コペンハーゲン解釈(コペンハーゲンかいしゃく、英: Copenhagen interpretation)は、量子力学の解釈の一つである。それが何を指すかについて論者によってかなり幅があり、一致した見解はない。共通している点としては、「量子力学は本質的に非決定論的であり、測定によって特定の観測結果が得られる確率がボルンの規則に従うこと」がある。
量子力学を建設したボーアやハイゼンベルクたちの解釈を指すという意味で使われるが、両者の間にはかなり解釈の不一致がある。フォン・ノイマンが整備した量子力学の標準的な数学的手法に従う、という意味で使われることもある。
コペンハーゲン解釈という言葉は、1955年にハイゼンベルクによって初めて使われた。ハイゼンベルクは、量子力学には1927年から統一された解釈があると論じ、そのような認識が拡散したが、実際にはコペンハーゲンでボーアに影響を受けた者たちの間でも解釈にはかなり不一致がある。この言葉が広まった後に、様々な論者が様々な観点をコペンハーゲン解釈に結び付けた。アッシャー・ペレスは2002年に、コペンハーゲン解釈の意味は論者ごとに異なり、ときには正反対の定義が提示されると記した 。
コペンハーゲン解釈はまた、量子力学を数学的に整理したフォン・ノイマンの考え方、およびその計算手法に従うという意味で用いられる場合もある。これには単に計算できればいいという道具主義的な立場を含む。デヴィッド・マーミンは1989年に以下のように記した。「コペンハーゲン解釈を一文で要約するように言われたらこうなるだろう。『黙って計算しろ!』」。
ボーアやハイゼンベルクらの解釈を「コペンハーゲン解釈」、ノイマン流の考えを根幹とした解釈を「標準解釈」と呼び分ける場合もある。
ノイマンが1932年に行った定式化は
というものである。ノイマンの定式化は現代でも通用する。またハイゼンベルクの考えもノイマンに近い。しかしボーアとハイゼンベルクには一致しない点も多い。量子系と観測者の境界は、ハイゼンベルクによれば古典物理学の法則で記述できる領域内なら自由に動かせるが、ボーアによれば実験装置の仕様によって固定される。またボーアは古典物理学のいくつかの概念は、境界のどちらの側でも意味があるに違いないと主張した(量子系と観測者の境界をハイゼンベルク切断といい、その位置で波動関数が収縮する。境界の位置を変えても測定結果と矛盾しないとしても、それをどこに置くかについては様々な主張がある)。
ノイマンは、物心平行論(物理現象と精神はお互いに直接的な影響を及ぼさないとする考え)は科学的世界観にとって基本的な要請として、そのためには、この境界はどこにでも置けなければならないと論じた。一方でハイゼンベルクは、観測者は人でも装置でも構わないが記録する機能のみを持ち、主観的な特徴を自然の記述に持ち込んではいけないと論じた。
ボーアは、量子系と観測者(観測装置)を分離する考えを認めなかった。波動関数の収縮という考えを初めて導入したのはハイゼンベルクである。しかしボーアが波動関数の収縮という考えに言及したことは一度もない。ボーアは完全に客観的とみなせる測定装置と対象との間の相互作用を論じ、その相互作用の不可逆性を強調した。そしてより主観的なハイゼンベルクの解釈とは距離を置いた。ボーアは相補性原理を解釈の中心に据えた。その代表的な例が、波と粒子の二重性である。ただ相補性は非常に曖昧であり、ボーアに近い人々の間でも認識が一致していない。
特定の強い哲学的主張はコペンハーゲン解釈とは区別されることが多い。例えば人の意識が波動関数の収縮を起こすとする解釈(en)や、波動関数に対して強い主観的な解釈をする量子ベイズ主義は、コペンハーゲン解釈とは区別されることが多い。どこまでがコペンハーゲン解釈に含まれるのか、についての合意はない。
量子力学のある種の実験では、粒子が空間的な一点で検出される(厳密には位置だけでなく運動量についても言及しないといけないが、理解し易いように敢えて位置に絞って説明する)。同時に、例えば二重スリット実験で干渉縞が現れるということは、粒子が一方のスリットを通ったことと、もう一方のスリットを通ったことは排他的ではないことを示し、粒子が何らかの空間的な広がりを持つ(あるいは、かつて広がりを持っていた)ことも示している。そこで、観測前に波動関数が(空間的広がりをもち)シュレディンガー方程式に従うことと、観測時点では一点に収束していること、検出確率が波動関数の二乗に比例すること(ボルンの規則)の三つを合意事項として採用する解釈として、コペンハーゲン解釈が生まれた[要出典]。なお、確率解釈は、波動関数から粒子の検出確率が求められることを示しているだけで、波動関数で表されるような波が「実在」するかについては、答えない。
なお、量子力学において「観測」という場合は、人間の行為を指す一般的な語意とは違う意味で用いられることに注意する必要がある。何が理論上の観測(測定ともいう)に当たるかは、実験装置や人間も含んだ世界のうちのどの範囲を量子系として扱うかに依存する(同じ現象であってもモデル化の仕方に依存する)。量子力学の説明では、定義を曖昧にしたまま「観測」という言葉を安易に使っている事例も多々見受けられる。
量子力学では状態を計算するときに密度行列や状態ベクトル(波動関数も含む)を用いるが、コペンハーゲン解釈(標準解釈)では、測定による波動関数の収縮は、射影公準(射影仮説)という公理として与えられ、その背後に物理的メカニズムがあるかは問わない。シュレディンガー方程式内に収縮の数学的要因がある可能性については、量子力学の数学的枠組みから収縮を導出することができないことがフォン・ノイマンによって証明されている。量子デコヒーレンスにより状態間の干渉性が無くなることは示せるが、デコヒーレンスだけでは一つの固有状態を選び出すことができないため、波動関数の収縮を説明するには射影仮説が必要である。アルベルト・アインシュタインらは、波動関数に記述されていない未知の隠れた変数が存在するはずだと主張したが、今日において、隠れた変数説は極めて不利な立場に追い込まれている。ヒュー・エヴェレットは観測装置をも量子系に含める定式化を行なった。標準的な量子力学では量子系の外部の観測者として扱われるような部分もエヴェレットの定式化では通常の波動関数の時間発展と同様の変化として例外のない形で記述されるが、そのかわり観測できない無数の世界が生じる。
量子力学について、コペンハーゲン以外の解釈をいくつか挙げる。
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