11月11日に開場した。
  • ^ 東京・中山・白井からの競走馬や関係者の移動は1978年3月7日から始まり4月6日に完了した。
  • ^ テコ入れが必要な美浦トレセン 菊花賞、西高東低の潮流の行方 - MSN産経ニュース2008年10月25日付、2009年5月31日閲覧)
  • ^ 栗東の坂路はある程度一直線でほぼ全区間が勾配となっているのに対して、美浦の坂路は用地の都合で直線コースが構築できなかった事から南コースの外周に沿って左回りに半周している上、全長距離こそ西の栗東に勝るが実際には前半の1/3が全くの平坦であり実際の勾配区間は栗東よりも短い上に傾斜の斜度も緩い。なおかつ、高低差も栗東32メートル・美浦17メートルと栗東の半分程度しかない。
  • ^ たとえば北海道の追分ファームは育成場「リリーバレー」に、全長こそ直線1020mだが高低差が36.4mもある坂路コースを有している。
  • ^ しかも、美浦所属馬の唯一の勝利は、いずれも平坦コースの札幌競馬場で開催されたエルムステークスで、直線に坂があるコースのダート重賞は全敗であった。
  • ^ また浄水場などの施設を通しているにせよ、そもそも水源である霞ヶ浦自体が水質面で大きな問題を抱えている。
  • ^ 後にアパパネの母馬となる。
  • ^ 具体的にはマイネルキッツ天皇賞・春)、クィーンスプマンテエリザベス女王杯)、アパパネ(阪神ジュベナイルフィリーズ)の3頭。栗東で直前の最終調整をしていない1頭は関東圏の東京競馬場で開催される東京優駿の優勝馬ロジユニヴァースであるが、この馬も2歳の頃に栗東留学を経験している。
  • ^ この様な馬主の要求や都合で一度預けた馬を転厩させることは、以前はシンボリ牧場のような大馬主ですら容易に出来ることではなかったが(シリウスシンボリの項を参照。ただし例外として美浦優勢であった1980年代でもドウカンヤシマが美浦から栗東に移籍した例もあった)、近年では競走馬とこれを預託する馬主の減少を背景に馬主側の発言力が大幅に拡大しておりサチノスイーティーホクトスルタンのような零細馬主の所有馬も移籍している。
  • ^ ウイニングチケット1993年東京優駿)、ドリームジャーニー2006年朝日杯フューチュリティステークス)など
  • ^ つまり、「本音では栗東トレセンの厩舎に入れたいが、栗東トレセンの各厩舎には空き馬房の余裕が少なく、同厩他馬との兼ね合いもあって馬の調子に合わせてトレセンに入厩できず出走できない為、管理馬が少ないことから厩舎の空き馬房状況に余裕があり、馬の体調を見計らって入退厩や出走が馬主サイドで自在に調整できる美浦トレセンの厩舎にやむを得ず入厩させる」という意味である。
  • ^ 例としては、喘鳴症を抱えて2年以上の不振に陥っていたリーチザクラウンなど。
  • ^ つまり、成績不振の厩舎については、メリットシステムで馬房を減らされる前に、調教師が自ら馬房を返還して厩舎経営を小さくしてしまっている。
  • ^ これらに続く競馬学校第18期卒業の美浦所属騎手も中々芽が出ず、田辺裕信による平地重賞初勝利は実に騎手生活10年目のことであった。
  • ^ 特に酷い例としては、池上昌弘厩舎に所属したものの、満足に騎乗機会も与えられぬままに1年足らずでしかも未勝利のままフリーとなった池崎祐介や、同様に増沢末夫厩舎に所属したが、デビューの翌年に厩舎を離れて結局初勝利を挙げられずに引退した大沢辰也(1期生の谷口一明以来の競馬学校騎手課程出身者では2人目の未勝利。後に落馬負傷で未勝利で引退した高嶋活士を含め、3人のみ)の例が挙げられる。
  • ^ JRAにおいては、競馬学校厩務員課程を卒業後、30歳までに厩務員として厩舎に所属し就業しなければならないという年齢制限が設けられている。
  • ^ 特に調教師の移転は事実上不可能である。かつては田中康三(中山→中京)の様に自厩舎と繋がりの深い馬主の支援を受けて厩舎を挙げて移転した事例があったものの、トレセン完成による厩舎の集約移転がなって以降はその様な事例は見られない。
  • ^ 特にJRAに対する辛口の記事や競馬界の裏事情が書かれることが多い競馬雑誌『競馬最強の法則』の「今月の地獄の早耳」コーナーでは、美浦所属厩舎の不振が深刻をきわめるにつれ、成績下位の厩舎の厳しい経営実態の他にも、調教師の資金窮乏による厩舎スタッフへの給与遅配、厩舎スタッフの離職事情などといった、経営難の厩舎の内情にまつわる噂について繰り返し言及がされている。
  • 出典

    参考文献

    • JRA競馬博物館秋季特別展示『強い馬作りの拠点 トレーニング・センター展』(財団法人 馬事文化財団、2009年)

    関連項目

    外部リンク

    東経140度18分29.5秒 / 北緯35.984306度 東経140.308194度 / 35.984306; 140.308194

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