アントニオ・ピエトランジェリ(Antonio Pietrangeli, 1919年1月19日 ローマ - 1968年7月12日 ガエータ)は、イタリアの脚本家、映画監督。「イタリア式コメディ」の重要人物である。
『ビアンコ・エ・ネロ』(Bianco e nero)や『チネマ』(Cinema)といった有名雑誌で映画批評を書き始める。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1943年)、アレッサンドロ・ブラゼッティ監督の『ファビオラ』(1948年)、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ヨーロッパ一九五一年』(1952年)と、アルベルト・ラットゥアーダ監督の『La Lupa』(1952年)といった作品の脚本を、イタリア特有の集団脚本執筆体制のなかで15本ほどに参加する。
1953年、34歳のとき、長篇劇映画『眼の中の太陽』で監督としてデビューした。自作の脚本づくりにルッジェーロ・マッカリとエットーレ・スコラを多く起用した。
1968年7月12日、ラツィオ州ラティーナ県ガエータで映画『Come, quando, perché』の撮影中に自動車事故で死去。49歳没。同作はヴァレリオ・ズルリーニ監督が完成させ、翌1969年7月31日に封切られた。アントニオ・ピエトランジェリは、映画監督で俳優のパオロ・ピエトランジェリの父である。
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