クレイグ・ブレスロウ: アメリカの野球選手、エグゼクティブ (1980-)

クレイグ・アンドリュー・ブレスロウ(Craig Andrew Breslow, 1980年8月8日 - )は、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。ユダヤ系アメリカ人である。

クレイグ・ブレスロウ
Craig Breslow
クレイグ・ブレスロウ: 経歴, 投球スタイル, 人物
オークランド・アスレチックス時代
(2011年6月7日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州ニューヘイブン
生年月日 (1980-08-08) 1980年8月8日(43歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 MLBドラフト26巡目
初出場 2005年7月23日 フィラデルフィア・フィリーズ
最終出場 2017年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム イスラエルの旗 イスラエル
WBC 2017年

経歴

プロ入りとブルワーズ傘下時代

名門イェール大学生物物理学生化学学位を取得後、2002年MLBドラフト26巡目(全体769位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名を受け、6月6日に契約。契約後、傘下のパイオニアリーグのルーキー級オグデン・ラプターズ英語版でプロデビュー。23試合に登板して6勝2敗2セーブ・防御率1.82・56奪三振の成績を残した。

2003年はA級ベロイト・スナッパーズ英語版でプレーし、33試合に登板して3勝4敗2セーブ・防御率5.12・80奪三振の成績を残した。

2004年はA+級ハイデザート・マーベリックスでプレーし、23試合に登板して1勝3敗・防御率7.19・41奪三振と振るわず、7月6日に自由契約となった。

独立リーグ時代

2004年シーズン途中に自由契約となった後は独立リーグ・ノースイーストリーグニュージャージー・ジャッカルズに加入。19試合に登板して3勝1敗1セーブ・防御率4.10・37奪三振の成績を残した[要出典]

パドレス時代

2005年3月3日サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。7月23日にパドレスとメジャー契約を結び、この年は14試合に登板。防御率は2.20だった。オフの12月21日にノンテンダーFAとなった。

レッドソックス時代

2006年2月1日ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。開幕をAAA級ポータケット・レッドソックスで迎え、7月13日にレッドソックスとメジャー契約を結んだ。この年は13試合に登板して0勝2敗・防御率3.75・12奪三振の成績を残した。

2007年3月17日にAAA級ポータケットへ異動し、開幕を迎えた。この年はAAA級ポータケットで49試合(先発1試合)に登板して2勝3敗1セーブ・防御率4.06・73奪三振の成績を残した。

2008年3月6日にレッドソックスと1年契約に合意した。

インディアンス時代

2008年3月23日ウェイバー公示を経てクリーブランド・インディアンスへ移籍した。開幕後は7試合に登板したが、5月23日ジョー・ボロウスキーの復帰に伴ってDFAとなった。

ツインズ時代

2008年5月29日にウェイバー公示を経てミネソタ・ツインズへ移籍した。移籍後は42試合に登板して0勝2敗1セーブ・防御率1.63・32奪三振の成績を残した。

2009年は17試合に登板して1勝2敗・防御率6.28・11奪三振の成績を残した。

アスレチックス時代

2009年5月29日にウェイバー公示を経てオークランド・アスレチックスへ移籍。移籍後は60試合に登板して7勝5敗・防御率2.60・44奪三振の成績を残した。

2010年3月8日にアスレチックスと1年契約に合意。この年は75試合に登板し、4勝4敗5セーブ・防御率3.01・71奪三振の成績を残した。

2011年1月25日にアスレチックスと140万ドルの1年契約に合意した。この年は67試合に登板して0勝2敗・防御率3.79・44奪三振の成績を残した。

ダイヤモンドバックス時代

2011年12月9日ライアン・クックコリン・カウギルジャロッド・パーカーとのトレードで、トレバー・ケーヒルと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。

2012年2月8日にダイヤモンドバックスと179万5000ドルの1年契約に合意。開幕後はトレードまでの間で40試合に登板して2勝0敗・防御率2.70・42奪三振の成績を残した。

レッドソックス復帰

クレイグ・ブレスロウ: 経歴, 投球スタイル, 人物 
ボストンでの優勝パレードでダックボートに乗って手を振る。右から上原、田澤、ブレスロー。(2013年11月2日)

2012年7月31日スコット・ポドセドニックマット・アルバースとのトレードで、古巣のレッドソックスへ移籍した。移籍後は23試合に登板して1勝0敗・防御率2.70・19奪三振の成績を残した。

2013年1月24日にレッドソックスと総額625万ドルの2年契約(2015年・400万ドルの球団オプション付き)を結んだ。左肩腱炎のため開幕から故障者リスト入りしたが、5月7日からセットアッパーとして復帰し、右腕の田澤純一上原浩治等と共にレッドソックスのリリーフ陣を牽引した。このシーズンは61試合の登板で、5勝2敗・防御率1.81(ア・リーグ左腕の救援投手3位)、WHIP1.12と優秀な成績を残した。特に後半戦は自責点2と、クローザーの上原と遜色の無い成績だった。自身初のポストシーズンにおいてもその活躍は続き、ディビジョンシリーズでは3試合に登板し、2安打無失点4奪三振2四死球、WHIP0.82の成績でレッドソックスの勝利に貢献。続くリーグチャンピオンシップシリーズでも4試合に登板し、1安打無失点2奪三振4四球、WHIP1.50の成績を残し、対戦相手であるデトロイト・タイガースジム・リーランド監督から、“レッドソックスの先発投手陣は良いが、救援陣は圧倒的だ”と賞讃された。しかしながらワールドシリーズでは、4試合の登板で、3安打3失点3四死球、WHIP15.0という惨憺たる成績に加え、アウトは第2戦での犠飛1つしか奪えておらず、しかもその際には三塁への暴投により2点目を献上するなど、絶不調に陥った。しかしながらチームは踏ん張り、レッドソックスはワールドシリーズを制覇した。

2014年3月27日に左肩の故障で、15日間の故障者リスト入りした。4月3日にリハビリのため、AAA級ポータケットへ異動した。同月9日にメジャーへ昇格。以降リリーフとしてコンスタントに登板を重ねた。8月までは防御率4.65であったが、9月は8試合に登板して11失点(自責点10)、防御率22.5、WHIP3.75と絶不調に陥った。6年連続の60試合登板を達成した一方で、終盤の不調が大きく響き、防御率5.96、WHIP1.86はそれぞれ自己ワースト記録を更新した。オフの10月31日にレッドソックスが球団オプションを破棄したため、FAとなった。

2015年1月6日にレッドソックスと200万ドルの1年契約で再契約した。不振からの脱却を期する同シーズンは、45試合に投げて通算500試合登板を達成した。投球内容は、0勝4敗と未勝利に終わったが、防御率を4.15まで低下させて、やや復調の兆しを見せた。一方、65.0イニングで、自身初の二桁被弾となる12本もの本塁打を打たれ、球の軽さが目立った。11月2日にFAとなった。

マーリンズ時代

2016年2月12日マイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。開幕メジャー入りするも、5月11日にDFAとなり、13日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ配属された。7月18日に自由契約となった。

レンジャーズ傘下時代

2016年7月24日テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。8月9日に自由契約となった。

ツインズ復帰

2017年2月8日にツインズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。同日には第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)本戦のイスラエル代表に選出された。イスラエル代表敗退後の3月20日にメジャー契約を結んで40人枠入りした。7月24日にDFAとなり、29日に自由契約となった。

インディアンス復帰

2017年8月4日にインディアンスとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級コロンバス・クリッパーズで7試合に登板後、8月26日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。オフの11月2日にフリーエージェント(FA)となった。

ブルージェイズ傘下時代

2018年2月12日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んでスプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが、3月24日に自由契約となった。4月3日にブルージェイズと再びマイナー契約を結んだ。マイナーリーグで33試合に登板したものの、防御率5.77と結果を残せず、メジャーリーグに昇格できずに終わった。

引退後

2019年1月14日、公式な引退宣言はなかったが、シカゴ・カブスの戦略主導担当ディレクターに就任。

投球スタイル

速球は最速148km/hほどであり、ツーシームフォーシームを投げる。 また、変化球としてはスライダーを得意としており、以前より球速も上がっているため、カッターと思われやすい。他には、100km/h台のカーブと、約120km/hのチェンジアップを投げる。 奪三振は多くなく、K/BBは2.00、ゴロ/フライ比率は1.00程度であり、打たせて取る傾向のある投手である。

人物

名門イェール大学出身であり、2010年にスポーツ専門メディア『Sporting News』が特集した“20 smartest athletes in sports”(スポーツ界で最も賢い20人)では、堂々の1位に輝いた。同僚のライアン・ラバーンウェイ捕手もイェール大学出身であり、2013年8月18日にはMLB史上初となるイェール大学出身者同士のバッテリーが実現した。イェール大学出身者がチームメイトになるのは、63年ぶり2度目であった。また、“Strike 3 Foundation”というチャリティ財団を自ら設立、運営しており、2013年9月には、ロベルト・クレメンテ賞にノミネートされた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 SD 14 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 78 16.1 15 1 13 0 1 14 1 0 6 4 2.20 1.71
2006 BOS 13 0 0 0 0 0 2 0 3 .000 55 12.0 12 0 6 1 1 12 2 1 5 5 3.75 1.50
2008 CLE 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 40 8.1 10 1 5 0 0 7 0 0 3 3 3.24 1.80
MIN 42 0 0 0 0 0 2 1 5 .000 149 38.2 24 0 14 2 0 32 4 1 9 7 1.63 0.98
'08計 49 0 0 0 0 0 2 1 5 .000 189 47.0 34 1 19 2 0 39 4 1 12 10 1.91 1.13
2009 17 0 0 0 0 1 2 0 2 .333 64 14.1 11 3 11 0 1 11 3 0 11 10 6.28 1.53
OAK 60 0 0 0 0 7 5 0 13 .583 217 55.1 37 5 18 0 2 44 0 1 20 16 2.60 0.99
'09計 77 0 0 0 0 8 7 0 15 .533 281 69.2 48 8 29 0 3 55 3 1 31 26 3.36 1.11
2010 75 0 0 0 0 4 4 5 16 .500 304 74.2 53 9 29 4 0 71 0 1 26 25 3.01 1.10
2011 67 0 0 0 0 0 2 0 8 .000 261 59.1 69 4 21 1 2 44 3 0 29 25 3.79 1.52
2012 ARI 40 0 0 0 0 2 0 0 4 1.000 180 43.1 38 5 13 0 1 42 1 0 15 13 2.70 1.18
BOS 23 0 0 0 0 1 0 0 5 1.000 81 20.0 14 0 9 2 1 19 1 0 7 6 2.70 1.15
'12計 63 0 0 0 0 3 0 0 9 1.000 261 63.1 52 5 22 2 2 61 2 0 22 19 2.70 1.17
2013 61 0 0 0 0 5 2 0 13 .714 237 59.2 49 3 18 0 2 33 2 0 16 12 1.81 1.12
2014 60 0 0 0 0 2 4 1 2 .333 260 54.1 73 8 28 1 2 37 3 1 40 36 5.96 1.86
2015 45 0 0 0 0 0 4 1 1 .000 280 65.0 69 12 23 5 2 46 2 0 33 30 4.15 1.42
2016 MIA 15 0 0 0 0 0 2 0 2 .000 63 14.0 21 1 4 0 0 7 0 0 9 7 4.50 1.79
2017 MIN 30 0 0 0 0 1 1 0 0 .500 143 31.0 38 4 12 2 2 18 1 0 19 18 5.23 1.61
CLE 7 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 16 4.1 3 0 2 0 0 5 0 0 2 2 4.15 1.15
'17計 37 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 159 35.1 41 4 14 2 2 23 1 0 21 20 5.09 1.56
MLB:12年 576 0 0 0 0 23 30 8 76 .434 2428 570.2 536 56 226 18 17 442 25 5 250 219 3.45 1.34

背番号

  • 49(2005年、2008年途中 - 2009年途中)
  • 54(2006年)
  • 58(2008年 - 同年途中)
  • 56(2009年途中 - 2011年)
  • 32(2012年 - 2015年)
  • 17(2016年)
  • 47(2017年 - 同年7月22日)
  • 40(2017年8月26日 - 同年終了)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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