八幡浜市(やわたはまし)は、愛媛県の西端にある佐田岬半島の付け根に位置する市。北に伊予灘、西に宇和海を望み、丘陵地が多く、海はリアス式海岸が続き、温暖で風光明媚なところである。古くは九州や関西地方との海上交易が盛んで「伊予の大阪」と謳われ、現在は年間40万人近くが行き来する西日本有数の八幡浜港を抱え、四国の西の玄関口、西四国の交流・交易活動の拠点として発展してきた。
やわたはまし 八幡浜市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 愛媛県 | ||||
市町村コード | 38204-3 | ||||
法人番号 | 3000020382043 | ||||
面積 | 132.65km2 | ||||
総人口 | 29,629人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 223人/km2 | ||||
隣接自治体 | 山口県:熊毛郡上関町、柳井市 | ||||
市の木 | ミカン | ||||
市の花 | スイセン | ||||
市の鳥 | なし | ||||
八幡浜市役所 | |||||
市長 | 大城一郎 | ||||
所在地 | 〒796-8501 愛媛県八幡浜市北浜一丁目1番1号 北緯33度27分46秒 東経132度25分24秒 / 北緯33.46286度 東経132.42336度 東経132度25分24秒 / 北緯33.46286度 東経132.42336度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
温暖な気候と地形を生かした柑橘栽培が盛んで、温州ミカンは質・量ともに全国有数の産地であり、「日の丸」「真穴」「川上」「蜜る」など全国に知られたブランドミカンを生産している。太陽の直射光、海からの反射光、段々畑の石段の輻射熱の「三つの太陽」を浴びて育ったミカンの美味しさはひとしおである。漁業も盛んで、とりわけ有名なのは四国一の規模を誇る魚市場である。八幡浜港は天然の良港として栄え、中型トロール船団の基地となっており、四季折々のたくさんの種類の魚が水揚げされ、早朝の活気にあふれた市場風景と産直市場でもある「どーや市場」は、八幡浜市の名物となっている。
八幡浜市は愛媛県の西部、佐田岬半島の基部に位置する。総面積は133.03平方キロメートル。北は瀬戸内海に面し、東は大洲市、南は西予市、西は伊方町と接している。西側の南半分は豊後水道(宇和海)を挟んで九州に対している。海岸線はリアス式海岸を形成しており、急斜面が海岸に迫る地形で平坦地が少なく、岬と入り江が交錯した風光明媚な景観をなしている。 今後発生が予見されている南海トラフ巨大地震の際には、最大8mの津波が到達することが予想されており、愛媛県下の市町では2番目の高さとなっている。
山
川
八幡浜市の気候は、瀬戸内海と宇和海の 2 つの海に面しており温暖な海洋性気候が中心だが、東部や山間部では、内陸性気候の影響を受ける。
1時間降水量最大57.5m(2013/9/4)
最高気温36.7°C
最低気温-2.7°C
八幡浜(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 59.3 (2.335) | 77.5 (3.051) | 114.5 (4.508) | 123.1 (4.846) | 144.0 (5.669) | 276.9 (10.902) | 229.5 (9.035) | 126.7 (4.988) | 178.5 (7.028) | 115.1 (4.531) | 86.7 (3.413) | 75.9 (2.988) | 1,607.6 (63.291) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 9.1 | 9.5 | 10.7 | 10.0 | 9.1 | 12.7 | 10.4 | 7.8 | 9.6 | 7.8 | 8.3 | 10.1 | 115.0 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁 |
八幡浜市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 八幡浜市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 八幡浜市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
八幡浜市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
八幡浜という地名は、すでに養老年間(717年 - 724年)からあり、その由来は八幡大神がこの地の浜に立たせられたことによると伝えられている。 現在の八幡浜地区は中心部を流れる千丈川によるデルタ地帯を土台として、すでに天正年間(1573年 - 1592年)には埋立工事が行われたと伝えられており、以後たび重なる埋立てによって、市街地は海へ海へと拡大されてきた。保内地区は江戸時代からハゼ栽培や海運業が盛んになり、明治に入ると新政府の殖産興業政策を受けて鉱業・海運業・紡績業などの商工業が発達した。
二宮忠八の生誕地は八幡浜町(当時)矢野町であるが、合併した神山町にも「矢野町」という地名がある。そのため、市外から用事で来る人が「矢野町に集まる」と聞いても、どちらの矢野町に行けばいいのか分からない事例がしばしば発生している。 なお郵便番号においては前記の矢野町を796-0026とし、後記の矢野町は集落名を取って「矢野町(徳雲坊)」として796-8005を付与することで区別している。
西暦 | 年号 | 略年譜 |
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1876年 | 明治9年 | 菊池清治正明が汽船新八幡丸を建造し、大阪・別府・八幡浜間の定期航路を開いた |
1878年 | 明治11年 | 第2代大蔵卿となった旧宇和島藩主伊達宗城の命を受け、宇和島の旧士族や地元川之石の商人、網元らが、明治10年9月7日に川之石地区への国立銀行設置を大蔵省に請願し、翌年の明治11年3月15日に愛媛県で初めての銀行となる第二十九国立銀行が川之石地区に開業 |
1889年 | 明治22年 | 明治政府により町村制施行 「八幡浜町、矢野崎村、神山村、千丈村、舌田村、川上村、真穴村、双岩村、日土村」 「川之石村、宮内村、喜須来村、磯津村」が誕生 |
1914年 | 大正3年 | 川之石村が町制施行し、川之石町となる |
1930年 | 昭和5年 | 八幡浜町と矢野崎村が合併して八幡浜町となる |
1935年 | 昭和10年 | 八幡浜町、神山町、千丈村、舌田村を廃し、人口30,501人の八幡浜市が誕生 |
1939年 | 昭和14年 | 国鉄の予讃本線の駅として八幡浜駅が開業。2月6日、白浜小学校講堂で全通記念式典が開催された。 |
1943年 | 昭和18年 | 9月19日に集中豪雨。仮橋が二箇所流失、浸水家屋200戸 |
第二次大戦後、水産業は飛躍的な発展を遂げ、トロール漁業の基地として、その名を全国に広めた。また温州みかんの生産が拡大した。九州と四国を結ぶフェリー航路が新設され、連絡港として発展した。
西暦 | 年号 | 略年譜 |
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1955年 | 昭和30年 | 川上村、真穴村、双岩村、日土村が八幡浜市に編入される |
1960年 | 昭和35年 | 八幡浜市、重要港湾の指定を受ける |
1964年 | 昭和39年 | 九州臼杵との間にフェリーボートが就航 |
1969年 | 昭和44年 | 九州別府との間にフェリーボートが就航 |
九州と四国を結ぶ連絡港として施設を拡充する一方、この年代の後半、沖新田の魚市場が整備され水産物流通拠点として活況を呈する。温州ミカンは1972年(昭和47年)に全国的な生産過剰による価格大暴落を契機に、品種更新が始まり、宮内伊予柑の比率が高まる。1984年(昭和59年)3月に八幡浜浄水場が完成し、1986年(昭和61年)1月から八幡浜市・保内町へ暫定給水を開始し、夏季水不足が緩和された。
西暦 | 年号 | 略年譜 |
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1971年 | 昭和46年 | 国道197号線八幡浜・大洲間夜昼トンネル開通 |
1972年 | 昭和47年 | フェリー桟橋関連施設の整備 |
1974年 | 昭和49年 | 酒六神山工場跡地に王子の森公園を建設 |
1980年 | 昭和55年 | 八幡浜の魚市場が統合され、八幡浜市水産物地方卸売市場を開設 |
1982年 | 昭和57年 | 諏訪崎自然休養林が完成 |
やわたはまし 八幡浜市 | |||||
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廃止日 | 2005年(平成17年)3月28日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 八幡浜市(旧)、西宇和郡保内町 → 八幡浜市(新) | ||||
現在の自治体 | 八幡浜市(新) | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 愛媛県 | ||||
隣接自治体 | 西予市、大洲市、西宇和郡保内町、伊方町(海上を隔てて隣接) | ||||
八幡浜市役所 | |||||
所在地 | 〒796-8501 愛媛県八幡浜市北浜一丁目1番1号 | ||||
ウィキプロジェクト |
西暦 | 年号 | 略年譜 |
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1993年 | 平成5年 | 八幡浜・大洲地域地方拠点都市地域に指定される |
1999年 | 平成11年 | 瞽女トンネル (2156m) が開通 |
2002年 | 平成14年 | 八幡浜市保内町合併協議会発足 |
2005年 | 平成17年 | 八幡浜市・保内町合併 |
この節の加筆が望まれています。 |
柑橘農業、水産業、水産関連食品製造業、造船業などが主要産業となっている。ミカン栽培は明治の中頃から始まったといわれ、100年の歴史を有するとともに、その品質の良さは全国的に有名である。水産業は、トロール漁業を核として各種漁船漁業、養殖漁業も盛んで、西日本有数の水揚高を誇る水産市場は大消費地への水産物供給基地として重要な役割を果たしている。
農業では、農家数、経営耕地面積ともに減少傾向にあり、逆に耕作放棄地面積は増加している。さらに、後継者不足もあって農業従事者の平均年齢は2010年(平成22年)で60.9歳となっており、愛媛県内では最も平均年齢が低い(県平均66.9歳)とはいえ、高齢化が進んでいる。柑橘類の生産量が全国で1位2位を争う愛媛県内にあって、八幡浜市のミカン生産量は県内1位を誇り、山の斜面に広がるミカンの段々畑はミカン産地を代表する景観である。
八幡浜の柑橘栽培は、リアス式海岸で、土地が狭いという農業には不向きな地形的条件を段々畑という途方もない努力で克服し、また、宇和海に対して南西方向に面しているという自然の条件を上手く活かして形成されている。美味しいミカンづくりの条件は、土壌を適度に乾燥させるほどよい潮風と光合成を促す太陽の“光”にある。八幡浜のミカンは、「太陽からの直射日光」「海面からの照り返し」「段々畑を形成する石積みからの輻射熱」という「3つの太陽」の恵みをいっぱい浴びて育っている。
市南部の真穴地区のミカン農家では、毎年ミカンの収穫時期に「みかんの里シーズンアルバイター事業」を実施している。この事業も2014年(平成26年)度で21年目を迎え、延べ1,130名を超える若者が収穫作業に参加している。農村活性化事業としての話題性も高く、注目を集めている。
古くから地域の交易の拠点地として栄えた商港・八幡浜は、四国有数の規模を誇る魚市場を有する水産業のまちでもある。トロール漁業の基地として知られ、最盛期には27統(54隻)を数えていたが、現在は1統(2隻(各125トン))が操業を続けている。漁業の一時代を築いたトロール漁業による豊富な海の幸は、水産物加工業を生み出し、かまぼこ、じゃこ天などの製品は港から九州、関西など各地へと運ばれる。
しかし近年、漁獲量の伸び悩みや魚価の低迷、燃料費の高騰など、水産業をとりまく環境は大変厳しいものがある。そこで、高度衛生管理型荷さばき所の整備、生産者と流通業者の支援などを施策とした市水産振興基本計画を2011年(平成23年)3月に策定し、港湾施設の整備とともに「みなとまち八幡浜」の再生に取り組んできた。
2013年(平成25年)4月に、食の安心安全を求める声の高まりを受け、衛生管理に対応した清潔な市場へと生まれ変わった。また、隣接地にはにぎわい空間として道の駅・みなとオアシス「八幡浜・みなっと」も整備され、地元だけでなく近隣市町からも多くの人が訪れる「みなとまち八幡浜」再生の中心的な施設となっている。
魚市場に隣接した「八幡浜みなっと」内にある海産物直売所「どーや市場」ではとれたての八幡浜の魚が浜値で販売されるとあって、毎日大勢の客でにぎわっている。
2010年(平成22年)の製造品出荷額等の総額は344.4億円となっており、横ばい傾向から減少傾向に転じている。業種別に製造品出荷額等を見ると、主要産業である水産物加工業を中心とした食料品製造業が年々比重を高めており、平成22年では全体の7割弱を占めている。また、市内には、造船所が立地している。
かつては伊予の大阪とも呼ばれ、商業都市として隆盛を誇った。商店街も県内屈指の長さを持つアーケード街があり、毎月8日にやわたはま八日市委員会が「やわたはま八日市」を開催しており、2014年(平成26年)11月8日で30周年を迎えた。
日土小学校はその校舎が建築学的に高く評価されており、見学希望者向けに年3回見学会が催されている(参考:[1])。詳細は同校の項目参照。
詳細は八幡浜港を参照。
地方港湾(特定地域振興重要港湾)の八幡浜港は四国の西の玄関口として、対九州との連絡港(2,500〜3,000トンのフェリーボートが八幡浜 - 臼杵間を1日14往復、八幡浜 - 別府間を1日6往復、計1日20往復)の役割を果たし、2011年(平成23年)で年間31.1万台の乗降車両、39.6万人の乗降客が八幡浜港を利用する物流の拠点となっている。今後は東九州自動車道の全通と相まって、九州と京阪神を結ぶ太平洋新国土軸の一部としての役割も期待されている。
第三種漁港である八幡浜漁港はトロール漁業基地となっており、西日本でも有数の魚種の多い水揚げを誇っており、八幡浜港と合わせて港湾・漁港の集約的整備による賑わいあふれる交流空間の創出、交流人口の増加、経済活動の活性化の促進等を目標とした「八幡浜港(港湾・漁港)振興ビジョン」が策定され、旧水産市場地先等水面埋立地に、高度衛生管理型荷捌所(新魚市場)、道の駅・みなとオアシス「八幡浜・みなっと」が2013年(平成25年)に完成している。
国道197号、国道378号などがあり、四国8の字ルートと大洲市北只で接続する地域高規格道路「大洲・八幡浜自動車道」の整備が進められている。このうち「名坂道路」が2013年3月17日に供用開始され、「夜昼道路」も同年5月に新規事業化された。「八幡浜道路」は2023年3月25日に開通した。四国8の字ルートに直結するためには、残る「大洲西道路(仮称)」3kmの事業化を早期に進める必要がある。また、東九州自動車道の全線開通が間近に迫っており、その際は航路、地域高規格道路、四国8の字ルートを経由するコースが東九州地区と京阪神を結ぶ最短コースとなり、太平洋新国土軸として機能することが期待されている。
一般道では国道197号が市街地の中心を通り、大洲市および伊方町へ通じ、市域を東西方向に横断しており、国道197号と江戸岡交差点で交差する国道378号が八幡浜市中心部と西予市三瓶、八幡浜市保内中心部と大洲市長浜に通じているが、同交差点に交通が集中することで渋滞が慢性化している。主要地方道については、八幡浜三瓶線、八幡浜宇和線が西予市と結び、北部方面では長浜保内線が大洲市北部と結ぶほか、八幡浜中心部には八幡浜港に通じる八幡浜港線がある。また、主な一般県道として、八幡浜市内各地を結ぶ八幡浜保内線、舌間八幡浜線が幹線道路網を補完している。このように、八幡浜市は国道と主要地方道により放射状の幹線道路網を形成している。
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