キットカット (KitKat) は、ネスレ (Nestlé) が製造するチョコレート菓子。
販売会社 | ネスレ日本 |
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細長い長方形状のウエハースを重ねてチョコレートでコーティングし、棒状にした菓子で、これを4本または2本束ねたものがパッケージされる。
キットカットは販売地域の嗜好性に応じ、パッケージデザインは同じでも国や地域ごとに風味が異なる。アメリカ合衆国はザ・ハーシー・カンパニー、日本はネスレ日本がそれぞれ製造している。英語: Have a break, Have a KitKat. のキャッチコピーが有名。
英語での発音は「キッカ」などのように聞こえるが、本項では引用以外は日本で正規に製造販売するネスレ日本が定める『キットカット』とする。
キットカット ("Kit Kat") と称される食品が登場したのは18世紀のイギリスで、当時はミートパイのことを指した。18世紀初頭にロンドンで、クリストファー・カット (Christopher Catt) が経営していたタバーン(食堂)は、経営者の名前から「キット・カット」と呼ばれた羊肉のパイを出していた。クリストファーの当時の愛称はキットであった。政治的・文学的な集まり「キット・カット・クラブ」(Kit-Cat Club) の名の由来も、第一回の会合がこの食堂で開催されキット・カット・パイを食しながら話を進めたことにある。
チョコレート菓子のキットカットは、ヨークにあった菓子会社ロントリー (Rowntree's) が開発した。ロントリーは1911年に「キット・カット」("Kit Cat" および "Kit Kat")の商標を登録したが、即座にこの名前を商品に使用したわけではない。1920年代に「キット・カット」(Kit Cat) の名称を箱詰めチョコレートに使用したが、1930年代初頭に「ブラックマジック」(Black Magic) や「デイリーボックス」(Dairy Box) という商品に生産を集中してキットカットは生産されなくなった。
現在のキットカットと同じフォーフィンガーバー(4本のバーを束ねたチョコレートウェハース)の開発を始めたのは、工場の提案箱に「男性がランチパックに入れて職場に持って行けるようなチョコレートバーの開発を」という従業員から寄せられた提案がきっかけだった。1935年8月29日に「ロントリーズ・チョコレート・クリスプ」(Rowntree's Chocolate Crisp) の名でロンドンとイングランド南部一帯で発売した。
「チョコレート・クリスプ」は大ヒットしたが、1937年に覚えやすいように「キットカット・チョコレート・クリスプ」(Kit Kat Chocolate Crisp) と改名され、宣伝戦略として「キットカット」の名と「ブレイク」(Break、「休憩しよう」と「バーを割って食べよう」の掛詞)というコンセプトで大々的に広報した。しかし1942年、第二次世界大戦の激化で食料の配給が滞り、牛乳が十分に入手できなくなったロントリーは、従来の赤いパッケージとレシピを変更し、青いパッケージで「ダーク」味に変更された「キットカット」(チョコレート・クリスプという部分はこの時点から消えた)を発売、「従来のチョコレート・クリスプは戦争が終わるまで作れません」と広告した。1949年に牛乳の供給が回復したため、戦前の「ミルク」味と赤いパッケージが復活したが、同時期のブランド戦略の開始により名称は覚えやすい「キットカット」のままとなった。
1940年代に、イギリスでの成功を受けてカナダ、南アフリカ、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドと輸出先を広げた。1958年から広告代理店 JWT Orland の取締役 Donald Gilles が「Have a Break, Have a Kit Kat」のキャッチコピーを作り、テレビコマーシャルなどで使用されて今日まで至る。1969年にロントリーは、同業の製菓会社ジョン・マッキントッシュと合併してロントリー・マッキントッシュになった。1970年代にロントリー・マッキントッシュは、西ドイツに工場を設けてヨーロッパへ供給を開始し、アメリカ合衆国で1970年にハーシーズと、日本で1973年から不二家とブランド使用と生産に関する合意を交わしてそれぞれ発売した。1988年6月にロントリー・マッキントッシュはネスレ社に買収され、キットカットの国際展開もアメリカ合衆国を除いてネスレが一手に引き受けることになり、ネスレはアジアの需要の高まりに対して日本、マレーシア、インド、中国に新工場を建設した。アメリカでは従来通りハーシーズが生産を続け、同社の全米売り上げのトップ5に入るブランドとなっている。
日本では1973年にイギリスのロントリー・マッキントッシュ社と提携した不二家から発売され、CMなどでも「マッキントッシュのキットカット」とうたわれていたが、ロントリー・マッキントッシュ社がネスレに吸収された関係で、1989年にネスレと不二家の合弁企業「ネスレマッキントッシュ」(当時不二家マッキントッシュ→ネッスルマッキントッシュ)を設立し、移管。ネスレマッキントッシュはネスレコンフェクショナリーに社名を変更した後、2010年にネスレ日本に吸収された。
2005年には、関連商品としてキットカットをチョコレートでコーティングしていない「クリスピー物語」も発売されている。
2010年8月30日に、発売以来の大幅なリニューアルを実施。37年ぶりにウエハースの食感を改良し、サクサク感を向上させた。
2011年3月に、ポケットタイプの中身をオリジナルサイズ2個から、ミニサイズ3個に変更した。
2014年1月に、パティシエ・高木康政による高級志向のキットカット専門店、「キットカット ショコラトリー」の1号店が池袋にオープン。キットカット専門店としては世界初となり、その後も全国展開を続けている。
2018年1月、天然ピンク色のチョコレート「ルビーチョコレート」を世界で初めて商品化した「サブリム ルビー」を期間限定で発売した。
1970年代半ば、ラジオCMにブレイク前のダウン・タウン・ブギウギ・バンドを起用し、社名のマッキントッシュ、製品名のキットカット、ゴールデン・トフィーを連呼するオリジナルCMソングが話題となった。
2009年の「キットメール」のCMは、カンヌ国際広告祭のメディア部門でグランプリを受賞した。 ※このほか小林克也がラジオCMを務めたことがある。
日本国内は、基本となるチョコレートのほかに2000年代から、ホワイトチョコ、宇治抹茶、ほうじ茶、わさび、ずんだ、いちご、ヨーグルト、巨峰、夕張メロン、マンゴー、パッションフルーツやバナナに信州リンゴ等、季節や地域を限定した商品を販売し、日本国外でも注目されている。レギュラー品のほか、スーパーやコンビニでは袋詰めのファミリーパックが多く出回っている。
ネスレ日本、ダイドードリンコの飲料自動販売機の一部でもキットカットが販売されている。 2010年11月に東海キヨスク運営の駅売店限定で発売された「キットカット 新幹線のぞみ号」はパッケージがN700系を模している。
イギリスでも「CHUNKY」というミニサイズ、ホワイトチョコ、ピーナツバターなどがある。1996年に世界最初となるミルクチョコレート味以外のキットカット「オレンジ味」が誕生し、味や形状の多様化が先行したのはイギリスである。
キットカットの名称が「きっと勝つ」と似ていることから、受験生が縁起担ぎに食べる現象があり、受験シーズンの験担ぎアイテムの元祖として有名。九州の方言では「キット」は現代語の「おそらく」ではなく断乎とした気持ち「間違いなく」の要素が強く、「カット」は「かっど」や「かっと」など「勝つ意気込み」の意を示すことから九州の受験生に人気を得た。これを発端に今では全国の受験生に圧倒的な人気となっている。この現象は、キットカット発祥の地イギリスのBBCでも世界的に報道され、それがきっかけとなって朝日新聞の天声人語にまで取り上げられた。世界的マーケティングの権威者であるフィリップ・コトラーも、その著「マーケティング原理」13版で取り上げている。包装紙にメッセージが書けるスペースが用意されている製品もある。
上記の「受験生を応援する」というコンセプトは「がんばる人を応援する」に進化し、災害被災地の復興支援という側面を持つようになった。その一環として、限定テイストの「寄付金付き企画シリーズ」が発足し、適宜発売されている。
2011年、東日本大震災が起き、震災の数日後に「キット、復旧かなう。」というメッセージとともに、段ボールに詰め込まれたキットカットが三陸鉄道に届いたことをネスレ日本が知り、継続支援の一環として地元との協働で「キット、ずっとプロジェクト」を発足。寄付金付き企画シリーズ商品の発売のほか、列車や駅舎のラッピング、草野球チーム「三陸鉄道キットDreams」の結成といった活動を展開した。
「キット、ずっとプロジェクト」は、企業の社会的責任(CSR)ではなく共有価値の創造(CSV)の考えに則り、あくまでも「キットカットのブランド価値向上」のマーケティング戦略として行うものとした。そのため寄付金付きキットカットの販売で得た寄付金は、建物の修復や整備には使わず、桜柄のラッピングや田老野球場の桜の植樹に使われている。単なる支援ではなく「キットカットのブランド価値向上」に徹することで、長期的な活動を可能としている。
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