日本貨物鉄道 (JR貨物)・倉敷市 などが出資する第三セクター 方式の臨海鉄道 である。第三セクターではあるが日本民営鉄道協会 に加盟している。中国運輸局 管内の民鉄(JR除く)では唯一、貨物鉄道事業を行っており、その他旅客鉄道事業なども行っている。旅客収入は約2.9億円、貨物収入は約3.7億円と、客貨の比率は概ね半々である(数字はいずれも2015年度の統計)。
沿革
倉敷貨物ターミナル駅(1986年頃)
倉敷貨物ターミナル駅(2015年)
路線
路線図(クリックで拡大) 現有路線 水島本線 : 倉敷市駅 - 三菱自工前駅 - 倉敷貨物ターミナル駅 11.2km 港東線 : 水島駅 - 東水島駅 3.6km(貨物線) 廃止路線 西埠頭線 : 三菱自工前駅 - 西埠頭駅 0.8km(貨物線、2016年7月15日廃止) 車両
現有車両 2021年7月1日時点で、気動車 11両、ディーゼル機関車 4両の計15両が在籍する。
気動車 MRT300形 (301 - 306) - 6両在籍 水島臨海鉄道のオリジナル車両であり、一部車両は青色の車体にひまわりの絵がラッピングされ、「ひまわり号」と呼ばれている。 キハ30形 (100) - 1両在籍 キハ37形 (101 - 103) - 3両在籍 キハ38形 (104) - 1両在籍 キハ30・37・38形は老朽化が進んだキハ20形を置き換えるために、2013年 に東日本旅客鉄道 (JR東日本)より購入した車両である。2014年 5月12日 より運用を開始した。JR時代は久留里線 で運用されていた。キハ37 101・102は水島色、キハ30 100は国鉄標準色 、キハ37 103は2021年12月よりキハ37登場時の赤11号 に再塗装されて運用を開始しており、便所は使用停止処置がとられている。キハ38 104は、2022年2月よりキハ38登場時の八高線色に再塗装されて運用を開始した。キハ30形は2両、キハ37形は3両、キハ38形1両が譲渡されたが、キハ30形のうち1両(キハ30 98)は運用には入っておらず、部品取り車 となっている。残るもう1両についても、冷房を搭載しておらず、運行は秋冬期間に限定されている。また、JR東日本から購入したときに、キハ30を除いて以下のとおり改番を受けている。 キハ30 100 → キハ30 100(改番なし) キハ37 1003 → キハ37 101 キハ37 1002 → キハ37 102 キハ37 2 → キハ37 103 キハ38 1003 → キハ38 104 ディーゼル機関車 「2018年オリジナルカレンダー」においてDE701・DD501・DD506の在籍が確認できる。2021年7月にはDD200の使用を開始した。
DE70形 (701) 1971年4月に川崎重工業 で新造されたディーゼル機関車(70t機)である。 国鉄DE11形 と同形であり、エンジンはDML61ZA(1250PS)を一基搭載している。液体変速機はDE11形同様、高速段・低速段に切り替えることが可能。JR線に乗り入れて山陽本線 岡山貨物ターミナル駅 までの運用があったためにATS-SFを装着しているほか、運転席には水臨用列車無線 機とJR用のCタイプ列車無線機・防護無線装置 が、2エンド側ボンネットに水臨用列車無線アンテナ、運転席屋根上にJR用広帯域アンテナが設置されている。当機の全般検査は国鉄・JRの工場に委託されており、国鉄時代は鷹取工場 で、JR発足後はJR貨物広島車両所 で施行されている。2023年1月末で運用を終えることが公表された。 DD50形 (501・506) 川崎車輌・日立製作所で製作されたディーゼル機関車(50t機)である。506は1966年6月、501は1968年2月の日立製作所製である。東水島 - 倉敷貨物ターミナル間の区間列車や駅構内の入換に充当されている。 DD200形 (601) 2021年6月3日、公式Twitter などで導入を正式に発表した。なお、同車両の導入については、水島臨海鉄道と倉敷市が連携したご当地マンホールのデザイン発表のニュースリリースにて、「導入予定」と明記されていた。2021年6月に試運転を行い、7月2日に使用を開始した。同年9月からはDE70形に代わって、岡山貨物ターミナル駅までのJR線乗り入れ運用に使用されている。DE70型と同様にATS-SFを装着しているほか、JR用のデジタル無線対応ABCDタイプ列車無線機が設置されている。 DE70形701号機 (倉敷貨物ターミナル、2014年6月)
DD50形501号機(水島駅 - 東水島駅間、2009年10月)
DD200形601号機(東水島、2021年9月12日)
過去の車両 気動車 キハ305形 (305) 1951年 11月に、国鉄よりキハニ181を譲り受け、キハ305とした。エンジンは1952年11月に川崎車輌でDMF13(120PS)を1基換装し、ディーゼルカーとした。台車は菱枠型であった。1973年 に廃車となり、形式消滅した。 キハ300形 (301 - 304) 301・302は1968年10月4日、303・304は1972年3月8日に夕張鉄道 より入線。エンジンは、301・302はDMH17BX (180PS/1600rpm)、303・304はDMH17C(180PS/1600rpm)を1基搭載し、台車はNH38(菱枠式1軸駆動台車)であった。302は1975年4月の踏切事故により大破し、廃車。残る3両は1978年に、岡山臨港鉄道 に移籍した。 夕張キハ301・302・夕張キハ252・253 → キハ301・302・303・304 キハ310形 (311・312) 1958年 に、国鉄より、キハ04 11,32を譲り受け、キハ311,312とした。1974年 に全車廃車となり、形式消滅した。 キハ04 11・32 → キハ310 311・312 キハ320形 (320・321) 1969年 に、国鉄よりキハ07 202を譲り受け、キハ320とした。また、1973年に同和鉱業 より、キハ701を譲り受け、キハ321とした。キハ35形の入線に伴い、1980年 に全車廃車となり、形式消滅した。 キハ07 202・キハ701 → キハ320 320・321 キハ35形 (351 - 357) 1976年 から1980年にかけて、国鉄よりキハ10系を7両譲り受け、キハ35とした(導入当時、非電化通勤路線で使用されていた国鉄キハ35系気動車 とは無関係)。キハ20形の購入により、351が1987年5月、353・357が1988年6月、352が1989年2月、356が1989年5月、354が1989年11月、355が1989年12月に廃車となり、形式消滅した。 キハ10 3・7・4・5・53・58・60 → キハ351・352・353・354・355・356・357 キハ20形 (201 - 212) キハ35形 の老朽化が進んでいたため、1986年 から1991年 にかけて、日本国有鉄道 (国鉄)・四国旅客鉄道 (JR四国)・西日本旅客鉄道 (JR西日本)より購入した車両である。乗降する際は手で開けて乗り降りをする。購入時は冷房化されていなかったが、1988年6月にトイレの撤去と共に冷房化(日本電装 製、サブエンジン式)された。また、旧国鉄色 だったものを水島色に塗り替えたが、後に再び国鉄色に戻されている(ただし明るめの色になった)。全列車ワンマン設備は設置されていない。老朽化のため2014年 5月12日 をもって定期運用を離脱した後、2017年 3月19日 の記念イベントをもって運行を終了した。2021年8月16日よりクラウドファンディング を行い、2022年3月30日に国鉄色再塗装など整備が完了し、記念式典が催された。今後は鉄道の日 などイベント列車として倉敷貨物ターミナル駅構内を走行させる予定となっている。 201,209が1995年3月、207が1996年3月、206が2001年4月、202が2002年9月、204,208が2014年5月、203が2014年11月、205が2017年3月で廃車となったほか、1996年1月に210が茨城交通 に、1997年に211,212が島原鉄道 に移籍した。 2002年9月1日には、赤穂線 全線開通40周年を記念した臨時列車を運行するためキハ203がJR西日本に貸し出された。 キハ20 342・465・338・340・321・314・310・318・521・522・413・322 → キハ201・202・203・204・205・206・207・208・209・210・211・212 岡山臨港鉄道 キハ7001(元キハ303、1984年)
キハ35形354(水島、1985年)
キハ20形203・205(国鉄色)(倉敷市駅 - 球場前駅間、2007年10月17日)
キハ20形208・204(水島臨海色)(倉敷市駅 - 球場前駅間、2012年5月4日)
ディーゼル機関車 DD50形 (503・504・505) 503・504は改良前の西岡山駅 の入換業務を当社が受託していたため、同駅に常駐して使用されていた。受託解除に伴い、1991年に廃車。 505は1962年2月川崎車輛製で、鉄道統計年報におけるディーゼル機関車の両数が4両から3両に減少した2013年度以降、在籍が確認できなくなっている。 DE10形1000番台 (1086) DE701の部品取り用として、JR四国より購入した車両である。 客車 ハ51・52、フハ91・92・152・154 専用鉄道時代の1943年に国鉄より払下げをうけた木製2軸客車。もとは五日市鉄道 が開業時に日本車輌より新製した車両。五日市鉄道時代にハ51-54、ハニ2001-2002を現番号に改番しそのまま踏襲している。 ハ60・61 オハ3121-3123、オハフ3011 1961年に国鉄より譲り受けた17m級鋼製客車国鉄オハ31系客車 。1966年に便所洗面所を撤去しロングシート化した。新旧番号対照はオハ3121←3127、3122←3146、3123←31182、オハフ3011←306。 車両数の変遷 年 キハ35形 キハ20形 MRT300形 計(冷房車) 1982-1985 7 7 1986 7 1 8 1987 7 2 9 1988 6 5 11 1989 3 7 10(6) 1990 10 10(9) 1991 10 10(10) 1992-1994 12 12(12) 1995 10 2 12(12) 1996 8 4 12(12) 1997-2001 6 6 12(12) 2002 5 6 11(11) 2003-2011 4 6 10(10)
1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール 運賃
大人旅客運賃(小児半額・10円未満切り捨て)。単位 円。2023年10月1日改定。ICOCAなどのICカードには対応しない。
キロ程 普通運賃 定期運賃(1か月) 通勤 通学 初乗り1 - 4km 210 7,500 4,350 5 - 7 270 10,070 5,760 8 - 10 360 12,710 7,280 11 380 13,680 7,870
3か月定期運賃は1か月の2.85倍、6か月定期運賃は1か月の5.4倍で、10円未満の端数切り上げ。 私有コンテナの導入
1984年 4月に初めて製作・登録された汎用コンテナ 。 正面ドア下部が、四つに分かれた横長状態の四角い部位に特別な工夫が施されているために、通称『水島タイプ』と呼ばれる。2003年 4月22日 、東水島駅 にて撮影。 水島臨海鉄道の収入源は、前記の旅客収入以外にも元々は臨海鉄道 の主たる任務である、「貨物輸送」からの収入も大きな比率を占めていた。しかし年を追うごとに汎用貨車のほか、タンク車 による石油・化学系の輸送量は、輸送環境の激動により減少し続けて、厳しさを増すばかりであった。そこでいわゆるコンテナ 化に最適な貨物として、逆に大量に出荷され続けてきた化成品 系を中心とした各種の工業生産品を、従来から使っていた5t積み用、10ft級および12ft級の小型コンテナの約2倍近く積載できる大型コンテナで、新たに大量輸送する計画を立てた。これに伴い、水島地区の多彩な企業で長年に渡りトラック貨物輸送を担当していた通運 各社のうち、コンテナ化専用の汎用20ft型10t積み用の私有コンテナ として、大量のUC5形式 コンテナが、昭和通運 (UC5-3679〜3690) ・ センコー (UC5-4798〜4837) ・ 中央通運(UC5-4853〜4867) ・ 菱成産業 (UC5-4868〜4897)の他、子会社である水島臨海通運(UC5-4838〜4852)などが保有して、いわゆる、「常備駅」的な扱いで東水島駅 に配備された。
この大量のコンテナ輸送により、コンテナ車 を牽引して旧、国鉄へ引き継いで貨物運賃収入を得ていた。その後、国鉄の一般貨車による大規模な輸送縮小の影響により、輸送の根幹を握る国鉄は、各種のコンテナ輸送に主軸を移し、これに伴い各種の規制を緩和して新たなコンテナ輸送の荷主を開拓し始めた。この影響と、国鉄時代からの強い資本関係もあり、1984年 4月 に初めて鉄道輸送用として、当時急増していた袋入りの化成品樹脂粉末などの輸送需要に対応するために、既に開発されていた、通称『水島タイプ』と呼ばれる独特の構造を備えていた、片妻片側L字二方開式の汎用タイプとなる私有コンテナを、同時期に鉄道車両や各種コンテナを大量に生産していた富士重工 にて、11個(UC5-5396〜5406)生産・導入したのが始まりである。ただし、荷主と貨物駅間でのトラックによるコンテナ輸送は、自社にトラック輸送部門がないため、全て他社に委託していた。外観デザインは、子会社の水島臨海通運(UC5-505〜512)が、1972年 5月 の初登録以来、同業者で同時期に協調して来た中央通運(UC5-503・504)と共に保有する同様のコンテナの現在も続く通称『水島カラー』と呼ばれるデザインではなく、社名をローマ字表記した頭文字の『M』を模った斬新なデザインを採用している。
その後、旧国鉄より私有コンテナ全ての管理業務を引き継いだJR貨物での登録移行により、旧式となるUC5形コンテナの一部老朽化による廃棄分の補充と、輸送量増加による増備分として制度改正により、新たにコンテナの内容積を新形式のメイン数字としたU31A形 (69〜73)5個及び、U32A形 (65〜69)5個をそれぞれ登録している。
脚注
参考文献 河上文久・和久田康雄「倉敷市営鉄道」『私鉄車両めぐり特輯 1』鉄道図書刊行会、1977年 雑誌記事 『鉄道ピクトリアル』通巻号「新車年鑑1995年版」(1995年10月・電気車研究会) 藤井信夫、大幡哲海、岸上明彦「各社別車両情勢」 pp. 86-101 「1994年度車両動向」 pp. 184-196 『鉄道ピクトリアル』通巻号「新車年鑑1996年版」(1996年10月・電気車研究会) 藤井信夫、大幡哲海、岸上明彦「各社別車両情勢」 pp. 88-105 「1995年度車両動向」 pp. 183-195 『鉄道ピクトリアル』通巻号「新車年鑑1997年版」(1997年10月・電気車研究会) 藤井信夫、大幡哲海、岸上明彦「各社別車両情勢」 pp. 86-101 「1996年度車両動向」 pp. 176-186 関連項目 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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