ニュースピーク(Newspeak、新語法)はジョージ・オーウェルの小説『1984年』(1949年出版)に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が実在の英語をもとにつくった新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を考えられないようにして、支配を盤石なものにすることである。
小説『1984年』は、執筆時点からは未来に当たる1984年に、世界を3つの超大国が分割支配し管理社会を建設している様を描いている。ニュースピークは小説の主要な舞台となる「オセアニア」という超大国(かつての英米をはじめとする英語圏を主要な支配地域とする)の公式言語であり、オセアニアを支配する「党」が英語(作中では「オールドスピーク」、「旧語法」と呼ばれる)をもとに作成を進めている新しい言語である。
その目的は、党の全体主義的イデオロギー(「イングソック」、Ingsoc、映画版では独裁政党の名前でもある)にもとづいて国民の思想を管理し、その幅を縮小し一方向に導き、イングソックのイデオロギーに反する思考(「思考犯罪」、thought crime、ニュースピークでは「crimethink」)ができなくなるようにすることである。ニュースピークは国民の思考を単純化するために、辞典の改訂版が出るたびに旧語法に由来する語の数を削減しており、オーウェルは作中で「世界で唯一、毎年語彙の数が減ってゆく言語」と述べている。
オーウェルは小説の末尾に「付録・ニュースピークの諸原理」と題するエッセイを載せ、この中でニュースピークについての基本原理を過去形の形で述べている。
ニュースピークにつながるジョージ・オーウェルの思考の起源は、1946年のエッセイ『政治と英語』(Politics and the English Language)に表れている。ここで彼は同時代の英語の貧困化を嘆き、メタファーの劣化、気取ったレトリック、意味のない言葉などが思考のあいまいさや論理的思考の欠如の原因となると述べている。エッセイの終わりでオーウェルは述べている。
……私は、われわれの言葉の堕落は治療可能だと先に述べた。これに反対する者は、もし真っ向から議論するのなら、言葉は現実の社会情勢の単なる反映に過ぎず、語彙や文法をどう直接つぎはぎしても、その発展に影響を及ぼすことはできないと議論するだろう。
オーウェルの時代の英語の退廃が、話者を抑圧するために故意に悪用されている状況を比喩的に描いたものが、『1984年』におけるニュースピーク使用の強制についての描写である。
ニュースピークはかつての英語にもとづいているが、その文法と語彙は大きく削減され単純化されている。
もっとも完全にニュースピークだけで表されたものは1984年段階では『タイムズ』など一部の新聞などしかなく、人々はまだニュースピークだけを使って読み書きすることはできずオールドスピークを利用している。しかし、将来、『ニュースピーク辞典第11版』で語法が完成し、ニュースピークの普及がより一層進めば、2050年ごろまでにはオールドスピークは廃止されるべきとされている。オールドスピークが完全に忘れられた時代には、イングソック以前についての記憶やイングソック以前の旧思想は、少なくとも文字によるかぎり成立しないはずである。
ニュースピークは3つの群に分類できる。
まず、あらゆる単語はイデオロギーに反するような意味を制限され、しかも、品詞間の転用が自在におこなえ、動詞にも名詞にも転用でき、さらに「-ful(フル)」をつけることで形容詞に、接尾辞の「-wise(ワイズ)」をつけることで副詞にも使えるようになっている。このため、意味の似た動詞、名詞、形容詞などが一つだけに整理されている。また、すべての過去形と過去分詞は「-ed」に単一化され、複数形は「-s」「-es」に、比較級は「-er」に、最上級は「-est」に完全に統一されている。このため、名詞の不規則な複数形や、動詞や形容詞の不規則変化や、「more」「most」といった語は廃止された。
また、否定を意味する接頭辞の「un- (アン)」をつけることで反対語が表現できるほか、「plus- (プラス、とても)」、「doubleplus- (ダブルプラス、非常に)」、「ante- (アンティ、前)」、「post- (ポスト、後)」、「up- (アップ、上)」などの接頭語をつけることで大半の語彙は置き換えることができたため、英語の基本語彙は相当な数が削減されている。
すべての語は二音節または三音節の短さに縮められ、スタッカートのリズムで歯切れよく発音できるように工夫されている。これは、国民が話す際に口にする言葉について深い意味を考えることなく、「明確で正しい意見」だけを早口でまくしたてられるようにするためである。用語が少なくなってゆくことも、話したり演説したりする際の語彙の選択肢を減らし、物を考えずに「正しいこと」だけを話すことに貢献する。
作中の政府組織、党組織、公共団体などの名称は覚えやすく話しやすくするために二音節程度の短さの簡単な略語にされている。たとえば、「真理省(Ministry of Truth)」は「ミニトルー(Minitrue)」、その中の記録局(Records Department)はレクデップ(Recdep)、創作局(Fiction Department)はフィクデップ(Ficdep)、テレスクリーン番組製作局(Tele-programmes Department)はテレデップ(Teledep)といった調子である。
これは無意識的に略称にされたのではなく、意識的に短縮されている。すなわち、勢いよく発音できること、およびそれぞれ省略される前の「真理」や「記録」などの言葉にかかわる連想を切り落とし、単なる組織体しか表さない言葉に変え、口にする際に一瞬考え込むことを防ぐためである。
オーウェルはこうした政治的組織に対する略語の例として、20世紀前半の全体主義運動における略語の多さを指摘し、ソビエト連邦とナチス・ドイツにかかわる略語の名を挙げている。コミンテルンを例にとれば、「共産主義インターナショナル」と呼んだときに、「共産主義」「インターナショナル」から連想される理想や運動は「コミンテルン」と略されたとたんに単なる組織と教義に過ぎなくなると述べている。
2050年までには - たぶんもっと早めに - 旧語法に関する実際的な知識はことごとく消滅してしまっているだろうね。過去の全文学も抹殺されているだろう。チョーサー、シェイクスピア、ミルトン、バイロン - 彼らだって新語法の版でしか存在すまい。全く異質のものに変わっているばかりではない、実際にはもとの姿とは正反対のものにさえ変わっているのだ。党の文学だって変わるよ。スローガンも変わるね。自由の概念が廃棄されたら、「自由は屈従である」というスローガンの存在価値はあるだろうか。思想の全潮流は一変してしまうだろう。現実にいまわれわれの理解しているような思想は存在しなくなる。正統とは何も考えないこと - 考える必要がなくなるということだ。正統とは意識を持たないということになるわけさ — 新語法の専門家サイムの、主人公に対する言葉(オーウェル『1984年』)
ニュースピークの基本的な原理は、表す言葉が存在しないもののことは考えることができない、ということにある。たとえば、自由の必要性を訴えたいとき、蜂起を組織するとき、これを言い表す「自由」や「蜂起」といった単語がなければ自由を訴えたり組織をつくったりすることは可能かどうかである。「われわれの言語の限界は、われわれの世界の限界でもある」ともいえる。
ニュースピークの最終版が完成し、普及した暁にはもはや党や政府に対し反抗を行うことはできなくなるであろうと考えられている。また過去との完全な断絶も実現する。過去の文献がたまたま生き残っても、思想的な内容の含まれない文章か正統的思想で書かれた文章しか読めないニュースピーク話者には、内容を理解し翻訳することすら不可能になると考えられる。オーウェルはアメリカ独立宣言の有名な一節に対し、これを原文の意味を失わずニュースピークに変えるのは困難であり、せいぜい全文を「思想犯罪」の一語に置き換えるか、絶対権力の賞賛という正反対の意味へ全訳するしかないだろうと述べている。
しかし、人口の85%を占める「プロレ」(プロレタリアートの略、抑圧されている一般大衆)にまでニュースピークが普及するかは疑問があるものの、プロレは政治に関わることのない下層階級として無視されている。また、過去の文学や文献を全面的にニュースピークに置き換えることは多大な時間がかかるため、旧語法の完全廃止は2050年という遠い未来に設定されている。
ニュースピークの構造、たとえば「バッド」を「アングッド」と言い換えるなどには、現実の国際補助語や軍隊などの用語の影響も指摘されている。
『1984年』で指摘された政府による抑圧や管理はソビエト連邦では実際に進行中であった。また、ソビエトが崩壊した現在も、形の違う抑圧や思想の統制、あるいは婉曲話法や略語の多用などは多くの国の政府や軍や政党、あるいは権威的存在によって多少の差こそあれ実施されている。こうした婉曲話法は思想統制や管理体制に反発する人々によって「ダブルスピーク」と呼ばれ非難されている。
スティーブン・ピンカーは、著書『言語を生みだす本能』の中でサピア=ウォーフの仮説を批判しつつ、心的言語で考えることが可能な概念を表現するために、ニュースピーク話者の子供らによってニュースピークがクレオール化され、本来の機能が失われる可能性について述べている。
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