新羅語(しらぎご)は、朝鮮半島の新羅(4世紀頃-935年)で使用されていた言語。韓国語史において韓国/朝鮮語の母体と位置づけられる。古代朝鮮語と同一とみなされる場合もあるが、古代朝鮮語は百済語、高句麗語を含む呼称とされることが多い。
新羅語 | |
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話される国 | 新羅 |
地域 | 朝鮮半島 |
消滅時期 | 中期朝鮮語に受け継がれた |
言語系統 | 朝鮮語族
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表記体系 | 漢字(吏読) |
言語コード | |
ISO 639-3 | — |
Glottolog | sill1240 |
新羅は辰韓の一国である斯蘆国を母体とした古代国家であり、やがて朝鮮半島中部以内全域を支配下においた。その過程で新羅の言語(新羅語)の影響も朝鮮半島全域に及ぶこととなり、新羅語は朝鮮半島の言語的な一体化において大きな役割を果たしたと考えられる。
いわゆる朝鮮半島の三国(高句麗・百済・新羅)の中で新羅における文字の導入は最も遅かったと推測されるが、最初期の状況は詳らかでない。『梁書』「新羅伝」(7世紀初頭成立)には「文字無し」と伝えられるが、韓国語学者李基文は少なくとも国初には漢字の存在は知られていたであろうし、やがて高句麗と百済から漢字による表記を学んだであろうとする。
朝鮮半島の古代言語の史料は非常に乏しいが、新羅の言語は高句麗や百済のそれに比べ相対的に良く知られている。新羅語に関する知見は高麗時代に記された史書『三国史記』『三国遺事』に記載された人名・地名・官名などが主たる情報源である。他に中国や日本の史書からも固有名詞などの情報が得られる。また、漢字を用いた朝鮮語の表記法の1つである吏読も重要な情報源である。新羅時代の吏読資料は極僅かしか残されていないが、「これらだけが一次的重要性を有する」と評される。また、新羅語の重要な資料として郷札とよばれる表記法で書かれた資料がある。これは郷歌と呼ばれる文学資料であり、一部に高麗時代の改変と見られる要素があるものの概ね新羅の言語資料として扱うことができる。
新羅語の表記には漢字が使用され、体系的にかなり整えられていたことが、固有名詞の表記や郷札などの用字法の高い一貫性(例えばaは阿、iは伊で表す)から確認できる。こうした音読字の用法は高句麗語や百済語、さらに古代日本語の表記法とも多くの類似性が見られることから、新羅語の漢字表記法はこれら東アジア各国の用事法と高い関連性を持つと考えられる。
新羅語の音韻体系や文法に関してはその全体像を把握することはできない。閉鎖音に平音と有気音の別があったことや動詞の活用語尾、敬語法における尊敬法や謙譲法などが断片的に理解されるに過ぎず、語彙の情報も貧弱である。言語自体の多くのことが現代韓国語(朝鮮語)や中世韓国語(高麗時代の言語)との比較によって研究されており、文法事項などもこれら後世の言語との一致点を中心に把握されている。
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