柳澤 秀夫(やなぎさわ ひでお、1953年9月27日 - )は、日本の放送ジャーナリスト。元NHK解説委員長。
やなぎさわ ひでお 柳澤 秀夫 | |
生年月日 | 1953年9月27日(70歳) |
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出身地 | 日本・福島県若松市(現・会津若松市) |
学歴 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
職業 | ジャーナリスト |
所属 | ホリプロ |
活動期間 | 1977年 - |
活動内容 | 1977年 - 2018年:日本放送協会 2018年 -:フリーランス |
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プロフィール | |
備考 | |
元NHK解説委員長、元NHK報道局記者 | |
福島県若松市(現・会津若松市)出身。福島県立会津高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業後、1977年に日本放送協会へ入局。NHK横浜放送局、NHK沖縄放送局記者を経て1984年から報道局外信部(現在の報道局国際部)記者。バンコク、マニラ特派員、NHKカイロ支局長を歴任し、カンボジア内戦、湾岸戦争等を取材した。湾岸戦争時には西側諸国の海外特派員としてイラクに残って、インマルサット(国際移動通信電話)を使ったレポートを繰り返した「伝説的な放送記者」となった。
2000年にNHK解説委員室解説委員に就任し、中東情勢を担当。9.11テロ、イラク戦争の影響により、中東情勢に関するドキュメンタリー番組や討論番組に頻繁に出演。『NHKニュース21』が1993年3月に放送終了して以来13年ぶりに、(後続のストレート形式の『NHKニュース9』と大型ニュース番組『NHKニュース10』を統合して21時台とした)大型ニュース番組『ニュースウオッチ9』が2006年4月3日にスタート(放送開始前に番組の立ち上げにも参加)。国際報道記者生活28年 同番組の初代メインキャスターに伊東敏恵アナウンサーと共に就任。
『ニュースウオッチ9』を担当していた2007年10月31日、肺癌を患い退任、後任の藤澤秀敏にバトンを譲った。1年余りに渡って肺癌の治療に専念した。その後体調が戻ったこともあり、2009年から解説委員室が関わる番組に再び出演。当初NHK広報室は肺癌ではなく単に「肺疾患」としていたが、不定期の出演番組が主体となって制作した2012年11月18日放送の『NHKスペシャル』で自ら初めて触れ、それが肺癌だったことを明かし、自らの闘病体験を基に日本の癌ワクチン研究・開発に対する意見を述べた。
2012年6月15日付で、NHK放送総局解説委員長に昇進。その後、解説委員に戻った。2013年に還暦を迎える。
少年時より、機械工作などを趣味として秋葉原ラジオ会館へ部品探しに通い、アマチュア無線技士として自作の無線機を用いてアマチュア無線家となる。コールサインはJA7JJN。マイクロ波の47ギガヘルツで10ミリワットと微弱な空中線電力で他のアマチュア無線局と交信し、2014年11月中旬に77ギガヘルツで直線通信距離225キロメートルを記録している。また、アマチュア無線家であることが縁で、ヨルダン国王フセイン1世の存命中にインタビューした事もあり、同好の話で盛り上がった。
マヨネーズは取材現場に持参するほど好物で、ミョウガを苦手とする。
「ヤナギー」の愛称で親しまれている。
2017年10月28日より、会津地方出身者による親睦会「会津会」の第8代会長を務めている。
2018年9月30日付を以て日本放送協会(NHK)を退職。10月1日よりホリプロと契約すると共に『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)の水・金曜コメンテーターとして、10月3日に民放初出演。
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