オッピドゥム

オッピドゥム(oppidum)は町・城市(城砦都市)を意味するラテン語。複数形はoppida。とくに、近現代のケルト研究においては、ケルト人が築いた城市を指すことが多い。

オッピドゥム
メイドゥン・キャッスル(イギリス・ドーセット州

概要

旧ユーゴスラビアからスコットランド北部に至るヨーロッパ各地のケルト共同体は、危機的な時期に丘の上など自然の地形を生かした場所に防衛用の囲い地を築いた。のちにローマ人にオッピドゥムと呼ばれたこの囲い地は、ほぼ紀元前1000年より築かれるようになったが、ハルシュタット文化前期のオッピドゥムの形態は表面上の相似点はあるものの、集落を内包する規模のものや、緊急避難用もしくは集落の共同倉庫を防御するためと考えられる規模のものなど、用途によってさまざまである。紀元前6世紀になると、富裕な貴族階級によってオッピドゥムが建設されるようになった。

紀元前5世紀ごろからヨーロッパ中西部のケルト人の大移動が始まり、多くの古いオッピドゥムが放棄された。その一方で、紀元前5世紀から紀元後1世紀の間にブリタニア周辺で多くのオッピドゥムが建設され、都市として機能した。また、ローマ人の侵攻に備えるためにガリアでもオッピドゥムの新設が行われた。ケルト人のテリトリーがローマに併合される過程で多くのオッピドゥムが破壊されたが、ブダペストベオグラードなど、現代の大都市にはケルト人のオッピドゥムに由来するものも多い。

構造・技術

オッピドゥム 
ムルス・ガリクス

ハルシュタット文化後期に作られたホイネブルグ要塞の防塁はギリシアの建築技術に基づいて日干し煉瓦で作られた特異な例だが、ケルトの伝統的な土木技術では、木材のを交互に組んだ箱状のフレームの両端に垂直の石壁を組み、壁の後ろと木組みの内側に割栗石と土を詰め込んだ。ユリウス・カエサルが「ガリアの壁(ムルス・ガリクス)」と呼んだこの工法は火災や破城槌にも強く、ヨーロッパ全域に広く用いられた。

オッピドゥムは構造上入口となる部分が防御の弱点となりやすい。そのため、多くのオッピドゥムでは門をカバーするように追加の土塁が築かれている。

おもなオッピドゥムの例

古代名 (ラテン語) 古代名よみ 現代名 現代名よみ 支配部族 備考
Bibracte ビブラクテ - - アエドゥイ族(ハエドゥイ族) ビブラクテの戦いが行なわれた。
Bibrax ビブラクス Laon ラン近郊 レミ族 ベルガエ人とレミ族・ローマ軍の攻防があった。
Durocortorum ドゥロコルトルム Reims ランス レミ族(Remis)
Noviodunum ノウィオドゥヌム Soissons ソワソンなど スエッシオネス族(Suessiones)など いくつもの同名城市があった。

脚注

参考文献

  • バリー・カンリフ 著、蔵持不三也 訳『図説 ケルト文化誌』原書房、1998年。ISBN 456203145X 

関連項目

Tags:

オッピドゥム 概要オッピドゥム 構造・技術オッピドゥム おもなの例オッピドゥム 脚注オッピドゥム 参考文献オッピドゥム 関連項目オッピドゥムケルト人ラテン語城市城砦都市

🔥 Trending searches on Wiki 日本語:

ノケモノたちの夜トー横キッズ女王の教室内川聖一松坂大輔マックス・シャーザー黒木華女子高生コンクリート詰め殺人事件湯浅京己ほな・いこか高橋一生粗品 (お笑い芸人)袴田事件高橋奎二セサミストリート福岡市地下鉄七隈線陰茎鬼頭明里トレバー・バウアー草彅剛JAM Project大川隆法中村悠平西村拓真吉田正尚コンフィデンスマンJP村瀬歩NewJeans神木隆之介ブルーロックバングーナガンデ佳史扶内田侑希佳久創目黒蓮佐藤健 (俳優)前田佳織里デヴィ・スカルノ女性器斉藤和巳65/シックスティ・ファイブ深津絵里クレイトン・カーショウペルソナの密告 3つの顔をもつ容疑者ヨルシカ森本慎太郎菜々緒新井貴浩アリー・デベリー村山聖Berryz工房ランボー ラスト・ブラッド永野芽郁堤礼実松井裕樹田中好子ウイリー・ドーシー王様戦隊キングオージャー山崎怜奈大韓航空機爆破事件藤井聡太種﨑敦美田中沙耶ハッピーフライト吉高由里子ウィキペディア日本語版東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件櫻井孝宏ウエストランドポケットモンスター (アニメ)村西とおる奈緒松岡茉優日本テレビのアナウンサー一覧三笘薫ラヴィット!今永昇太川﨑宗則すきすきワンワン!ラダメル・ファルカオ🡆 More