空母 海鷹

海鷹(かいよう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。貨客船「あるぜんちな丸」を日本海軍が徴用および買収、最終的に軽空母へ改造したものである。

海鷹
山口県徳山を出航中(1943年11月15日)
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者 空母 海鷹 大日本帝国海軍
艦種 航空母艦
母港 横須賀
艦歴
起工 1938年2月5日
進水 1938年12月9日
竣工 1939年5月31日(「あるぜんちな丸」として)
就役 1943年11月23日空母へ改造完了
最期 1945年7月24日触雷
のちに擱座、船体放棄
除籍 1945年11月20日
その後 1948年1月31日解体完了
要目(特記無きは計画)
基準排水量 計画:15,400英トン
13,600英トン
公試排水量 計画:17,300トン
16,700トン
最終時:16,748トン
満載排水量 計画:18477.10トン
全長 166.55m
水線長 159.59m
垂線間長 155.00m
水線幅 21.90m
深さ 22.80m(飛行甲板まで)
飛行甲板 長さ:160.0m x 幅:23.0mエレベーター(13x12m)2基
吃水 公試平均:8.25m
満載平均:8.68m
ボイラー ロ号艦本式缶x4基
主機 艦本式タービン2基
推進 2軸 x 340rpm、直径:3.900m
出力 計画:52,000shp
公試成績:52,510shp
速力 計画:23.0ノット
公試全力 23.82ノット
燃料 2,500トン
航続距離 計画:7,000海里/18ノット
公試成績:8,358海里/18ノット
乗員 計画乗員:587名
搭載能力 九一式魚雷x36本
250kg爆弾x96個、同補用192個、60kg爆弾x192個
飛行機軽質油x150トン
兵装 12.7cm連装高角砲x4基
25mm 3連装機銃x8基
手動爆雷投下台1組
九五式爆雷x8個
搭載艇 12m内火艇x1隻、12m内火ランチx1隻、9mカッターx2隻、13m特型運貨船x2隻
搭載機 計画:(常用+補用)
艦上戦闘機x18機 艦上攻撃機x6機
合計24機 補用機なし
レーダー 竣工時:21号電探x1基、13号電探x2基
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空母 海鷹
解体中の「海鷹」。1947年撮影
空母 海鷹
擱坐した日出町城下海岸に建つ「軍艦海鷹之碑」

概要

軍艦(航空母艦)海鷹(かいよう)の前身は、大阪商船所属のあるぜんちな丸級貨客船1番船「あるぜんちな丸」である。 1941年(昭和16年)9月に「あるぜんちな丸」は日本海軍に徴傭され、太平洋戦争開戦後の1942年(昭和17年)5月1日に姉妹船「ぶらじる丸」とともに特設運送船となった。 同年6月上旬のミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻を一挙に喪失、空母の補充に迫られた。その一環として、海軍は6月30日に「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」の空母改造を決定。 「あるぜんちな丸」は同年12月9日に買収され、同月より三菱重工業長崎造船所で空母改造工事を実施した。翌1943年(昭和18年)11月23日に改造完成。船籍も日本海軍に移り、軍艦海鷹」に改名および航空母艦へ類別変更された。大鷹航空母艦の5番艦

「海鷹」を含め大鷹型航空母艦は小型・低速のため機動部隊としての戦闘には投入できず、当初は航空機輸送任務に従事した。また海上護衛総司令部が発足すると同部隊に編入され、日本からシンガポール方面への長距離輸送ヒ船団)の船団護衛、または台湾海南島への中距離輸送の護衛を行った。

1945年(昭和20年)3月中旬、「海鷹」は呉軍港空襲で小破。修理後は瀬戸内海において特攻兵器の訓練標的艦として行動した。同年7月24日、「海鷹」は四国佐田岬沖で触雷して航行不能となり、随伴していた駆逐艦に曳航された後、大分県別府湾日出町城下海岸)に擱座。7月28日の空襲により大破、船体放棄に至り、終戦を迎えた。戦後、日鮮サルベージの手によって浮揚解体された。

特徴

艦艇類別等級(別表)において、大鷹型航空母艦に定められている。1943年11月23日に「軍艦(ぐんかん)海鷹(かいよう)」と命名された。他の候補艦名として「蒼隼」もあった。

「あるぜんちな丸」は、1938年(昭和13年)2月2日に三菱重工業長崎造船所で起工、同年12月9日進水1939年(昭和14年)5月31日に竣工した。 客船時代の主機はディーゼルエンジンで、16,500馬力で21.5ノットを発揮可能だった。航空母艦への改造時に陽炎型駆逐艦用のボイラータービンへ換装され、約5万2000馬力で速力23ノットに増速した。11月15日の公試では16,630トン、軸馬力52,600で速力23.7ノットを記録している。

「あるぜんちな丸」は、全長約167.3m、幅21.6m、排水量12,755トンで、新田丸級貨客船より若干小型であった。空母改造後の基準排水量は13,600トン、公試排水量16,700トン、全長166.55m、全幅21.90mで、新田丸貨客船改造の大鷹型航空母艦より若干小型である。飛行甲板の長さも大鷹型172mに対し160mほどだった。さらに大鷹型含めて小型低速の空母であり、太平洋戦争中の艦上機を多数運用する事は困難であった。カタパルトを装備した連合国軍の軽空母護衛空母と比較して、大鷹型の航空機展開能力は非常に限定されていたのである。

自衛武装として、12.7㎝(連装砲)を船体後方に4基(右舷2基、左舷2基)、25mm三連装機銃を8基(右舷2基、左舷3基、艦尾2基)、船体外周各部に装備した。昭和19年中旬、両舷に25mm三連装機銃を増備したとみられる。艦後尾の両舷にも十二糎二八連装噴進砲あるいは三十連装対空噴進砲4基を増設した。飛行甲板上にも25mm単装機銃を20基ほど増備した。

「海鷹」の航空機搭載機数は24機(零式艦上戦闘機18、九七式艦上攻撃機6、補用機なし)。ただし海鷹を含め大鷹型空母は実戦投入には不適であることから、航空機輸送任務もしくは船団護衛に投入された。船団護衛空母として行動する時には、九七式艦上攻撃機を12-14機搭載。数機ずつを船団の周囲に2-3時間交代で飛ばし、対潜哨戒を行った。「海鷹」の輸送および護衛任務は、太平洋戦争末期に連合国軍が南方の制空権制海権を掌握するまで続いた。

公試成績は以下の通り。

年月日 種別 排水量(トン) 速力(ノット) SHP rpm
1943-11-08 過負荷全力(10.5/10) 16,921 54,930 340.4
1943-11-08 公試全力(10/10) 16,958 23.82 52,510 335.2
1943-11-15 終末公試(10/10) 16,629 23.72 52,640 334.7

歴史

あるぜんちな丸

日本海軍は空母の不足を補うために高速貨客船建造に助成金を与え、代償として有事には特設艦船に改造する計画であった。1939年昭和14年)6月に竣工した大阪商船所属の「あるぜんちな丸」も、そのなかの1隻であった。あるぜんちな丸級貨客船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は優秀船舶建造助成施設に基づく政府の補助を受けて南米航路の貨客船として建造された。

1941年(昭和16年)9月、日本海軍に徴傭される。12月上旬、連合国との間に太平洋戦争が勃発。 1942年(昭和17年)5月1日、日本海軍は「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」を特設運送艦と類別。2隻とも横須賀鎮守府所管。連合艦隊附属となる。同日附で渡部威中佐が、「あるぜんちな丸」監督官に任命された。

5月下旬より、「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」は兵員輸送船としてミッドウェー作戦に参加。他の輸送船や護衛の第二水雷戦隊等と共に行動する。 同海戦で、日本海軍の正規空母4隻が沈没。海軍は、航空母艦の急速増勢を行うことを決定した。

6月30日、日本海軍は昭和18年度において「あるぜんちな丸」、「シャルンホルスト」、「千歳」、「千代田」、「ぶらじる丸」の空母改造を決定した(官房機密第8107号)。

ミッドウェー海戦後、横須賀に帰投していた「あるぜんちな丸」は、アリューシャン攻略作戦に従事する。大本営はアッツ島キスカ島の長期確保を企図しており、「千代田」艦長指揮下の輸送部隊がミッドウェー島占領のため編成されていた海軍陸戦隊を北方方面に輸送することになった。 6月28日、水上機母艦「千代田」、特設運送船「あるぜんちな丸」、第十八駆逐隊不知火)からなる輸送隊は横須賀を出発。 7月4日夕刻から5日未明にかけて輸送隊はキスカ島に到着し、「あるぜんちな丸」と「千代田」は同島キスカ湾に入港した。 7月10日、「あるぜんちな丸」は軽巡洋艦「阿武隈」(同日夜まで)、駆逐艦「」と共に、キスカ湾を出発。 7月15日に「あるぜんちな丸」と「電」は横須賀に戻った。その後、「あるぜんちな丸」は内地~東南アジア方面で活動した。

同年12月9日、渡部中佐(あるぜんちな丸監督官)は横須賀鎮守府付となる。12月20日、三菱長崎で空母への改造作業に着手した。仮称艦名第1005号艦。貨客船時代のディーゼルエンジンを、駆逐艦用の蒸気タービン機関に換装する大工事となった。

1943年(昭和18年)2月、空母へ改造中の「千代田」、「千歳」、「あるぜんちな丸」は、臨時に戦時編制から除かれることになった。11月23日、工事完成。日本海軍はあるぜんちな丸を軍艦(ぐんかん)海鷹(かいよう)と改名した。

「海鷹」は大鷹型航空母艦に類別される。横須賀鎮守府籍。連合艦隊附属。高尾儀六大佐(前職、水上機母艦秋津洲艦長)が海鷹艦長に任命された。

海鷹

航空機輸送任務

12月15日付で「大鷹」、「雲鷹」、「海鷹」は海上護衛総司令部部隊(附属部隊)に編入された。 だが海上護衛総司令部部隊は大鷹型空母4隻(大鷹、雲鷹、海鷹、神鷹)を揃えたものの実際に活動する準備が出来ておらず、「海鷹」、「神鷹」、「雲鷹」は連合艦隊の指揮下に入り航空機輸送任務に投入された。「海鷹」の最初の任務は、第二十三航空戦隊の南西方面輸送任務である。

1944年(昭和19年)1月8日に空母「神鷹」、「海鷹」と駆逐艦「」、「」、「薄雲」はシンガポールに向け内海西部を出発したが、「神鷹」の機関故障により大分県佐伯に仮泊。 「神鷹」は呉に回航され、シンガポールには「海鷹」、「電」、「響」のみが向かった。 1月12日に佐伯を出発。マニラを経て、21日にシンガポールに到着した。同地で艦上攻撃機天山21機もしくは26機(第五五一海軍航空隊)を搭載する。天山は飛行甲板に固縛された。

1月31日にシンガポールを出発し、タラカンパラオを経て2月11日にトラックに到着。天山を陸揚げすると2月13日に「海鷹」はトラックを出発し、サイパンを経由して2月20日に呉へ戻った。この時輸送された天山は、2月17日以降のトラック島空襲で破壊されてしまった。

2月20日付で、海鷹は連合艦隊の作戦指揮下を離れる。

当時、軍令部連合艦隊マーシャル群島メジュロ環礁を根拠地とするアメリカ海軍機動部隊に対し、奇襲攻撃を計画していた(雄作戦)。日本海軍の保有空母13隻全力を投入する大規模作戦である。本作戦において、大鷹型は各艦零戦24機を搭載予定だった。だが3月下旬の海軍乙事件で連合艦隊司令長官古賀峯一大将遭難、福留繁参謀長捕虜という事態により、立ち消えとなった。

船団護衛任務

その頃、着艦訓練を終えた「海鷹」は、3月17日付で第一海上護衛隊に編入されていた。 第九三一海軍航空隊の九七艦攻12機を海鷹に搭載。 「海鷹」の護衛空母としての初任務は、ヒ57船団であった。 この船団はタンカー8隻と陸軍特殊艦「神州丸」の合計9隻から成り、護衛艦艇は「海鷹」と海防艦「択捉」、「壱岐」、「占守」、第8号第9号、水雷艇「」であった。 4月3日午前6時、ヒ57船団部隊は山口県関門海峡沖合の六連泊地を出撃。 4月16日シンガポールに到着した。 改めてヒ58船団となり、「海鷹」、「択捉」、「壱岐」、「占守」、第9号海防艦は加入船舶7隻を護衛して4月21日にシンガポールを出発した。4月24日、「海鷹」搭載の九七式艦攻がアメリカ潜水艦「ロバロー」を爆撃し被害を与えた。5月3日、門司に到着。「海鷹」は瀬戸内海回航後、呉海軍工廠で入渠して修理を行う。

5月下旬、「海鷹」は二回目の船団護衛任務に従事する。 5月29日、第七護衛船団司令官松山光治少将は練習巡洋艦香椎」に乗艦、空母「海鷹」、海防艦「淡路」、「千振」、19号、駆潜艇60号、敷設艇「」、陸軍特殊艦「神州丸」と油槽船11隻からなるヒ65船団を指揮して日本本土(北九州門司港)を出撃し、シンガポールへ向かった。 6月2日、アメリカ潜水艦の雷撃で「淡路」が沈没。 続いて回避行動中に貨客船「有馬山丸」と「神州丸」が衝突した。搭載爆雷の誘爆で大破した「神州丸」は「香椎」が台湾基隆市まで曳航した。 6月11日(12日とも)、船団はシンガポールに到着した。帰路のヒ66船団(「香椎」、「海鷹」、海防艦「千振」、7号11号、護衛対象4隻)は6月17日にシンガポールを出発。損傷艦なく6月26日に門司に到着した。

7月上旬、「海鷹」は呉海軍工廠で修理を行った。 7月中旬、「海鷹」はフィリピンへの輸送作戦に参加。門司出航のヒ69船団に加わった。「海鷹」は「大鷹」とともに航空機輸送艦として、零戦95機、艦爆彗星1機、艦攻天山5機、局地戦闘機雷電10機、夜間戦闘機月光9機を輸送した。 ヒ69船団旗艦は練習巡洋艦「香椎」(指揮官、第五護衛船団司令官吉富説三少将)、護衛部隊は「香椎」、「神鷹」、「千振」、「佐渡」、第七号海防艦、第十七号海防艦であった。 7月13日-14日、ヒ69船団部隊は北九州を出撃。7月18日、第十七号海防艦がアメリカ潜水艦の雷撃で中破、台湾高雄市に回航された。 他には被害はなく、20日マニラに到着。輸送用航空機を陸揚げした。

その後、「海鷹」はマモ〇一船団(「海鷹」、輸送船「浅間丸」、「護国丸」、護衛は駆逐艦「秋風」、「初霜」、「」、掃海艇28号)として、7月25日にマニラを出発。 27日にマモ〇一船団は高雄(台湾)に到着した。ここで「秋風」はマニラへ戻った。 マニラ滞在中の7月29日、高尾大佐(海鷹艦長)は呉鎮守府付となる。北村昌幸大佐は臨時海鷹艦長に任命された。 7月31日、マモ〇一船団は高雄を出発。航海中の8月1日、有田雄三大佐は海鷹艦長に補職される。8月3日に九州に到着した。「海鷹」は呉に到着。機関故障修理のため、ただちに呉海軍工廠に入渠。8月から10月中旬にかけて、呉海軍工廠で整備と修理に従事した。

10月17日、「海鷹」は連合艦隊の指揮下に入る。「海鷹」は空母「龍鳳」とともに台湾沖航空戦に伴って損害を受けた台湾高雄市の航空廠や、各航空部隊向けの資材を輸送することになった。 部隊指揮官は有田雄三大佐(海鷹艦長)。 10月25日、緊急輸送部隊(空母「海鷹」、「龍鳳」、駆逐艦「」、「」、「」、「」)は佐世保を出撃した。27日、基隆に到着。物資を揚陸し、帰路はアルコールや燃料用砂糖を積載した。30日、基隆を出発。11月1日-2日に内地に帰投した。 11月21日まで、「海鷹」は呉海軍工廠で修理と整備を行った。

11月下旬、「海鷹」は最後の護衛任務に従事する。11月25日、北九州を出撃。護衛艦艇(「海鷹」、駆逐艦「夕月」、「卯月」、「」、「」、「」、海防艦第25号、第35号、第63号、第64号、第207号)、貨物船5隻とタンカー3隻、他2隻から成るヒ83船団を護衛してシンガポールに向かった。 11月30日、第九三三海軍航空隊基地物件搭載の第三十駆逐隊(夕月、卯月)は分離して馬公市に向かう。「海鷹」含めヒ83船団は高雄市に到着。 12月1日、高雄市でマニラ行きの駆逐艦と貨物船を分離した。12月3日朝、第六十四号海防艦がアメリカ潜水艦に撃沈された。 航海中の12月10日、「海鷹」は第一護衛艦隊に編入される。 12月13日、「海鷹」ふくめ船団はシンガポールに到着した。 12月26日、ヒ84船団はシンガポールを出撃。1945年(昭和20年)1月4日、香港到着。翌日出発、1月13日に門司に到着した。その後は、艦上機燃料が枯渇してきた上に制海権が連合国軍に握られたこともあり大規模船団は運航停止に追いこまれ、「海鷹」は瀬戸内海で標的艦(目標訓練艦)となった。

1945年(昭和20年)3月15日、有田雄三大佐(海鷹艦長)は海軍水雷学校教官へ転任した。後任の海鷹艦長は、国府田清大佐(当時、海軍運輸本部総務課長)。だが国府田大佐はしばらく着任できず、引き続き有田大佐が艦長として指揮をとった。 3月19日、アメリカ海軍空母機が呉軍港を空襲。空襲時「海鷹」は空母「天城」、「葛城」付近に停泊しており、飛行甲板を貫通した爆弾1発が海面で炸裂した。戦死者3名。重油タンクや左舷機械室に浸水する被害を受けた。 比較的損傷の小さかった「海鷹」は、他の残存空母と共に、飛行甲板に植物を置くなどの偽装を行った。3月28日、呉鎮守府護衛部隊に編入された。

連合艦隊附属

4月20日、「海鷹」は連合艦隊附属となる。呉海軍工廠で入渠修理を実施した。その後、伊予灘(瀬戸内海西部)にあって、雷撃機や特攻兵器(桜花回天)の目標艦(標的艦)として行動した。 5月15日、国府田清大佐(海鷹艦長)は呉鎮守府出仕となる。後任の海鷹艦長は大須賀秀一大佐(当時、空母鳳翔艦長)。

7月18日、「海鷹」はアメリカ軍B-29が空中投下した磁気機雷に触れて損傷し、別府湾に引き返した。 7月24日の米海軍機動部隊艦載機の空襲時も、対空砲火と回避行動によって被害なく切り抜ける。だが夕刻になり別府湾を出発したところ、再び磁気機雷が起爆。舵破壊と機関部損傷により航行不能となり、駆逐艦「夕風」に曳航され、翌日には別府近郊の日出湾に座礁した。7月28日、米軍機動部隊艦載機の空襲で直撃弾3発を受け、約20名が戦死。発電機が損傷して排水ポンプが作動せず、浸水が増大し、完全に着底した。また排気ファンの停止により艦内の環境も悪化し、船体放棄に至った。

8月15日終戦の日)、大須賀大佐(海鷹艦長)は横須賀鎮守府附となる。同日付で「海鷹」は第四予備艦に指定された。

戦後、座礁現場で解体された。

年表

艦長

    監督官(特設運送船あるぜんちな丸)
  1. 渡部威中佐1942年5月1日 - 1942年12月9日
    艦長
  1. 高尾儀六大佐1943年11月23日-1944年7月24日
  2. (臨時)北村昌幸大佐:1944年7月24日 - 1944年8月1日(本職:第一海上護衛隊運航指揮官
  3. 有田雄三大佐:1944年8月1日 - 1945年3月15日
  4. 国府田清大佐:1945年3月15日 - 1945年5月1日
  5. 大須賀秀一大佐:1945年5月1日 - 1945年8月15日

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 雨倉孝之『海軍護衛艦物語』光人社、2009年2月。ISBN 978-4-7698-1417-7 
  • 大井篤『海上護衛戦』株式会社KADOKAWA〈角川文庫〉、2014年5月(原著1953年)。ISBN 978-4-04-101598-8 
  • 大内建二『護衛空母入門 その誕生と運用メカニズム』光人社〈光人社NF文庫〉、2005年4月。ISBN 4-7698-2451-3 
  • 大内建二『特設艦船入門 海軍を支えた戦時改装船徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2008年4月。ISBN 978-4-7698-2565-4 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』 第7巻、第10巻、海軍歴史保存会、1995年11月。 
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。 
  • 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0 
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8
  • 衣島尚一「商船改造空母史」『商船改造空母』艦船模型スペシャルNo.18、モデルアート社、2005年、34-49頁。 
  • 隈部五夫ほか『海防艦激闘記 護衛艦艇の切り札として登場した精鋭たちの発達変遷の全貌と苛烈なる戦場の実相』潮書房光人社、2017年1月。ISBN 978-4-7698-1635-5 
    • (223-243頁)戦史研究家伊達久『日本海軍甲型海防艦戦歴一覧 占守型四隻、択捉型十四隻、御蔵型八隻、日振型九隻、鵜来型ニ十隻の航跡
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡幸二『世界の艦船 日本航空母艦史 1994.No.481』株式会社海人社〈1994年5月号増刊 第481集(増刊第40集)〉、1994年5月。ISBN 4-905551-48-X 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9 
  • 野元為輝ほか『航空母艦物語 体験で綴る日本空母の興亡と変遷!』潮書房光人社、2013年6月。ISBN 978-4-7698-1544-0 
    • 戦史研究家大浜啓一『青い目の見た軽空母七隻の最後 海中深くひそむ米潜水艦と鷹型空母の息づまる対決
    • 元海鷹艦長徳富敬太郎『空母「海鷹」最後の護衛作戦』、元「海鷹」甲板士官・海軍中尉徳富敬太郎『日本最少空母「海鷹」の終焉』
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』(第3刷)グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)。ISBN 4-87687-184-1 
  • 福井静夫『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7 
  • 福井静夫 編『-海軍造船技術概要別冊- 海軍艦艇公式図面集』今日の話題社、1987年12月。ISBN 4-87565-212-7 
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  • 福井静夫 著「第三章 特設航空母艦」、阿部安雄・戸高一成/編集委員 編『福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本特設艦船物語』 第11巻、光人社、2001年4月。ISBN 4-7698-0998-0 
  • 福田靖『レイテ沖海戦最後の沈没艦 駆逐艦「不知火」の軌跡』北辰堂出版株式会社、2016年8月。ISBN 978-4-86427-217-9 
  • レオンス・ペイヤール、長塚隆二 訳「日本軍によるキスカおよびアッツの占領 一九四二年六月八日」『潜水艦戦争 1939-1945』早川書房、1973年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面海軍作戦』 第29巻、朝雲新聞社、1969年8月。 
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』 第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<3> ―昭和18年2月まで―』 第77巻、朝雲新聞社、1974年9月。 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第1巻 戦艦 I 大和・武蔵 長門・陸奥 扶桑・山城 伊勢・日向』 第1巻、光人社、1989年7月。ISBN 4-7698-0451-2 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 
    • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  • 門司親徳「第4章 新設第五五一航空隊に移る」『空と海の涯で 第一航空艦隊副官の回想』光人社〈光人社NF文庫〉、2012年5月(原著1978年)。ISBN 978-4-7698-2098-7 
  • 森山嘉蔵『終焉の夏が逝く 歴戦の空母「海鷹」の青春』元就出版社、2004年7月。ISBN 4-86106-011-7  著者(海鷹操舵員)の体験を元にした小説。
  • 横井俊之ほか『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9 
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『鷹型ミニ空母五隻が辿った薄幸の生涯 客船改造の大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹の船団護衛と潜水艦との戦い
    • 『悲運の護衛輸送空母たちの航跡』より、元「海鷹」甲板士官・海軍中尉徳富敬太郎『日本最少空母「海鷹」の終焉』
    • 伊達久『日本海軍航空母艦戦歴一覧 伊吹および雲龍型未成艦をふくむ空母二十九隻の太平洋戦争
  • 歴史群像編集部編『睦月型駆逐艦 真実の艦艇史4 ― 謎多き艦隊型駆逐艦の実相』 第64巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、2008年5月。ISBN 978-4-05-605091-2 


  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年1月31日現在10版 内令提要追録第14号原稿(防衛省防衛研究所)巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072024200。 
    • 『昭和16年~17年 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第1回(2)』。Ref.C08050019300。 
    • 『昭和18年9月~12月達/11月(3)』。Ref.C12070121000。 
    • 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(1)』。Ref.C12070162700。 
    • 『昭和17年7月~9月内令/昭和17年9月分(2)』。Ref.C12070164900。 
    • 『昭和18年9月~12月内令/昭和18年11月(5)』。Ref.C12070190000。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年5月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030317600。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030094900。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030095000。 
    • 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 ミッドウエー海戦 戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030040400。 
    • 『昭和17年5月29日~昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030081500。 
    • 『昭和17年5月29日~昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030081600。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030341500。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)』。Ref.C08030137300。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(2)』。Ref.C08030137400。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。Ref.C08030137500。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。Ref.C08030137600。 
    • 『昭和18年9月1日~昭和19年3月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030085900。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030102000。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030369400。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年3月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030140300。 
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030140600。 
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030140700。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030141000。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030141100。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030141400。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030141500。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030141600。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030141700。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030585000。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030585100。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年8月31日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030149300。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030149800。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年8月31日 特設運送船護国丸戦時日誌(5)』。Ref.C08030654900。 
    • 『昭和19年 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第6回の1(2)』。Ref.C08050039100。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030127700。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030127800。 
    • 『昭和19.1~昭和20.2 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年12月』。Ref.C16120660300。 

外部リンク

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