『放浪記』(ほうろうき)は、作家の林芙美子が自らの日記をもとに放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説である。舞台化、映画化、テレビドラマ化もされた林芙美子の出世作であり、代表作である。
「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…したがって旅が古里であった」との出だしで始まる本作は、第一次世界大戦後の暗い東京で、飢えと絶望に苦しみながらもしたたかに生き抜く「私」が主人公である。「島の男」との初恋に破れ、地方出身者の金もコネもない都会に出て来た女性が得られる職など知れていた。夜店商人、セルロイド女工、カフエの女給など、多くの職に就いて微々たる給金を得ながら最底辺の暮らしを生きる。1日休めば、宿を無くし、飢えと向き合わなければならない文字通りその日暮らし。ひどい貧乏にもめげず、あっけらかんとした姿が多くの読者をひきつけ、ベストセラーとなった。
東京は芙美子が上京した翌1923年、関東大震災で残存していた江戸と明治の街並みが壊滅し、その後モダンな大都会に甦ろうとしていた。壊滅した東京が復興を遂げつつある喧騒の底を這いずるように「私」はひもじさと孤独をかみしめながら転職と転居を重ね、詩や童話の原稿を編集者から突き返され続ける。川本三郎は「芙美子の青春と、再生しかけていた東京の『青春』が重なり合っていた」と論じている。行きあたりばったりに働き口を変える芙美子の目まぐるしさは、恋愛にも見られる芙美子の性癖だった。
桐野夏生は「たいせつな本」として本書を挙げ、「最底辺でも意気軒昂。ほの見える冷徹な目もある。若い人にぜひ読んでもらいたい」と薦めている。
大林宣彦は「"海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい"『放浪記』の有名な一節は、尾道で生まれ育った僕にとってこの一節を不思議に思っていました。普通に考えると、遠くに『見える』海がだんだん近づいてきて、その海が目の前にどーんと大きく広がった時に『見えた』と意識するのではないか。しかし、芙美子の表現では『見えた』が先でした。その理由に気付いたのは初めての上京の後、僕が尾道に、その汽車で里帰りをした時です。当時の在来線は蒸気機関車。煙を吐きながら畑の中を進む汽車が、やがて大きくて急なカーブへと差し掛かり、速度を落としながらであってもふいにカーブを大きく曲がる。すると突然、目の前に海が現れるんです。『あっ、"海が見えた"とはこういうことか』と気付きました。尾道駅に向かう車窓から、古い民家の屋根越しに見える尾道水道を眺め、『我が故郷尾道に帰ってきたんだなあ』と感慨に浸る。林芙美子は尾道独特の里帰りの情感を見事に表現していたんです。このいわゆる人情の機微を大切にした手法は僕の映画づくりにも大きく影響しています。『何よりもしみじみと感じることが大切』という大林映画の原点はここにあるのです』と述べている。
菊田一夫脚本・森光子主演で舞台化され、1961年に東京の芸術座で初演されて以後同劇場で公演を続け、公演回数は2009年5月29日まで通算2017回を数えた。2005年の公演を最後に同劇場が閉鎖されたため、2006年・2009年は帝国劇場、2008年はシアタークリエにて上演された。森もこれを終生の代表作とした。
P.C.L.映画製作所が製作し、1935年6月1日に公開された。
高峰秀子主演:成瀬巳喜男監督により、宝塚映画(現・宝塚映像)製作・東宝配給で、1962年9月29日に公開。東宝創立30周年記念映画として公開された。小説と菊田一夫の戯曲『放浪記』を底本とする。物静かで職人肌の監督だった成瀬は、午前中の撮影では絶対に女優のアップを撮らなかったという。寝起きのむくみが残っているからで、女優に喜ばれた。さりげなく、気づかいをする感性が備わっていたからこそ、愛憎に揺れ動く女心の陰影をしっとりと描写して、女性映画の名匠と呼ばれた。成瀬の演出は林芙美子との相性がよく、林の絶筆『めし』を皮切りに、『稲妻』『妻』『晩菊』『浮雲』と続けざまに撮り、最後が『放浪記』だった。菊田一夫の戯曲を底本としているため、力んだ高峰の演技から、森光子への対抗心がありありと伝わる。
1974年1月7日 - 3月1日にTBS「花王 愛の劇場」枠にて放送された。全40話。
TBS 花王 愛の劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
花のいのち (1973.10.29 - 1973.12.28) | 放浪記 (1974.1.7 - 1974.3.1) | 五番町夕霧楼 (1974.3.4 - 1974.5.3) |
1997年1月1日にテレビ東京「初春ドラマスペシャル『放浪記』〜男なんて何さ!人生は七転び八起き〜」の題名で放送された。
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