厳島(いつくしま)は日本海軍の海防艦、または防護巡洋艦。 艦名は名所の名で日本三景の一つ、安芸国厳島から採られた。 松島、橋立は姉妹艦。
厳島 | |
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基本情報 | |
建造所 | 地中海造船鉄工所(Forges et Chantiers de la Mediterrane、フランス、ラ・セーヌ) |
艦種 | 海防艦、防護巡洋艦 |
母港 | 呉 |
艦歴 | |
計画 | 明治18年(1885年)度 |
起工 | 1888年1月7日 |
進水 | 1889年7月18日 |
竣工 | 1891年9月3日 |
除籍 | 1919年4月1日 |
その後 | 1925年廃船認許、その後売却 |
要目 | |
排水量 | 4,210英トン 1894年6月時:4,278英トン |
全長 | 325 ft 6 in (99.21 m) |
水線長 | 301 ft 0 in (91.74 m) |
垂線間長 | 295 ft 0 in (89.92 m) |
水線幅 | 51 ft 3 in (15.62 m) |
深さ | 35 ft 0 in (10.67 m) |
吃水 | 平均:20 ft 0 in (6.10 m) |
ボイラー | 低円缶 6基 |
主機 | 横置3気筒3段レシプロ 2基 |
推進 | 2軸 x 108rpm(内回り) |
出力 | 5,830馬力 公試:5,123馬力 |
速力 | 16ノット公試:17.0ノット |
燃料 | 石炭:680トン 1904年:石炭683トン |
乗員 | 1890年10月定員:360名 |
兵装 | 32cm砲1門 12cm砲11門 47mm砲5門 35.6cm魚雷発射管4門 |
装甲 | 甲板:2in(50.8mm) 砲塔:12in(305mm) 砲盾:4in(102mm) |
その他 | 船材:鋼 |
日清戦争に参加。 日露戦争では第三艦隊旗艦として活躍し、日本海海戦においてバルチック艦隊発見を受電して急行、その後バルチック艦隊と並走して東郷平八郎司令長官に向け、正確な位置、隊形、針路などを詳細に通報し、海戦の前座を見事に務めた。
なお、松島型二番艦とするのが普通であるが、松島より先に起工、竣工しているため、厳島型と呼ばれることもある。
建造にいたる経緯については、松島を参照。主砲であるカネー社製32cm(38口径)単装砲は、松島と違い前部甲板に据え付けられたため、艦形としては収まりがよい。また、副砲以下の装備についても若干相違がある。
1888年(明治21年)1月7日、地中海鉄工造船所(フランス)で起工。 1889年(明治22年)7月18日進水。 1891年(明治24年)9月3日竣工。 第一種に編入された。
1892年(明治25年) 5月21日、横須賀港に到着、 5月30日、厳島は警備艦に指定された。
1894年(明治27年)3月21日、修理のために常備艦隊の役務を解かれ、 7月8日再度常備艦隊に編入された。
1894年(明治27年) 8月1日 日清戦争開戦、連合艦隊本隊所属 。 9月17日 黄海海戦 。 1895年(明治28年) 2月 威海衛攻撃終了、清国降伏。
1895年(明治28年)7月29日、常備艦隊の役務を解かれた。 9月28日、厳島は警備艦に定められた。
1898年(明治31年) 3月21日、二等巡洋艦に類別された。
1900年(明治33年) 北清事変により8月から11月迄、上海の警備を行った。
1901年(明治34年)、 呉造船廠でボイラーを円缶からベルビール缶に換装した。
1901年(明治34年) 2月から8月、少尉候補生の東南アジア、清方面の遠洋航海に従事した。
1903年(明治36年)、 同じく少尉候補生の遠洋航海に従事した。
1904年(明治37年)、第三艦隊旗艦として日露戦争に参加。対馬警備の後に旅順封鎖に参加。一度他に旗艦を譲り、黄海海戦の前日には損傷を受け、修理中だったため海戦には参加できなかった。1905年(明治38年)には第三艦隊旗艦に復帰して日本海海戦に参加。樺太作戦には第四艦隊旗艦として参加した。
明治39年度、明治40年度、明治41年度の少尉候補生の遠洋航海に従事した。
1912年(明治45年) 6月に浪速が遭難、室蘭に碇泊していた厳島は6月27日に同地を出港し救助に向かった。 1912年(大正元年)8月28日、二等海防艦に類別が変更された。
1919年(大正8年)4月1日除籍、 雑役船に編入され、潜水艇母船に指定、厳島丸と改称した。
1920年(大正9年) 1月15日、厳島丸は潜水艦4隻の繋留母船に改造されることになり、 7月1日厳島と改称し、潜水艇母船から潜水艦母艇に変更になった。 9月15日厳島は海軍潜水学校付属となり、 9月24日、呉防備隊から引渡し、 校舎として使用された。
1924年(大正13年) 3月22日に海軍潜水学校は新築移転、以後厳島は倉庫として使用された。 9月8日に韓崎が海軍潜水学校附属となり、海軍潜水学校は厳島を必要としなくなった。 12月13日、船体老朽のため海軍潜水学校から呉海軍港務部へ引渡された。
1925年(大正14年)3月30日廃船認許。 5月20日呉海軍工廠に引き渡された。 同年10月14日 舞鶴飯野商事会社呉支店に売却、11月29日から大正15年(1926年)7月に呉吉浦で解体された。
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
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