深浦 康市(ふかうら こういち、1972年2月14日 - )は、日本将棋連盟所属の将棋棋士である。棋士番号201。長崎県佐世保市出身。花村元司九段門下。愛称は「地球代表」。
深浦康市 九段 | |
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名前 | 深浦康市 |
生年月日 | 1972年2月14日(52歳) |
プロ入り年月日 | 1991年10月1日(19歳) |
棋士番号 | 201 |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 花村元司九段 |
弟子 | 佐々木大地 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 深浦康市 |
戦績 | |
タイトル獲得合計 | 3期 |
一般棋戦優勝回数 | 10回 |
2020年3月22日現在 |
1984年に奨励会に入会。5級昇級に1年かかったがその後は順調に昇級・昇段し、1991年10月1日に19歳でプロデビュー(四段昇段)を果たす。
デビュー直後から頭角を現し、1993年(1992年度)の全日本プロ将棋トーナメントにおいて、決勝五番勝負で米長邦雄を3-2で破って優勝。
1993年度、早指し新鋭戦で優勝。これにより、同年度の早指し将棋選手権への出場資格を得たが、こちらでも優勝(決勝の相手は羽生善治)。一つの年度にテレビ東京の両棋戦で通しの優勝を成し遂げたのは深浦だけである。
以上のように、四段でありながらの年間優勝3回という成績により、この年度の将棋大賞の新人賞と敢闘賞を同時受賞。五段昇段前にこうした実績を挙げていたため、当時、棋士仲間から「深浦君は、まだ四段なの?」と、からかい混じりに褒められていた。
タイトル初挑戦は、羽生善治に挑戦した 1996年度の第37期王位戦である。しかし、1勝4敗でタイトル獲得はならなかった。このシリーズの第一局では、初手に端歩を突き(▲9六歩)、位取り中飛車に構える極めて珍しい作戦(5五龍中飛車)を採用して話題となった。また、婚約者とその両親を対局場に招待するという、粋なところを見せた。
また、通算勝率7割以上を長く保っていた深浦であるが、順位戦ではデビュー以来C級2組のままで停滞していた。しかし、結婚直後の1997年度から2期連続昇級でB級2組に昇級する。しかし、B級2組の1年目では9勝1敗の成績を挙げながら、不運にも3年連続昇級を逸する。
1999年から2001年にかけて、早指し新鋭戦で3連覇を果たす。
2003年(2002年度)、準タイトル戦の第21回朝日オープン将棋選手権において、初代朝日選手権者の堀口一史座に挑戦し3-1で奪取して、2代目の朝日選手権者となる(翌年、羽生善治に奪取される)。
2007年度、第48期王位戦で羽生善治に挑戦。11年前と同じタイトル戦で同じ顔合わせとなった。七番勝負はフルセットの熱戦となったが、4勝3敗で制し、35歳にして初タイトルとなる王位奪取に成功して、「九州にタイトルを持って帰る」という対局前の言葉を現実のものとした。九州出身棋士のタイトル獲得は、1984年の加藤一二三(福岡県出身)以来23年振りで、奇しくも同じタイトル(王位)であった。七番勝負の中で、特に最終局(第7局、出だしは後手の羽生の中飛車)は、中盤から終盤にかけての攻防が非常に難解で、NHK BS2の囲碁・将棋ジャーナルで解説をした佐藤康光は「歴史的な終盤の名局」と絶賛。この対局は将棋世界2008年3月号の「プレイバック2007(プロ棋士が選ぶ2007年名局集ベスト10)」で第1位に輝き、第35回将棋大賞の名局賞を羽生とともに受賞した。
2008年度、初のタイトル防衛戦となる第49期王位戦七番勝負で、リターンマッチを仕掛けてきた羽生をフルセットの末に破り、2連覇。同時に準タイトル戦の朝日オープンを含めタイトル獲得3期の扱いとなり、規定により九段昇段を果たす。
同年、第2回朝日杯将棋オープン戦で史上39人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。600勝到達時の勝率6割8分1厘(281敗)は、羽生善治、大山康晴、中原誠の3人の大棋士に次ぐ歴代4位の記録で、谷川浩司、佐藤康光、森内俊之、渡辺明といった永世称号資格取得者すら上回る高勝率であった。第29回将棋日本シリーズでは同門兄弟子の森下卓に決勝戦で敗れて準優勝。
2009年(2008年度)、羽生に挑戦した第58期王将戦七番勝負では、第5局終了時点で3勝2敗とし初の二冠に王手をかけるとともに、羽生との対戦成績を26勝26敗のタイとした。しかし、第6局、第7局で連敗し、タイトル奪取はならなかった。
2009年度、第22期竜王戦で羽生を破り、初めて1組で優勝。第50期王位戦七番勝負では木村一基の挑戦を受ける。最初の3局で3連敗して防衛失敗の瀬戸際に追い込まれ、負けられない状況となった。しかし、出身地の長崎県佐世保市で行われた第4局に勝利したのをきっかけに4連勝を返し、史上2度目となる3連敗4連勝での逆転防衛で、3連覇を果たした。深浦は防衛成功後のインタビューでは、「内容はひどかった。いかに地元での対局を戦うかということで、その辺りから集中できた。」と語った。第30回将棋日本シリーズでは昨年に引き続き決勝戦へ進出したが、谷川浩司に敗れて2度目の準優勝。
2010年度、第81期棋聖戦で羽生への挑戦権を得たものの、年度前半の勝率は4割台と不調。棋聖戦では(初めての五番勝負・1日制のタイトル戦)、3連敗のストレート負け。また、その直後の第51期王位戦で広瀬章人に2勝4敗(2千日手)で敗れ、3年ぶりに無冠となった。なお、この王位戦の第6局(最終局)は、第38回将棋大賞の名局賞に選ばれた。
2011年度、佐藤天彦六段を破り、第82期棋聖戦で羽生への挑戦権を獲得するも、3連敗でタイトル奪取ならず。
2012年度、第25期竜王戦で山崎隆之を破り、2度目の1組優勝。
2013年度、第72期順位戦のA級にて5勝4敗の成績で終え、初めての勝ち越し残留に成功した。
2015年度、第23期銀河戦では決勝で佐藤天彦を破り、実に12年ぶりの一般棋戦優勝を果たした。第36回将棋日本シリーズでは決勝戦で三浦弘行に敗れて3度目の準優勝。将棋日本シリーズ戦で優勝経験がない棋士の中で、最多の準優勝回数となった。
2016年度、第75期順位戦における佐藤康光とのA級順位戦の対局が、深浦にとっては敗局だが、第44回将棋大賞の名局賞に選ばれた。3度目の名局賞となる。
2017年11月3日、第67期王将戦挑戦者決定リーグ戦で斎藤慎太郎に勝ち、史上19人目となる公式戦通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成した。
2018年度、第31期竜王戦で2組2位で決勝トーナメントに進出し挑戦者決定戦まで進出したが、広瀬章人に1勝2敗で敗れ、竜王挑戦を逃した。また、第77期A級順位戦は、2勝7敗でクラス9位の結果に終わり、4度目のB級1組降級となった。
2019年度の第69回NHK杯将棋トーナメントにて、稲葉陽、増田康宏といった若手実力者を退けて、同棋戦初優勝を果たした。
2020年度の第79期B級1組順位戦では、初めの3戦を2勝1敗としたものの、以降は7連敗と大苦戦する。それでも12回戦で丸山忠久に勝利したことで、最終局に勝利すれば僅かながら残留の目が残る状態になったが、木村一基を相手に敗戦。結果的に最下位の13位で終わり、第60期(2002年度)以来のB級2組陥落となった。
2023年度には第82期順位戦B級2組で健闘し、8回戦終了時で7勝1敗とB級1組復帰まで後1勝と迫ったが、残り2戦を連敗し、復帰はならなかった。
なお、4度目となる第71期A級順位戦(2012年度)では3勝6敗であったが、2勝7敗者が3名いたため7位となり、自身初のA級残留を決めている。
若手時代から、手厚さ、強靭な受けを特徴とする安定した将棋を指す棋風であり、長年、棋界指折りの通算勝率(約7割)を維持した。その一方、数々の大舞台で深浦と戦っている羽生善治は、深浦の将棋を「アグレッシブ」、「積極的」と評している。
基本的には居飛車党であり、矢倉、角換わりを指すことが多い。2006年頃以降は振り飛車戦法も指す、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極的な攻めも合わさった幅の広い棋風となってきている。2007年からの羽生とのタイトル戦でもその傾向が見られる。
序盤の研究家としての側面もあり、序盤作戦の指針となる『これが最前線だ!』『最前線物語』『最前線物語2』の三部作を著している。
名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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佐々木大地 | 2016年4月1日 | 七段、タイトル挑戦2回 |
(2023年5月18日現在)
合計 10回
開始 年度 | 順位戦 | 竜王戦 | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T | |||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1991 | 50 | 昇段前 | 5 | 6組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C253 | 6 | 5組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C212 | 7 | 5組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C209 | 8 | 4組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C204 | 9 | 4組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C206 | 10 | 4組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C203 | 11 | 4組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C121 | 12 | 3組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | B221 | 13 | 3組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | B202 | 14 | 2組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | B205 | 15 | 2組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | B111 | 16 | 2組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | B104 | 17 | 3組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | A 09 | 18 | 2組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | B101 | 19 | 2組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | A 09 | 20 | 2組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | B101 | 21 | 1組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | A 10 | 22 | 1組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | B102 | 23 | 1組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | B103 | 24 | 1組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | B103 | 25 | 1組 | -- | |||||||||||||
2012 | 71 | A 10 | 26 | 1組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | A 07 | 27 | 1組 | -- | |||||||||||||
2014 | 73 | A 05 | 28 | 1組 | -- | |||||||||||||
2015 | 74 | A 05 | 29 | 1組 | -- | |||||||||||||
2016 | 75 | A 08 | 30 | 1組 | -- | |||||||||||||
2017 | 76 | A 07 | 31 | 2組 | -- | |||||||||||||
2018 | 77 | A 07 | 32 | 1組 | -- | |||||||||||||
2019 | 78 | B101 | 33 | 2組 | -- | |||||||||||||
2020 | 79 | B104 | 34 | 2組 | -- | |||||||||||||
2021 | 80 | B203 | 35 | 2組 | -- | |||||||||||||
2022 | 81 | B218 | 36 | 2組 | -- | |||||||||||||
2023 | 82 | B219 | 37 | 2組 | -- | |||||||||||||
2024 | 83 | B206 | 38 | |||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
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