幕下(まくした)は、大相撲の番付上の階級。
呼称の由来は、十両のなかった時代(江戸時代から明治初期、1887年まで)には幕内のすぐ下の階級であったため。番付では上から二段目に記載される ため、正式名称は「幕下二段目」。現在では十両創設以降の「十両」「幕下」と区別して十両創設以前の時代の幕下を「二段目」と呼ぶことがある。
関取(十両以上)を窺う地位であり、十両への昇進を目指す者と十両下位の力士との間で、最も競争の厳しい地位でもある。力士として一人前に扱われる関取と、力士養成員扱いの幕下以下とでは、その待遇に雲泥の差があるため、俗に「十両と幕下は天国と地獄」とまで言われる。そのため関取で長く活躍してきた力士は、幕下に陥落したのを潮に引退することも多い。
地位 | 幕内(横綱 - 前頭) | 十両 | 幕下 | 三段目 | 序二段 | 序ノ口 |
---|---|---|---|---|---|---|
髷 | 大銀杏 | 丁髷 (十両との対戦時および弓取式、巡業中の初切出演、床山の練習台、引退時の断髪式の際は大銀杏容認) | ||||
服 | 紋付羽織袴 | 着物・羽織(外套・襟巻も着用可) | 着物・羽織 | 着物(浴衣もしくはウール) | ||
帯 | 博多帯 | ベンベルグ | ||||
傘 | 番傘・蛇の目傘 | 洋傘 | ||||
履物 | 足袋に雪駄(畳敷き) | 足袋に雪駄(エナメル製) | 素足に雪駄(エナメル製) | 素足に下駄 | ||
稽古廻し | 白色・木綿 | 黒色・木綿 | ||||
取り廻し | 博多織繻子(色は事実上自由) | 黒色・木綿 | ||||
下がり | 取り廻しの共布 | 紐 | ||||
足袋の色 | 白 | 黒 | ||||
控えの敷物 | 私物の座布団(色・デザインは自由) | 共用の座布団(紫一色) | 畳に直座(幕下上位五番および十両との対戦時は十両と同じ座布団) | |||
月ごとの収入 | 月額給与 | - | ||||
場所ごとの収入 | 力士褒賞金 | 場所手当・奨励金 |
幕下の地位から博多帯(博多織の帯)と冬場のコートを着用でき、番傘・蛇の目傘を差すことも許されるようになる。中でも将来有望と見込まれた力士は稽古に専念させるためちゃんこ番などの雑用を免除する部屋もある。
上位15枚目以内は成績次第で十両昇進の可能性が見えて来ることから俗に幕下上位と呼ばれ、また本場所の場内で入場者に配布される当日の取組表の裏に印刷される星取表に掲載される。21世紀以降は昇進競争が激化し、幕下上位に在位する力士の多くが関取経験者という事態がしばしばみられる。
本場所では通常15日間で7番の相撲を取る。ただし、全段での休場力士の兼ね合いなどで、(主に5敗以上の力士に)八番相撲が組まれることもある。
5戦全勝力士の六番相撲は十一日目に、6戦全勝力士の七番相撲(全員敗れて全勝力士がいなくなる可能性がある場合は5勝1敗の力士も)は十三日目に固定されている。
十両土俵入りから幕下最後の取組までの5番は特に幕下上位五番(後述)と呼ばれる。
なお第二次世界大戦後、幕下の1場所あたりの取組数は、関取が13日→10日→11日などと変遷するのに合わせ、7番→5番→6番などと変遷していたが、年2場所制から年3場所制に変更となった昭和24(1949)年春場所(3月)に、関取の13日間に対し幕下以下も12番取るように変更され、続く夏場所(5月)には十両以上が15日間に変更されたのに合わせて幕下以下も15日15番制に変更、年4場所制に変更された昭和28(1953)年初場所(1月)まで続いた後、同年春場所(3月)から幕下は15日8番制に変更された。
通常塩撒きは十両以上でないと許されないが、極稀に場所の進行が早過ぎる時に時間調整の一環として幕下の取り組みでも塩撒きが行われる。
定員は東西60枚の計120人である(1967年5月場所以降)。ただし幕下付出の力士はこれに含めない。
定員が東西60枚120人となる以前については、人数は毎場所変動していたが、戦後最少人数は1949年1月場所における51人(枚数は26枚、26枚目は東のみ)、史上最多人数は1966年1月場所における203人(枚数は101枚、他に幕下格の番付外1人)となっている。
十両創設以前の時代の幕下(二段目)で見ると、特に江戸時代の江戸相撲初期には二段目自体の枚数が10枚以下であることも多く、二段目の史上最少枚数は宝暦11年(1761年)10月場所における14人(東西7枚)であるが、この当時は恐らく他の段と待遇差で区別される地位として確立していなかったと思われる。
優勝賞金は50万円。
大相撲本場所の幕下以下の取組ではスイス式トーナメントを導入している関係上、定員が120人の幕下では、6番相撲まで6連勝した力士2人残り、七番相撲の勝者が7戦全勝で幕下優勝となる例が大半である。
一方、休場力士が続出したり、6連勝した力士2人が同部屋もしくは兄弟、親戚のため相星決戦が組めず両者共に星違いの力士に敗れたりして、全勝力士が不在になり、6勝1敗の力士複数名による優勝決定戦が行われる例も稀に発生する。逆に、6連勝した力士2人が同部屋や兄弟、親戚だったり、番付が著しく離れていたりしたため相星決戦が組めなかった際に、両者共に星違いの力士に勝利して、全勝同士の優勝決定戦が行われる例も更に稀に発生する。
なお、平成後期以降では6連勝した力士2人の相星決戦の際には場内アナウンスで力士、行司、呼出しの紹介の後で「なお、この取組の勝者は今場所の幕下優勝であります。」とアナウンスされる。
幕下に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではない。特に幕下では上位ほど、十両から陥落する力士数や十両以上の引退力士の有無によって大きく左右される。
1967年5月場所の幕内及び十両の定員改定に伴い導入された十両昇進に係る唯一の内規に、「幕下15枚目以内で7戦全勝した力士は十両昇進の対象とする。ただし番付編成の都合による。」というものが存在し、7戦全勝同士の優勝決定戦で優勝を逃した場合にも適用されるが、但し書きのとおり、必ずしも幕下15枚目以内で全勝した力士を優先して昇進させることを保証したものではない。
以上をまとめると、以下のような形になる。
以下は1年以内の期間で同じように番付下位の好成績力士との比較になり、異なる結果になった例である。
上記の例により、2018年9月場所と2020年9月場所では幕下東2枚目での4勝3敗と幕下西5枚目での5勝2敗のどちらを昇進させるかという点で異なる結果になっており、一概にどちらの成績が強いとは言えない事例となっている。
十両土俵入りは十両力士の支度の都合上、幕下の取組を5番残したタイミングで行われる。この5番は特に幕下上位五番(あるいは単に幕下上位)と呼ばれる。
出場している関取が奇数になると、幕下力士が日替わりで十両の取組に登場する。休場・引退力士が多いときには、複数人が十両の土俵に上がる。また、終盤には十両下位で不振の力士と幕下上位で十両昇進の可能性を残している力士の取組が組まれることが多い(大相撲中継では「入れ替え戦のような要素を持った取組」と言われる)。いずれの場合も、十両力士と対戦する幕下力士は大銀杏を結って土俵に上がる(ただし、出世が速く髪の伸びが追いつかず、ざんばらや丁髷で土俵に上がる力士もいる)。「入れ替え戦」はあくまでも俗称であり、結果が直接的に番付編成に反映されるものではないとされてきたが、前述の2019年7月場所の例では7番相撲における十両力士との対戦結果が考慮されたとも言われている しかし2020年9月場所の千代の海と納谷のケースでは魁勝・若元春のケースよりも単純計算時の番付差が小さく、さらに「入れ替え戦」となる取組の相手が同じ力士 であり、両者の直接対決でも勝っているという魁勝・若元春のケースよりもさらに納谷に優位な条件であったにもかかわらず同様の措置は取られなかった。納谷には「入れ替え戦」の勝利を優位とみて十両昇進の記者会見も設定されていたという。
いずれも、2024年3月場所終了時点の記録である。太字は現役。
順位 | 幕下在位 | 四股名 | 最高位 | 新幕下 | 最終在位 |
---|---|---|---|---|---|
1位 | 120場所 | 栃天晃正嵩 | 東十両4 | 1985年9月場所 | 2010年7月場所 |
2位 | 114場所 | 牧本英輔 | 東前頭12 | 1961年1月場所 | 1982年11月場所 |
3位 | 102場所 | 琴冠佑源正 | 東十両6 | 1986年9月場所 | 2006年9月場所 |
4位 | 95場所 | 大雷童太郎 | 東十両2 | 2000年1月場所 | 2019年1月場所 |
5位 | 94場所 | 輝面龍政樹 | 東幕下4 | 1991年9月場所 | 2010年1月場所 |
神幸勝紀・天ノ山静雄・出羽の洲聖・和歌乃山洋・大輝煌正人・若孜浩気・阿炎政虎の7人が達成。いずれも3回目の幕下優勝の前に1場所以上の関取在位を経験し、神幸・和歌乃山・若孜・阿炎は3回すべて全勝、天ノ山・大輝煌は1回目が1敗、出羽の洲は1・3回目が1敗。
上述の神幸・和歌乃山・若孜・阿炎の他、優勝を伴わない7戦全勝も含めると、若晃三昌・若吉葉重幸・修羅王政勝・立洸熊五郎も3回達成し、当該4人はいずれも3回の全勝のうち2回は優勝を伴い、1回は全勝同士の優勝決定戦で敗北した。
1967年5月場所で十両昇進に関わる内規が導入されて以降、2場所連続で幕下で優勝した力士は以下の8名である。いずれも、幕下16枚目(21枚目)以下で7戦全勝で優勝した翌場所に幕下15枚目(20枚目)以内でも7戦全勝で優勝して十両に昇進した。
四股名 | 1場所目 | 番付 | 2場所目 | 番付 |
---|---|---|---|---|
輪島博 | 1970年1月 | 60枚目格付出 | 1970年3月 | 東8枚目 |
長浜広光 | 1970年5月 | 西42枚目 | 1970年7月 | 東3枚目 |
垂沢和春 | 1973年9月 | 西30枚目 | 1973年11月 | 東2枚目 |
山崎直樹 | 1990年1月 | 東24枚目 | 1990年3月 | 東4枚目 |
尾曽武人 | 1993年1月 | 60枚目格付出 | 1993年3月 | 東8枚目 |
竹内雅人 | 1998年7月 | 60枚目格付出 | 1998年9月 | 西6枚目 |
松谷裕也 | 2011年1月 | 西51枚目 | 2011年技量審査 | 西4枚目 |
栃ノ心剛 | 2014年3月 | 西55枚目 | 2014年5月 | 西6枚目 |
阿炎政虎 | 2021年3月 | 西56枚目 | 2021年5月 | 東7枚目 |
上記8名のうち、連続優勝以前に関取在位を経験した力士は松谷(同時点の最高位は東十両8枚目)、栃ノ心(同時点の最高位は西小結)、阿炎(同時点の最高位は東小結)の3名。なお、全勝優勝に限定しなければ「3場所連続で幕下優勝」も理論上は起こり得るが、前例は存在しない。
順位 | 昇進年齢 | 四股名 | 最高位 |
---|---|---|---|
1位 | 16歳8か月 | 吉井虹 | 幕下3 |
2位 | 16歳9か月 | 貴花田光司(貴乃花光司) | 横綱 |
3位 | 16歳11か月 | 萩原寛(稀勢の里寛) | 横綱 |
4位 | 17歳0か月 | 大辻理紀 | 幕下8 |
4位 | 17歳0か月 | 丹治純 | 幕下50 |
四股名は幕下昇進時のもの。
昭和時代には、北の湖敏満(のちに横綱)が1969年3月場所で15才9ヶ月で幕下に昇進したが、1971年11月場所以降、義務教育修了前の初土俵は認められなくなった。
行司・呼出のうち、幕下に相当する階級の者を幕下格行司・幕下呼出と呼ぶ。本場所の本割では1日の取組の中で、1人につき、12日目までは4番前後、13日目以降は3番前後を担当する(裁く・呼び上げる)が、取組数によって担当番数が増減することがある。幕下の取組を担当するほか、行司・呼出の人数と取組の番数の関係で、下位の者は三段目の取組を担当することがある。また幕下優勝決定戦も幕下格行司・幕下呼出が務める。
取組の際の場内アナウンスでは基本的に十両格行司・十両呼出以上の行司・呼出のみアナウンスで紹介される。ただし、優勝決定戦では幕下格行司・幕下呼出以下であってもアナウンスで紹介される。
幕下格行司は、他の地位の行司と異なり、兄弟子として付け人を従えることもなければ、自身が上位の行司の付け人となることもない。幕下格行司の装束の菊綴と軍配の房紐の色は、青(実際には緑色)または黒となっており(実際には青(緑色)を用いている行司がほとんどであり、黒は現役では式守一輝が持っている程度)、裸足で土俵に上がる。
番付表や、場内の観客に配布される取組表では、行司は十両格行司以上かどうかを問わず行司全員(取組表は出場者)が記載される。
番付表や、場内の観客に配布される取組表では、呼出は十両呼出以上が記載され、幕下呼出以下は記載されない。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 幕下, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.