日本の元首(にっぽんのげんしゅ、にほんのげんしゅ)では、日本国の元首について述べる。
元首とは国の首長、または国際法で対外的に一国を代表する機関であり、君主国では君主、共和国では大統領などである。君主とは、伝統的には国家における唯一の主権者であり、君主制の語源は「ただ一人の支配」(ギリシア語の「モナルケス monarches」)を意味する。
『百科事典マイペディア』によれば、元首は国内的には統治権(少なくとも行政権)と、条約締結、外交使節の任免・接受、軍隊の統帥、外交特権(外国滞留中)を持つ。
『日本大百科全書』によると、現憲法〔日本国憲法〕では元首を定める規定がないためさまざまな見解が主張されている
。政治学者の河合秀和が言うには、象徴天皇を元首とする説、実質的機能を鑑みて内閣ないしその首長たる内閣総理大臣を元首とする説、元首は不在とする説などがある。田中浩・芦部信喜によると学説の多数は、内閣または内閣総理大臣が元首であるとしている。
法学書『基本法コンメンタール 憲法(第五版)』には、次の解説がある。
「 | 明治憲法4条にいう「元首」は、国家有機体説に由来する概念をもって、唯一絶対にして統治権を総攬する君主を「元首」と定めたのである(明憲1・4・13など)。日本国憲法の天皇が、このような意味での「元首」でないことは、いうまでもない。 | 」 |
前掲書によると、「元首(英:the head of state, 独:Staatsoberhaupt)」という概念は君主制末期に、国家有機体説と結びついて発明された。そこでは君主は国家の諸活動の源泉とされ、人間の諸活動の源泉である頭脳になぞらえて、「元首」と表現された。「元首」という概念は、かつて生成期には「君主」と密接不可分であったが、そこから離れて共和制の「大統領」をも「元首」と考えるようになった。そして徐々に、行政権の担い手としての性格が希薄化していき、「国家を対外的に代表する資格(具体的には、条約締結権を含む外交問題処理の権能)」を有することが「元首」の基準として用いられるようになった。したがって、対外的代表権を判断基準にするならば「象徴天皇は『元首』に当たらない」と考えられている。
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』および『大辞林 第三版』によると、日本国憲法下の「元首」概念は必ずしも明確でない。
前掲の『ブリタニカ』によれば歴史的には、元首とは「君主制の衰退に伴い,行政権の首長にして条約締結権その他の対外的代表権をもつもの」に、または単なる対外的代表権をもつものになった。現行国憲法下では、内閣が条約締結権や外交に関する処理機能を持っており(憲法第73条2号・3号)、元首は内閣または内閣総理大臣だとも言える。一方で、天皇は全権委任状・信任状・外交文書(批准書など)の認証や、外交官の接受を行っており(憲法7条5号・8号・9号) 、その限りでは代表権的機能を持っていて、諸外国からも「元首扱い」されているという。[信頼性要検証]
浦部法穂の法学書によれば、日本の「元首」は誰なのかといった議論は「意味のあるものとは思われない」とされる。「元首」という語の定義が明確ではなく「はたして国家に『元首』というものが存在しなければならないのかどうかさえ、自明のことではない」ためである。
「 | 今日、一般には、「元首」という言葉は、とくに対外的に国家を代表するものを指して用いられる。この用法を前提としていえば、天皇は、日本の国を対外的に代表する地位にはないから、「元首」ではありえない。この点に関する限り、大方の学説は一致している。 … 「元首」そのものが存在しなくても一向にかまわない。 | 」 |
前掲書によれば、「元首」という言葉はそれ自体が権威的であり、《天皇は「元首」ではないが「元首としての要素」や「準元首的性格」を持っている》と主張することは憲法の明文規定を超え、天皇に元首的な権威を承認することに繋がる。
高橋和之らの法学書によると「象徴にすぎなくなった天皇は君主といえるか」という問題については、君主の定義次第である。かつて統治機構の分類において最も重要な区別は、君主制か共和制かという区別であったが、「民主主義の浸透とともに君主は統治権の現実の行使を徐々に失っていき、君主制が維持された国でも君主の権力は実際上名目化した」。現代では「君主制か共和制か」の区別はほとんど意味を失っており、例えば今日、イギリスとスペインを君主制とし、フランスとアメリカを共和制として分類しても、それらの国々についてその分類から分かる情報は限定的であり、「ほとんど有用性はない」。日本の天皇についても「天皇が君主かどうかは、憲法学上はほとんど議論の実益のない問題である」とされている。天皇が元首か否かは「政治的論争」であり、それは「元首と呼ぶことにより天皇の権威をたかめ、それを政治的に利用しようという底意にでるものであることが多い」との指摘がある。
芦部信喜の法学書によれば、天皇は君主・元首であるかどうかが争われている。元首の要件で特に重要なのは、外国に対して国家を代表する権能(条約締結や、大使・公使の委任状を発受する権能)である。しかし天皇は外交関係では、七条五号・八号・九号の「承認」・「接受」という形式的・儀礼的行為しか憲法で認められていない。よって伝統的な概念によれば、日本国の元首は内閣または内閣総理大臣となる(多数説)。しかし、そうした形式的・儀礼的行為を行う機関をも元首と呼んで差し支えないという説もある。日本では、元首という概念自体が何らかの実質的権限を含むと一般に考えられてきたので「天皇を元首と解すると、承認ないし接受の意味が実質化し、拡大するおそれがあるところに、問題がある」とされる。
天皇は元首ではないという考え方は、天皇は政治上の権能を有さず、また外交上条約の締結などの権限を行使していないことを理由とするものである。宮沢俊義、鵜飼信成、芦部信喜などがこの立場である。
ベン=アミー・シロニーの学説では、「現代の日本皇帝の公的地位は、同様に君臨すれども統治せぬイギリス君主の公的地位よりも低い」のであり「日本皇帝は内閣の承認の下で、一種の元首における儀礼的権能を行うが、元首でさえない」となっている。
天皇は形式的な権限しか有していないが、外国の大使、公使の信任状が天皇を名宛人とし、またその信任状を天皇が受理するなど実務上はあたかも天皇に実質的な権限があるが如き取り扱いがされており、また、元首は独任制の機関であって内閣を元首とすることには無理があるから、天皇を元首と解することは可能であるとする。伊藤正己らがこの立場にある。また小林直樹は、天皇は元首ではなく「準元首」とする説を唱えている。
清宮四郎は、前述のように天皇は「君主」とは言いうるが、元首的な役割が内閣と天皇に分割されているため、日本国に「元首」はいないとする。
『国史大辞典』では、法律制度上、象徴天皇は君主でも元首でもなく、神の子孫としての神聖な権威は消滅したとされている。『法律用語辞典(第4版)』は、象徴天皇と元首天皇は異なるとしている。
『日本大百科全書』で安田浩は「象徴天皇には、通常の立憲君主のもっている政治上の外形的権限およびそれに基づく危機に際しての介入権限も与えられておらず、その点では君主とも元首ともいいえない存在となった」と述べている。一方、田中浩は同書で「最近では、対外的に国家を儀礼的に代表する権限をもつだけで十分とし、国家の名目的・儀礼的な象徴の地位にある者を元首的性格をもつ者とみる考え方も出てきた。この場合には天皇が元首であるということになろう」としている。安田浩は「天皇の「元首」化の動きとその批判」の節で、「天皇の特殊な権威を強調すればするほど、日本は民主主義の基準からはずれた国家ではないのか、との疑念が生じることは避けられない。象徴天皇制のいっそうの権威化が進むか否か、その岐路が、問題となりつつあると考えられる」としている。
2014年の衆議院の憲法審査会は、1988年10月11日の内閣法制局の見解を引用している。当時の内閣法制局は「元首の概念につきましては、学問上法学上はいろいろな考え方があるようで」あり、「天皇が元首であるかどうかということは、要するに元首の定義いかんに帰する問題である」と述べている。同局は次の見解も示している。
2001年の内閣法制局も、1988年の内閣法制局を引用し「何が元首かというのは必ずしも憲法論ということではない」と述べている。
内閣元首説、内閣総理大臣元首説、天皇・内閣元首説、内閣・内閣総理大臣元首説、元首曖昧説、衆議院議長元首説、天皇元首説、元首不在説、元首否定説などがある。
天皇の公的行為を容認する立場については、天皇の行為が無限定に広がっていくおそれがあり、国事行為以外の天皇の行為について内閣の統制の下に置こうとする意図から出ているものであっても、現在では、天皇が独走する危険性よりも、内閣が天皇を政治的に利用する危険性の方が高いとの意見がある。
この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
内閣や内閣総理大臣等ではなく天皇を国家元首として見なせるのか、あるいは国家元首が日本に存在するのかに関し、政府見解および学説は分かれている[信頼性要検証]。天皇が国家元首と同様に取り扱われる慣例としては、外国訪問時に大統領や君主同様の外交特権があること[要出典]、外国での礼砲は21発で迎えられること、過去4回の日本開催のオリンピック開会宣言を行うことなどがある。
一方で、国賓に対する歓迎行事における自衛隊の儀杖隊が行う栄誉礼に立ち会う際に、天皇は、国賓が受礼台に立っている間でも元の位置にある。歓迎式典において元首が国賓とともに栄誉礼を受ける国家がある中、このような形式をとることは、天皇に自衛隊の指揮権がないためであり、一般的な元首と異なる取り扱いであるとされる場合がある。これに対して内閣総理大臣が他国の元首等を迎えて栄誉礼を行うときは、内閣総理大臣は当該貴賓とともに栄誉礼を受け、儀杖隊を巡閲する。
ただし、他国の栄誉礼においても、日本の例のように、元首が国賓に同行せずに手前に立つ形式を採用している場合もみられる。
政府は、従来から天皇が元首であるかどうかは、要するに元首の定義いかんに帰する問題であるというふうに考えており、今日では実質的な国家統治の大権を持たなくても、国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もございました。このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらに、ごく一部ではあるが、外交関係において国を代表する面を有するのであるから、現行憲法においても元首であると言って差し支えないと考えていると、これが政府の従来から申し上げておる見解でございます。
これに近い考え方をする学者といたしましては、例えば伊藤正己元東大教授でございますが、その著書の中で、「天皇は、儀礼的・形式的な権能であるが、批准書や外交文書の認証、条約の公布、全権委任状や信任状の認証を行い、また外国の大・公使の接受を行うのであるから、表見的な代表権をもつといえる。したがって、天皇を元首と解することもできなくはない」というふうにその著書の中で述べられております。
この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 日本の元首, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.