汐留(しおどめ)は、東京都港区の地区名・旧町名。現在ではおもに、新橋駅東側の汐留地区に建設された巨大複合都市“汐留シオサイト(siosite)”を指す。 かつての汐留(汐留町)は、現行行政地名では、東新橋の大部分と、海岸一丁目の一部にあたる。
汐留の地は江戸時代以前は海辺の湿地帯であったが、江戸幕府の開幕後徳川家康が発令し、三代将軍家光の代に至るまで続いた「天下普請」(諸大名の財力を用いた、奉仕による城下町建設事業)により汐留の埋立地が完成した。その結果、汐留は周辺の新橋・銀座・築地などと並び、大名屋敷を有する武家屋敷街となった。
その後、明治新政府によって屋敷は接収され、1872年日本初の鉄道が横浜との間に開設された際、起点となる新橋駅がこの汐留に建設され、東京の玄関として華やかで活気のある街となった。しかし、1914年に東京駅が完成し、東海道本線の起点が東京駅に変更されたため、元の新橋駅は汐留駅に改称し、貨物専用駅に変更された。それからの汐留は、小運送店の集まる貨物ターミナルとして栄えることになる。
やがてトラック輸送の増加やそれに伴う鉄道貨物輸送の変化などにより、1986年に汐留駅は品川区にある東京貨物ターミナル駅に機能を譲る形で廃止された。その後しばらくの間、31ヘクタールにも及ぶ駅跡地が日本国有鉄道清算事業団の保有する広大な空き地のまま残っていたが、1995年になってようやく、東京都の都市基盤整備と民間のプロジェクトにより都市再開発が始まった。
2004年には、13棟の超高層オフィスビルが建ち並び、4つのホテルや数多くのレストラン、ショップなどが地下通路とペデストリアンデッキでつながる6万人の複合都市として生まれ変わった。この際に、民放キー局の日本テレビ(日テレ)の本社が千代田区の番町地区(二番町)から移転して、日本テレビタワーが建設された。東側には浜離宮恩賜庭園をはさんで東京湾、西側は新橋駅から虎ノ門・神谷町・霞が関の官庁街・ビジネス街があり、銀座・築地・臨海副都心(お台場)などにも近く恰好のビジネスロケーションといえる。
現在は六本木ヒルズやお台場と並び、東京の新しい観光名所の一つとなっている。
2011年12月22日に、国から国際戦略総合特区の一つである東京都提案のアジアヘッドクオーター特区区域に指定された。
東経139度45分35秒 / 北緯35.662778度 東経139.759847度
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