陳 建一(ちん けんいち、本名:東 建一(あずま けんいち)、1956年〈昭和31年〉1月5日 - 2023年〈令和5年〉3月11日)は、中華料理(四川料理)の料理人・調理師・料理研究家。テレビ番組『料理の鉄人』への出演で知られた。日本中国料理協会会長(2011年5月に就任)。全日本・食学会理事。
生誕 | 1956年1月5日 日本・東京都 |
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死没 | 2023年3月11日(67歳没) 日本・東京都 |
死因 | 間質性肺炎 |
教育 | 玉川大学 |
活動拠点 | 四川飯店グループ |
配偶者 | 既婚 |
公式サイト | www |
料理人歴 | |
様式 | 中華料理(四川料理) |
料理店
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過去の料理店
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著名な家族 肩書き |
東京都生まれ。四川料理の第一人者である父の陳建民と日本人の母の間に生まれた。
東京中華学校(小学部・中学部)、玉川学園高等部を経て、玉川大学文学部英米文学科を卒業後、父の建民がオーナーを務めていた四川飯店で本格的に四川料理の修行をする。
1990年、建民の死去に伴い、四川飯店のオーナーに就任。
1993年、後述するバラエティ番組『料理の鉄人』(フジテレビ)に出演し、知名度が全国的となった。1999年の番組終了までレギュラー出演し、一躍有名人の仲間入りを果たした。
オーナーシェフを務めた四川飯店グループは、赤坂、池袋、六本木、静岡、名古屋、徳島、呉、松山、博多で店舗を展開する一大企業となった。一方、人間ドックで肺がんが見つかり手術治療を行った。この療養のため、2010年頃から経営の第一線は息子の陳建太郎に譲っているが、その後も後進の指導にあたった。また『料理の鉄人』放送終了後も『きょうの料理』(NHK Eテレ)に講師として出演するなど、マスメディアに多数登場していた。
2022年末までスポットで店舗に入っていたが、年明けから断続的に通院するなど療養が続いていた。2023年3月11日午後0時7分、間質性肺炎のため、東京都内の病院で死去した。67歳没。没後、日本政府より建一が中華料理の大衆化に尽くした功績を多と認められて旭日小綬章を追贈された。
1993年から1999年にフジテレビ系列で放送されたバラエティ番組『料理の鉄人』で、中華の鉄人として名を馳せた。コスチュームは黄色。登場シーンでは、片手に中華包丁を手にしていた。番組開始当初から最後まで出演し続けた唯一の鉄人である。
また、史上初の敗れた鉄人でもあった。挑戦者は同じ中華料理の程一彦で、陳を破った程も中華の鉄人候補であったが、程は辞退している。鉄人として初めて程に敗れた際は、ショックのあまり多摩川の土手で2時間以上も呆然と座っていた、と同番組の特番で語った。
父の建民は日本に四川料理を紹介した功績で「四川料理の父」と言われており、建一の得意料理「エビのチリソース」は父のレシピを受け継いだもので、情報バラエティ番組『噂の!東京マガジン』(TBSテレビ)でも披露された。冷凍エビの臭みを取るために一旦茹でてから、かなりの短時間に油で揚げるというアイデアで、多少危険な調理法である。番組でも常に父親と比較され続けていたが、番組出演によって父を超えたとの声もある。以前から陳は何かに挑戦する必要性を感じており、番組構成に興味を引かれて出演を引き受けることになった。
6年間という長い放送期間中、陳は何度か番組を離れることを考えたという。番組が始まって以来、オーナーシェフを務める四川飯店は連日予約で一杯の状態であり、店をしっかり守りたい思いが主な理由であった。また番組開始3年目には、実母の死など私生活上の要因もあって実際に降板を申し入れている。しかし結局はフレンチの鉄人坂井宏行に説得され、「どちらかがやめるときには一緒にやめよう」という約束で鉄人を継続したという。
実に、6年間で92回の戦いを重ねた。成績は67勝22敗3引き分け。また「19連勝」という鉄人史上最長の連勝記録を誇る。当初は「もっとも弱い」「女性挑戦者に弱い」などと言われてきたが、戦うごとに成長を重ね、名実ともに鉄人の重責を担う存在となった。最も壮絶だったのはラ・トゥール・ダルジャンのドミニク・コービーとの試合。1戦目で引き分けたため、2戦目で決勝を行うが、またも引き分けとなる。主宰の鹿賀丈史が「両者とも勝利」と宣言した勝負は、同番組6年間の歴史の中でもただこの一度だけである。
鉄人としての多大な功績とは裏腹に、陳はいつも愛嬌たっぷりで、勝利すると毎回ホッと胸をなでおろす純朴な面を持っていた。調理中にしばしば蒸気立つ鍋の中にお玉を入れては味見をするのが特徴で、味見を終えるとまたそのお玉で調理を続けた。番組の中ではこの習慣が出ると「陳がまた食べる」とユーモラスにコメントされた。ただし『きょうの料理』で自身が語ったところによると、お玉に口をつけると火傷をしてしまうため、実際にお玉に口をつけているわけではなく、口をつけないギリギリのところで吸い込むという中華料理人の技術であるとのこと。持ち込みが1点のみ認められていた出汁またはスープには、和食の鉄人道場六三郎曰く何にかけても旨くなる陳家秘伝の豆板醤を持ち込んでおり、大きな武器となった。
中華の鉄人としての功績を讃え、新潟県燕市株式会社タマハシから、陳の名を冠した料理道具のシリーズ「鉄人 陳建一の料理道具」、「鉄人 陳建一 御料理包丁シリーズ」が発売されている。
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