身延町(みのぶちょう)は、山梨県南巨摩郡の町。国中地方に含まれる。
みのぶちょう 身延町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 山梨県 | ||||
郡 | 南巨摩郡 | ||||
市町村コード | 19365-8 | ||||
法人番号 | 9000020193658 | ||||
面積 | 301.98km2 | ||||
総人口 | 9,416人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 31.2人/km2 | ||||
隣接自治体 | 甲府市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡南部町、富士川町、早川町、南都留郡富士河口湖町 静岡県:静岡市、富士宮市 | ||||
町の木 | シダレザクラ | ||||
町の花 | ヤマユリ | ||||
町の鳥 | ブッポウソウ | ||||
身延町役場 | |||||
町長 | 望月幹也 | ||||
所在地 | 〒409-3392 山梨県南巨摩郡身延町切石350 北緯35度28分03秒 東経138度26分33秒 / 北緯35.46747度 東経138.44244度 東経138度26分33秒 / 北緯35.46747度 東経138.44244度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
旧中富町北部 (切石・西嶋) | 旧中富町南部 (原・曙) | 旧下部町北西部 (久那土・市之瀬) | 旧下部町南西部 (下部温泉・常葉) | 旧下部町東部 (古関・本栖) | 旧身延町西部 (下山・身延山) | 旧身延町東部 (身延駅・大島) |
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大塩 | 飯富 | 市之瀬 | 岩欠 | 大磯小磯 | 相又 | 大崩 |
上田原 | 伊沼 | 一色 | 上之平 | 大山 | 粟倉 | 大島 |
切石 | 江尻窪 | 切房木 | 大炊平 | 折門 | 梅平 | 大垈 |
久成 | 遅沢 | 久保 | 下部 | 釜額 | 大城 | 帯金 |
下田原 | 中山 | 熊沢 | 常葉 | 川向 | 大野 | 上八木沢 |
手打沢 | 梨子 | 車田 | 波高島 | 北川 | 小田船原 | 下八木沢 |
寺沢 | 福原 | 樋田 | 桃ケ窪 | 清沢 | 門野 | 角打 |
西嶋 | 古長谷 | 三沢 | 湯之奥 | 芝草 | 下山 | 椿草里 |
日向南沢 | 宮木 | 嶺 | 瀬戸 | 杉山 | 樋之上 | |
平須 | 八日市場 | 山家 | 大子 | 清子 | 丸滝 | |
矢細工 | 中之倉 | 波木井 | 身延 | |||
夜子沢 | 根子 | 光子沢 | 和田 | |||
八坂 | 横根中 | |||||
古関 | ||||||
水船 | ||||||
道 |
切石(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.7 (63.9) | 25.8 (78.4) | 26.7 (80.1) | 31.7 (89.1) | 33.5 (92.3) | 36.6 (97.9) | 38.8 (101.8) | 39.2 (102.6) | 36.5 (97.7) | 31.6 (88.9) | 27.7 (81.9) | 24.5 (76.1) | 39.2 (102.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.1 (48.4) | 10.8 (51.4) | 14.3 (57.7) | 19.8 (67.6) | 24.1 (75.4) | 26.6 (79.9) | 30.4 (86.7) | 32.0 (89.6) | 28.0 (82.4) | 22.0 (71.6) | 16.6 (61.9) | 11.6 (52.9) | 20.4 (68.7) |
日平均気温 °C (°F) | 1.8 (35.2) | 3.6 (38.5) | 7.6 (45.7) | 13.0 (55.4) | 17.7 (63.9) | 21.2 (70.2) | 25.0 (77) | 26.1 (79) | 22.2 (72) | 16.1 (61) | 9.7 (49.5) | 4.2 (39.6) | 14.0 (57.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.4 (25.9) | −2.1 (28.2) | 1.7 (35.1) | 6.9 (44.4) | 12.2 (54) | 17.1 (62.8) | 21.1 (70) | 22.0 (71.6) | 18.3 (64.9) | 12.1 (53.8) | 5.0 (41) | −0.9 (30.4) | 9.1 (48.4) |
最低気温記録 °C (°F) | −11.7 (10.9) | −11.3 (11.7) | −7.9 (17.8) | −3.2 (26.2) | 1.6 (34.9) | 8.0 (46.4) | 14.4 (57.9) | 14.9 (58.8) | 6.7 (44.1) | 0.6 (33.1) | −4.0 (24.8) | −9.4 (15.1) | −11.7 (10.9) |
降水量 mm (inch) | 60.5 (2.382) | 66.7 (2.626) | 126.9 (4.996) | 120.5 (4.744) | 134.7 (5.303) | 156.5 (6.161) | 181.3 (7.138) | 150.3 (5.917) | 285.0 (11.22) | 225.0 (8.858) | 87.0 (3.425) | 57.8 (2.276) | 1,652.1 (65.043) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.7 | 5.4 | 9.1 | 8.1 | 8.9 | 10.7 | 10.8 | 8.8 | 10.6 | 9.8 | 6.3 | 5.0 | 98.3 |
平均月間日照時間 | 188.6 | 178.5 | 190.0 | 200.0 | 201.8 | 146.1 | 168.6 | 205.8 | 148.5 | 146.7 | 164.0 | 180.6 | 2,120.4 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁 |
2024年、民間の有識者らで作る人口戦略会議は、各市町村における2020年から30年間の女性人口減少率を予想。身延町では、20歳から39歳の女性が80.1%減少する(山梨県下の最大値)とし、将来的に消滅する可能性が高い「消滅可能性自治体」であることを発表した。
身延町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 身延町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 身延町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
身延町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
古代の律令制下では富士川左岸が巨摩郡川合郷、富士川東岸は八代郡川合郷に比定される。平安時代後期には甲斐国各地で荘園が成立し、大野近辺には『玉葉』安元2年(1176年)条に見られる施薬院領・飯野牧が成立する。
鎌倉時代には、飯野牧内の波木井郷に甲斐源氏の一族加賀美氏の分流である南部光行の子・波木井実長が居館を構える。実長は同地の地頭になり、南部氏の河内支配の一端を担った。また、下山郷には加賀美氏の一族である秋山光行の兄・光季の子・下山光重が、帯金には同じく加賀美氏の一族とされる帯金氏が入部するなど、町域では加賀美一族の影響が強い。鎌倉期の文永11年(1274年)には波木井実長の庇護のもと日蓮が草庵を構え、日蓮の草庵から発展した身延山久遠寺は甲斐・駿河方面における日蓮宗の拠点となり、波木井実長ら南部一族も帰依した。
南北朝時代には南部氏が奥州に入府し、河内地方には甲斐守護・武田氏の一族である穴山氏が入府する。戦国時代には守護武田氏の勢力が衰え、甲斐国内では武田氏と有力国人勢力との抗争が行われるが、穴山氏も河内地方における有力国人として台頭する。穴山氏は信友期に武田氏に臣従し、本拠を南部から下山に移転し、下山館を築いて河内支配の本拠とした。下山は下山館を中心とした城下町(下山城下町)が形成され、河内路(近世の駿州往還)の宿場が設けられ交通の要地としても機能した。
その後、穴山氏は信君期に領国化された駿河江尻領を任され支配領域が拡大し、下山は引き続き穴山領の中心として機能する。天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して信君は織田方に帰属し離反するが、上方にいた信君は同年6月の本能寺の変に際して一揆に襲われ横死する。本能寺の変により武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生すると、三河国の徳川家康は家臣の岡部正綱を甲斐へ派遣し、下山において菅沼城を築城された。穴山氏は家康の庇護のもと信君の子・勝千代が継承するが、天正15年(1587年)に勝千代が死去し、穴山氏の河内支配は終焉を迎えた。
その後、支配領主は徳川氏の支配、豊臣家臣の大名と変遷し、近世には巨摩郡西河内領の13か村、八代郡東河内領の11か村が成立する。全村が幕府直轄領、甲府藩領を経て、享保9年に甲斐一国が幕府直轄領化されると在方は三分代官支配となり、町域は上飯田代官支配、後に市川代官支配となる。このころは身延山久遠寺の門前町が発達し、多くの参詣者が訪れた。
山間部の河内地方は米麦栽培が乏しく農間余業が行われ、町域でも紙漉や楮・三椏栽培が行われた。富士川流域の大野には大野堤防が所在する。大野堤防は石積の堤防で、慶安2年以前に水害により破損し、本遠寺と関係の深い紀州徳川家により修築されたと考えられている。
旧中富町では、あけぼの大豆を用いた味噌と五合豆腐(五合の大豆を一臼と数えて作る豆腐)の生産が盛んである。 旧下部町では、アイガモ農法による農業が行われている。
旧身延町地域では、南天のど飴、身延饅頭、南天ワイン、みのぶゆばなど、主に食品加工の工場が多いが、旧中富町地域でも、西島和紙(手漉き和紙)などの伝統的工芸品が存在する。
合併当時は町内に4校存在したが、現在は1校に集約されている。
NO. | 校名 | 学区 | 補足 |
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1 | 身延町立身延中学校 | 身延町全域 | 久那土中学校、下部中学校、中富中学校、旧身延中学校が統廃合し2016年(平成28年)に開校。2024年(令和6年)3月に下山地区(2012年(平成24年)3月まで身延町立下山中学校があった場所)へ移転した。 下山地区以外からはスクールバスが運行されている。 |
合併時点では8校あった小学校であるが、現在は3校に集約している。なお、統合にあたり旧町域にこだわらず北部、中部、南部で統合を行っている。
No. | 校名 | 学区 | 補足 |
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1 | 身延町立身延清陵小学校 | 町北部 (西島・切石(静川) ・久那土地区) | 2017年(平成29年)に身延町立西島小学校と身延町立久那土小学校が統合。校舎は西島小学校を使用。 身延町立西島小学校は2010年(平成22年)に身延町立西島小学校と身延町立静川小学校が統合したため、 合併後2回統合されたことになる。 |
2 | 身延町立下山小学校 | 町中部 (飯富(原) ・下山・常葉 ・古関地区) | 2017年(平成29年)に(旧)身延町立下山小学校、身延町立下部小学校、身延町立原小学校が統合。 校舎は(旧)下山小学校を使用。身延町立下山小学校は旧身延町立身延北小学校であった。 |
3 | 身延町立身延小学校 | 町南部 (梅平・豊岡・帯金 ・大河内地区) | 2018年(平成30年)に(旧)身延町立身延小学校、身延町立大河内小学校が統合。 校舎は(旧)身延小学校を使用。身延町立身延小学校は旧身延町立身延西小学校、身延町立大河内小学校は 旧身延町立身延東小学校であった。 なお、かつて豊岡地区に身延町立身延南小学校が存在したが、身延町豊岡小学校に改名を経て (旧)身延小学校に統合されている。 |
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