ジャンカルロ・カルロス・アルバラード・マルティネス(Giancarlo Carlos Alvarado Martinez, 1978年1月24日 - )は、プエルトリコ自治連邦区サンファン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
広島時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | プエルトリコ自治連邦区サンフアン |
生年月日 | 1978年1月24日(46歳) |
身長 体重 | 6' 4" =約193 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1995年 アマチュアFA |
初出場 | CPBL / 2004年6月30日 NPB / 2010年3月27日 |
最終出場 | CPBL / 2008年10月7日 NPB / 2012年6月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | プエルトリコ |
WBC | 2009年、2013年 |
この表について |
獲得メダル | ||
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プエルトリコ | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
銀 | 2013 | 野球 |
NPBでの登録名は2010年のみジオ、2011年以降はジオ・アルバラード。
1995年にアマチュアフリーエージェント選手としてピッツバーグ・パイレーツに入団し、同年にガルフ・コーストリーグでデビューした。2001年までパイレーツ傘下の球団で投げたが、2002年はミルウォーキー・ブルワーズの傘下及び独立リーグのサンアンジェロ・コルツに、さらに2003年にはデトロイト・タイガース傘下に移籍した。
2004年から2005年途中まではマイナーリーグには所属せず、独立リーグ、CPBL、メキシカンリーグを渡り歩いた。2005年にシンシナティ・レッズに獲得されマイナーに復帰した。
2007年は、再びメキシカンリーグでプレーし、2008年にはロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム傘下のソルトレイク・ビーズでAAA級での初登板を果たした。
2008年はCPBLの統一セブンイレブン・ライオンズの一員としてアジアシリーズに出場し、埼玉西武ライオンズとの決勝戦で先発した。
2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のプエルトリコ代表に選出された。シーズンではAAA級アルバカーキ・アイソトープスで、13勝10敗、防御率3.49の成績を収めた。その後、フリーエージェント(FA)となった。
2009年12月1日に広島東洋カープと契約を結んだ。背番号は91。
2010年は開幕ローテーション入りしたものの、調子が上がらず4月11日に二軍落ち。一軍復帰後の6月13日、対埼玉西武ライオンズ戦で日本での初勝利を挙げると徐々に調子を上げ、夏場からは前田健太に次ぐ先発ローテの中心的存在になった。7月20日の対阪神タイガース戦では4回まで無安打に抑えるも、5回に四球を与えたところで肩に違和感を訴え降板。直後に代わった岸本秀樹が本塁打を打たれ、先発投手としては珍しい「無安打での敗戦投手」となった。9月4日の対阪神タイガース戦では、初回に初球から2球連続でマット・マートン、平野恵一に死球を与え、さらに城島健司にも死球を与えた。1イニング3与死球は1979年の西本聖以来、セ・リーグ史上2人目の最多タイ記録となった。ただし、2回裏には日本での初打点となる同点打を放ち、6回2/3を3失点に抑えて勝利投手となっている。最終的には8勝8敗、防御率4.07とまずまずの成績を残した。
2011年は防御率は2.72を記録したものの、故障の影響もあり3勝7敗に終わり、11月24日に広島を戦力外となった。
2012年1月6日に横浜DeNAベイスターズに入団した。背番号は61。
同年は先発が手薄なチーム事情もあり、開幕後は先発ローテーションを任されたが、1勝6敗と負け越した。防御率は3.92だった。10月10日に外国人チームメイト4人(ブランドン・マン、オスカー・サラサー、ランディ・ルイーズ、ボビー・クレイマー)と共に戦力外通告を受け、16日にブランドンを除く3人(サラサー、ルイーズ、クレイマー)と共に自由契約公示された。
2013年3月に開催された第3回WBCのプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。WBC終了後にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだが、開幕前にFAとなりメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズでプレー。6月6日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、AAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレー。オフの11月には、アジアシリーズ2013に出場するイタリアンベースボールリーグのフォルティチュード・ボローニャと契約。統一セブンイレブン・ライオンズ戦に先発したが、1回と3分の1を4失点で敗戦投手となった。
2014年もメッツとマイナー契約を結び、AAA級ラスベガスでプレー。
2015年5月9日にメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約するが、26日にFAとなる。その後、7月15日にベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズと契約し、3年ぶりに日本球界に復帰した。この年限りで退団した。
2018年にサンディエゴ・パドレス傘下ショートシーズンA級のトリシティ・ダストデビルズの投手コーチに就任。2019年まで務めた。
2023年より、メキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズの投手コーチを務めている。
左足を三塁側に極端にクロスステップする投げ方で、190cmを超える長身や球離れの遅さも相まって、右打者にとっては打ちづらい投手と評価されている。持ち球は不規則に動く平均球速約139km/hの速球、チェンジアップ、カット・ファスト・ボール、シンカーである。さらに2011年は落ちる球種の取得を目指し、春季キャンプで臨時コーチを務めた野茂英雄からフォークについて直接指導を受けた。
プエルトリコでは200人の生徒を抱えるモデル養成学校を運営している。妻が元モデルだったことが学校創設のきっかけとなったという。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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2004 | 誠泰 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 48 | 11.0 | 8 | 1 | 8 | 0 | 1 | 5 | 1 | 1 | 6 | 6 | 4.91 | 1.45 |
2008 | 統一 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 46 | 13.0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1.38 | 0.62 |
2010 | 広島 | 20 | 20 | 1 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 501 | 119.1 | 110 | 14 | 37 | 0 | 7 | 97 | 4 | 5 | 60 | 54 | 4.07 | 1.23 |
2011 | 18 | 17 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 417 | 99.1 | 82 | 5 | 34 | 2 | 7 | 88 | 3 | 7 | 33 | 30 | 2.72 | 1.17 | |
2012 | DeNA | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | .143 | 179 | 39.0 | 46 | 2 | 18 | 0 | 2 | 42 | 0 | 0 | 18 | 17 | 3.92 | 1.64 |
CPBL:2年 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 94 | 24.0 | 15 | 1 | 9 | 0 | 1 | 20 | 1 | 1 | 8 | 8 | 3.00 | 1.00 | |
NPB:3年 | 46 | 45 | 1 | 0 | 0 | 12 | 21 | 0 | 0 | .364 | 1097 | 257.2 | 238 | 21 | 89 | 2 | 16 | 227 | 7 | 12 | 111 | 101 | 3.53 | 1.27 |
年 度 | 球 団 | 登 板 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | 完 投 | 勝 率 | 投 球 回 | 打 者 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 奪 三 振 | 与 四 球 | 与 死 球 | 失 点 | 自 責 点 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 策 | 防 御 率 | W H I P |
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2015 | 信濃 | 16 | 0 | 0 | 2 | 0 | ---- | 16.1 | 67 | 9 | 0 | 19 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.00 | 0.93 |
通算:1年 | 16 | 0 | 0 | 2 | 0 | ---- | 16.1 | 67 | 9 | 0 | 19 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.00 | 0.93 |
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