安田好弘

安田 好弘(やすだ よしひろ、1947年12月4日 - )は、日本の弁護士(登録番号:16969)である。第二東京弁護士会所属。

やすだ よしひろ

安田 好弘
生誕 (1947-12-04) 1947年12月4日(76歳)
日本の旗 日本 兵庫県
出身校 一橋大学法学部
職業 弁護士
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人物

兵庫県生まれ。一橋大学法学部卒業。大学時代には全学共闘会議運動の活動家として活動し、弱者保護を主張。弁護士となったのちは、月に1度しか家に帰らず、事務所で寝泊まりしながら仕事をすることもある。

死刑求刑された事件の刑事弁護を数多く担当し、死刑判決を幾つか回避させてきた経歴を持つ。死刑廃止論者。また、大手マスメディアテレビなどの出演依頼はほとんど断るマスメディア嫌いとしても知られる。

経歴

担当事件

刑事事件

民事事件

    アイヌ肖像権裁判
    1985年より、原告代理人。

オウム真理教事件

1995年10月26日に予定されていた初公判が横山昭二弁護人の突然の解任で取り消しになった後、弁護士会より国選弁護人就任を依頼され、初めて松本智津夫に接見。松本は開口一番「あなたをお待ちしていました。あなたの名前は聞いていました」といったという。その後、月に5-10回の頻度で接見を続ける。

1995年暮れ、麻原は安田に向かい、「どうすれば、私の真実を明らかにできますか」と問うたのに対し、安田は「法廷でみんなが見ている前で、空中浮揚をやってはどうでしょうか」と提案する。「法廷でやってみせれば、僕たち弁護人も納得するし、検察官裁判官は腰を抜かして逃げてくと思うよ」と話すと、麻原は、「やってみます」と言い、1996年4月の初公判に向けて、警視庁の留置場東京拘置所中で、『空中浮揚』の修行を重ねていたという。また、「当時麻原の好物は検察発表により高級品のメロンと報道されていたが、麻原は「メロンなどここ2-3年口にしていない。本当の好物はバナナなのに」と話した。麻原は接見中に、「2003年に、アメリカが日本や世界に向けて最終の宗教戦争を引き起こす」と言い出したことがあり、「自分は時間空間を超えることができる。2003年の広島に飛んだところ、焼け野原になっていた。通りがかりの人に聞くとアメリカが原爆を落としたと広島弁で話した。これは、予言ではない、現実に行って見聞してきたことだ」と安田に向かって話した。また、接見中に停電があり、真っ暗となった際に麻原は何も気づかずに話し続けたことから、目が見えないのは本当だと思ったという。

強制執行妨害事件(安田事件)

オウム事件麻原彰晃の国選弁護人を務めていた最中の1998年12月5日、オウム事件とは全く無関係の強制執行妨害の容疑で逮捕。10か月間の拘束で東京地裁は安田を松本被告の国選弁護人から解任、その後も私選弁護人として主任弁護人にとどまったものの、事実上、麻原の弁護活動はできなかった。この事件では、2003年12月に東京地裁は無罪、2審では有罪となり、2011年12月、最高裁で50万円の罰金刑が確定している。

安田は、1993年3月から1996年9月までの間に任意整理を受任した不動産会社「スンーズコーポレーション東京リミテッド」の代表取締役(懲役1年6月執行猶予3年確定)らと共謀し、差押え強制執行を逃れることを目的として、同社が所有する賃貸ビル2棟のテナントから、賃貸料名目で休眠会社への約2億円の口座振込みを指示して、当然差押え執行がなされるべき財産を隠匿したとする強制執行妨害の被疑事実により逮捕され、約10ヶ月間勾留された後に、右被疑事実を公訴事実として起訴された。この事件は俗に「安田事件」と呼ばれることもある。

この事件は、松本被告の裁判が検察側の主張通りに進まない中で起きたことから、麻原の弁護団(渡辺脩団長)が強く抗議し、土屋公献日弁連会長の呼びかけもあり、1000人以上の弁護団が結成された。安田の逮捕・勾留に際しては、全国から安田の弁護をしようという弁護士が集い、約1200人が弁護人となった。約3000名が抗議デモを行い、日本弁護士連合会アムネスティ・インターナショナルなどの団体から、警察やマスメディアに対し抗議声明が発表された。

第1審において、安田に対して懲役2年が求刑されたが、2003年12月24日、東京地裁は、検察側の主張を退け、安田の不動産会社への助言に違法性はなかったとし、無罪判決をしたため、検察側は控訴した。

控訴審においては、約2100人の弁護士が弁護人となった。審理において、検察側は、安田は賃料収入を債権者に差押えられぬよう確保することを不動産会社社長と共謀しており、強制執行妨害罪が成立するとして無罪判決の破棄を求めた。これに対し被告人である安田側は、控訴審で検察側は新証拠を一切提出しておらず、安田は違法性のない会社再建構想を示しただけであるから、原審が示した無罪判決は正当であるとして、控訴棄却を求めた。

2008年4月23日、東京高裁(池田耕平裁判長)は、安田の強制執行妨害共謀を認めたが、最終決定は会社側にあり安田は幇助罪にとどまるとし、第1審(東京地裁)の無罪判決を破棄して、罰金50万円の逆転有罪判決を下した。これに対し、東京高等検察庁の次席検事である鈴木和宏は記者会見を開き、有罪となったことは評価できるものの、罰金刑にとどまった点が遺憾であるとの見解を示した。

2011年12月6日、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は6日付で検察側、被告側双方の上告を棄却する決定をした。これにより一審無罪判決を破棄し、幇助の成立を認めて罰金50万円の逆転有罪とした東京高裁判決が確定した。安田は最高裁の判決後に、自分は無実で検察が証拠を捏造しており、判決は「検察のメンツを立てつつ、私の弁護士資格を奪わない罰金刑で一件落着にするという壮大な妥協」であるとコメントしている。

光市母子殺害事件

1999年4月14日発生の光市母子殺害事件で安田は、足立修一とともに上告審における被告人の弁護士を担当(安田が主任弁護人)することになった。

安田らは、弁護人選任前に指定されていた第1回公判期日について、事前に、最高裁に対して、日弁連が開催する裁判員裁判による模擬裁判のリハーサルがあることなどを理由として、公判期日の変更を求めた。しかし最高裁がこれを拒んだため、欠席する旨を事前に伝えたが、最高裁は、2006年3月、指定した通りの日時において、第1回公判手続を行った。 また、後述する控訴審での主張等も含め、安田らの弁護手法が大きな波紋と批判を呼び、マスコミでは「ドタキャン」と報道された。次の期日指定(2006年4月)では出頭在廷命令が初適用された。

2006年6月20日に、控訴審判決(広島高裁)が破棄され、原裁判所(広島高裁)へ差し戻された。

2007年5月24日広島高裁で差し戻しの控訴審が開始され、被告人側の第1審・第2審の主張とは180度異なった傷害致死の主張を展開したが、2008年4月22日の判決公判の判決理由において安田らが展開した主張は全て否定され、死刑判決が下された。

差戻し審における安田弁護士の主張

  1. 母子殺害は計画的では無かった
        母親の殺害について
        被告人は思春期に母親の自殺を目撃しており、母親に甘えたい気持ちから被害者女性に抱きついたところ、大声を出されたので口をふさいだ。しかし手がずれ込んでしまい、首が締まり女性をに至らしめてしまった。これは今の日本の法律では傷害致死にあたる。犯行の際に水道屋の格好をしたのはままごと遊びの一環であり犯行に計画性はない。
        母親の屍姦について
        その後少年が母親の死体に性的行為を行った件については、相手がすでに死んだ後に行っているので強姦罪には当たらない。性行為は被害者の生命を救うための魔術的な儀式であり被告人は精子が人間を復活させると信じていた。
        赤ん坊の殺害について
        赤ん坊を床に叩きつけたのは、本人の意図としては赤ん坊を泣き止ませる為。赤ん坊を泣き止ませようと、首にちょうちょ結びをした所、きつく締まり過ぎてしまい、赤ん坊は死んでしまった。これも傷害致死にあたる。
        被告人の責任能力について
        被告人は精神の発達が遅れており、その精神年齢は12歳程度である。
  2. 被害者遺族の本村洋について
      遺族の上京が無駄足になったのは申し訳なかったが、被告人の弁護士である以上、裁判というものを、犯罪者を死刑台に送る形だけの儀式にしてはいけない。「法廷は被害者と加害者が対決し、刺しあう場所ではない。」
  3. 公判期日欠席について
      安田弁護士への弁論依頼の意向を二審の弁護人が2005年12月に最高裁に伝えた段階で、通常であれば三者協議で公判期日を決めるはずであるのに、一方的に指定された。安田は、2006年2月下旬、被告人と初めて接見して、被告人の主張が事件記録上の主張とは異なることに気づいて受任し、第1回公判期日の3ヵ月の延期を要望したものの、受け入れられなかった。4月の公判期日では、次の公判期日を指定しての公判期日続行を訴えたが、受け入れられなかった。

批判

光市母子殺害事件の上告審口頭弁論公判を欠席したことについて、遺族が安田と足立修一懲戒請求を申請した。このことがマスコミで大きく報道され、弁護士としての姿勢が非難された。

死刑求刑裁判となっている凶悪事件の刑事裁判での弁護を数多く担当してきた。これに関し、安田は「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない」と否定している。

映画『死刑弁護人』

死刑弁護人
監督 齊藤潤一
出演者 安田好弘
音楽 村井秀清
撮影 岩井彰彦
編集 山本哲二
公開 安田好弘  日本2012年6月30日
上映時間 97分
製作国 安田好弘  日本
言語 日本語
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安田好弘を扱ったドキュメンタリー映画『死刑弁護人』が2012年6月30日に劇場公開された。元々は2011年10月9日深夜24時45分から東海テレビ放送で放送された同タイトルのテレビ番組。芸術選奨文部科学大臣賞(放送部門)を受賞。

スタッフ

  • ナレーション:山本太郎
  • 監督:齊藤潤一
  • プロデューサー:阿武野勝彦
  • 音楽:村井秀清
  • 音楽プロデューサー:岡田こずえ
  • 撮影:岩井彰彦
  • 編集:山本哲二

脚注

注釈

出典

文献

    自著
  • 安田好弘『「生きる」という権利 麻原彰晃主任弁護人の手記』(第1刷発行)講談社、2005年8月5日。ISBN 978-4062121439NCID BA73419486国立国会図書館書誌ID:000007887005全国書誌番号:20855267https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000181953  - 講談社+α文庫: 2008年4月、ISBN 978-4062811996
    共著
  • 「『麻原断罪』で終わらせるのか」(宮崎学森達也との鼎談) (森達也「『世界と僕たちの、未来のために 森達也対談集』作品社、I2006年1月、SBN 4861820669 所収)
  • 「いのち、非暴力」(対談)」 (米田綱路編著『はじまりはいつも本 書評的対話』パロル舎、2006年4月、ISBN 4894190516 所収)
  • 勾留保釈を体験して 安田好弘弁護士に聞く」(インタビュー) (東京弁護士会期成会明るい刑事弁護研究会編『保釈をめざす弁護 勾留からの解放 期成会実践刑事弁護叢書 01』現代人文社、2006年5月、ISBN 4877983015 所収)
    関連書籍
    関連雑誌記事
  • 中嶋博行「“人権派”弁護士こそ「人権の敵」」 (『諸君』2006年6月号 所収)
  • 「激突対談/被害者の正義と犯罪者の権利 安田好弘 vs 中嶋博行」 ( 『月刊現代』2006年7月号 所収)
  • 佐藤優「弁護士の職責とは何か 『悪魔の弁護人』安田好弘氏に聞く」 ( 『世界』2006年7月号 所収)
  • 「なぜ“悪魔”を弁護するのか 安田好弘弁護士と鎌田慧の対話」 ( 『週刊金曜日』2006年7月7日号 特集「『光市母子殺人事件』判決を問う」 所収)
  • 佐藤優「本当は恐ろしい 人権派弁護士バッシングの罠」 ( 『週刊金曜日』2006年7月7日号 特集「『光市母子殺人事件』判決を問う」 所収)
  • 村上正邦「『検察国家』の弊害は国民に及ぶ」 ( 『週刊金曜日』2006年7月7日号 特集「『光市母子殺人事件』判決を問う」 所収)
  • 綿井健陽「安田好弘●弁護士 街には無限の物語がある 『悪魔の弁護人』と呼ばれて」 (『AERA』2008年4月28日号 所収 「現代の肖像」より)

外部リンク

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