アジア主義(アジアしゅぎ)、または汎アジア主義(はんアジアしゅぎ、英語: Pan-Asianism)、大アジア主義(だいアジアしゅぎ)とは、日本と他のアジア諸邦の関係や、アジアの在り方についての思想ないし運動の総称である。19世紀後半に活発となった欧米列強のアジア進出・植民地化に対抗する方策として展開された。
欧米列強の脅威の排除とアジアとの連帯を目指した主張で、明治中期までの日本ではもっぱら興亜会に代表される「興亜論」(こうあろん)の名称で呼ばれた。その内容は開国文明化、協同、合邦、新秩序構築など、論者の思想的立場によって異なり一義的な定義はない。また、国際情勢の変化に伴って主張内容が変化する。
当初は大久保利通と李鴻章の約束に始まる日本と清・朝鮮との対等提携指向を指すものであったが、冊封体制下の朝鮮をめぐって江華島事件や壬午事変、甲申政変を経て起こった日清戦争で、アジア主義は主戦論と非戦論に分裂し、政府や国内の新聞も清への対外硬が主流となり、日清戦争以後のアジア主義の定義は、元来のアジアとの平和協調路線(興亜論)とは完全に正反対のものになった。
日露戦争以降のアジア主義の定義は、ロシア帝国に勝利して得た東アジアにおける日本の優位を前提にアジアの革命勢力を支援する思想に発展し、やがて日中戦争を通じ、日本を盟主とした「東亜新秩序」(アジア・モンロー主義あるいは大アジア主義)、日中戦争初期の昭和研究会による「東亜協同体論」としての政策化、大政翼賛会の興亜総本部や大日本興亜同盟による統制、そして「大東亜共栄圏」構想へとつながっていく。1945年の日本の敗戦によって、近代アジア主義は終焉したとされる。
冷戦後の国際的な地域統合の流れの中で生まれたASEAN+3による東アジア共同体構想や、本来の「日本・支那・朝鮮の対等提携」に近い日中韓首脳会談(大久保利通の玄孫である麻生太郎が主催した)で設立された三国協力事務局なども、しばしば戦前・戦中のアジア主義(特に東亜協同体論)と関連付けて言及されることがある。
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