大阪梅田駅(おおさかうめだえき)は、大阪府大阪市北区芝田一丁目にある、阪急電鉄の駅。駅番号はHK-01。
大阪梅田駅* | |
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駅外観 | |
おおさか うめだ Osaka-umeda | |
所在地 | 大阪市北区芝田一丁目1番2号 北緯34度42分19.85秒 東経135度29分53.92秒 / 北緯34.7055139度 東経135.4983111度 東経135度29分53.92秒 / 北緯34.7055139度 東経135.4983111度 |
所属事業者 | 阪急電鉄 |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 10面9線 |
乗降人員 -統計年度- | (特定日)542,824人/日 -2019年- |
乗降人員 -統計年次- | (通年平均)444,572人/日 -2023年- |
開業年月日 | 1910年(明治43年)3月10日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■神戸本線 |
駅番号 | HK01 |
キロ程 | 0.0 km(大阪梅田起点) |
(0.9 km) 中津 HK-02► | |
所属路線 | ■宝塚本線 |
駅番号 | HK01 |
キロ程 | 0.0 km(大阪梅田起点) |
(0.9 km) 中津 HK-02► | |
所属路線 | ■京都本線** (線路名称上は宝塚本線) |
駅番号 | HK01 |
(2.4 km) 十三 HK-03► | |
乗換 | 大阪梅田駅(阪神本線) 梅田駅(Osaka Metro御堂筋線) 東梅田駅(Osaka Metro谷町線) 西梅田駅(Osaka Metro四つ橋線) 大阪駅(JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線・おおさか東線・大阪環状線) 北新地駅(JR東西線) |
* 2019年10月に「梅田」から改称。 ** 京都本線の起点は十三 |
大阪の二大繁華街の一角である「キタ」の中心地である梅田に位置しており、駅周辺は大阪屈指の繁華街・オフィス街である。阪急電鉄(阪急電車)の基幹路線である京都本線・宝塚本線・神戸本線の列車の始発・終着駅であり、同社最大のターミナル駅である。2019年以前は1日約50万人の乗降者数を誇り、西日本の大手私鉄では最も利用者数が多い。また地下鉄等の相互乗り入れが行われていないため、この50万人がそのまま改札を出入りする実数となる。10面9線のホーム・線路数は頭端式ホームの鉄道駅としてはJRの駅も含めて日本最大の規模を誇る。なお、京都本線は国交省への届け出上は十三駅が起点で、十三駅 - 大阪梅田駅間は京都本線の線路は宝塚本線の急行線(途中の中津駅にはホームが設置されていない)という扱いである。当駅から十三駅間は日本の私鉄唯一の三複線(複々々線)を形成している。
関西最大の鉄道交通の拠点である梅田地区の鉄道駅の1つであり、JR西日本のターミナル駅である大阪駅とも隣接している。2019年10月1日に、国内外の観光客にとって当駅が大阪市の拠点駅であることを分かりやすくするために「梅田駅」から「大阪梅田駅」に改称された(同様の理由で京都本線の終点である河原町駅も「京都河原町駅」に同日名称変更を行った)。駅自動放送や車内放送では開業当初から一貫して「大阪梅田」と案内されており、改称後も変更はない。また、阪神電鉄(阪神電車)の大阪梅田駅と区別して、阪急・阪神の両路線が乗り入れる神戸高速線の高速神戸駅と新開地駅などや、日生エクスプレスが乗り入れる能勢電鉄線内では「阪急大阪梅田」と呼ばれる場合もある。
世界初の駅ビル型百貨店(ターミナルデパート)とされる阪急百貨店うめだ本店(大阪梅田ツインタワーズ・ノース)と直結しており、小林一三が考案した鉄道会社がターミナル駅に百貨店を併設するビジネスモデルは、その後の大手私鉄の経営手法に大きな影響を与えた。駅周辺には阪急の各種重要施設が集積しているため、俗に「阪急村」と呼ばれることがある。
第1回近畿の駅百選選定駅。
太字は駅名
下記の駅はいずれも当駅から徒歩連絡が可能である。
阪急大阪梅田駅は、1910年に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道によって梅田駅(うめだえき)として開業した。このときは東海道本線南側、現在の阪急百貨店うめだ本店の場所にある地上駅であった。その後、十三駅までの高架化の際に当駅も高架駅となったが、この際に鉄道省大阪駅の高架化計画が既に立てられていたため、高架駅は鉄骨の仮建築として造られた。そして、大阪駅の高架化工事が部分完成するとともに、予定通り1934年に再び地上駅化された。3 - 5号線および6 - 8号線に1つずつ、ドーム状の屋根で覆われているのが特徴であった。
以上の経緯については阪神急行電鉄#梅田駅付近の変遷も参照。
1920年、駅1階のスペースを白木屋に貸し出す。僅か55坪のスペースであったが、その後、全国の駅に造られるターミナルデパートの先駆けとなった。
1944年からは、京都本線(元京阪電気鉄道の新京阪線)の当駅乗り入れが宝塚本線の線路を用いて開始されるが、京阪では戦前に独自で新京阪線と京阪本線の当駅乗り入れも計画していた(京阪梅田線を参照)。京阪による梅田の駅設置予定地は、阪急・京阪の戦時合併を経て戦後京阪を分離する際に阪急側に残し、のちに阪急ファイブ(現:HEP FIVE)と称する商業施設が建設された。
その後、宝塚本線への京都本線電車の乗り入れ本数が増加し、ラッシュ時約2分間隔となり線路を共用していては捌けなくなったため、宝塚本線の複々線化名目(急行線扱いのため、中津駅のホームを設置しない形)で新たに複線を増設した。この増設にあたっては、十三駅 - 梅田駅間高架・複々線化(ここで述べている宝塚本線の複々線化以前に、宝塚本線の複線に加えて神戸本線の複線を新設した工事)の際に残った地上線の一部を用いて営業していた北野線の用地(1949年に休止)を利用している。1959年に十三駅 - 当駅間が3複線化され、それまで当駅発着であった京都線の特急・急行列車に加え、千里山線(現:千里線)直通普通列車の梅田駅乗り入れが開始された(行楽期にはこれとは別に梅嵐急行も当駅に発着)。なお、京都線普通列車の当駅への本格的な乗り入れは当駅が3線化された1973年11月23日からである(それ以前には京都線淡路駅以東からの普通列車の梅田駅乗り入れは早朝・深夜の車庫への入出庫関連の列車程度しか設定がなかった。京都線の普通列車が全面的に梅田駅発着となったのはそれからさらに3年後の1976年9月23日からである)。1960年代の当駅改良以前は梅田駅構内で宝塚線ホームから新設された京都線の複線へ、また十三駅構内で京都線から宝塚線へ入線できる構造だったため、宝塚線の急行も京都線用の複線を走行することがあった。
ちょうどこの時期より乗客増加が顕著となり、電車の連結両数の増加に対応するため、ホームを北側に延長して対応していたが、国鉄の高架線が障害となって拡張が限界に達した。そこで1966年から1973年にかけて、現在地である日本国有鉄道(国鉄)東海道本線北側への移転高架化・拡張工事が行われた。阪急創始者の小林一三は欧州のターミナル駅を理想としており、阪急梅田駅は「ターミナル」の意味通り全ての路線の基点として位置づけられている。なお、この時に十三方に約400m移転し、営業キロもこれに合わせて変更されたが、運賃計算上のキロ数は事後処理が煩雑になることを防ぐため移転前の営業キロ数をそのまま適用している。
かつては京都本線・宝塚本線・神戸本線間の線路は当駅ではつながっておらず、各線間を直通する列車は十三駅で転線していたが、神戸線 - 宝塚線間の転線に使用される十三駅の9号線が十三駅南側の道路工事で一時期使用停止となった(現在は使用再開)ため、代わりに両線間の渡り線が中津駅寄りに設置された。神戸線車両の正雀工場への入出庫車両や嵐山駅への臨時直通列車(2008年秋と2009年春のみ)などが使用した。なお、京都線 - 宝塚線間は十三駅の南側で転線する。
阪急ターミナルビル(駅ビル)の2階にコンコース、3階にホームとコンコースがある、頭端式ホーム10面9線を有する高架駅。9線全ての両側にホームがあり、乗車用ホームと降車専用ホームが交互に並ぶ構造となっている(東から1号線乗車ホーム、1・2号線降車専用ホーム、2・3号線乗車用ホームの順で、一番西が9号線降車専用ホーム)。大阪梅田駅 - 十三駅間は京都線・宝塚線・神戸線のそれぞれ複線が並ぶ三複線となっており、京都本線(京都河原町・北千里方面)は1 - 3号線、宝塚本線(宝塚方面)は4 - 6号線、神戸本線(神戸三宮方面)は7 - 9号線をそれぞれ使用する。概ね種別ごとにホームが使い分けられ、日中は10分おきに3線同時発車が見られる。車止め上空にはホーム番号を示す電照灯が下がっており、出発直前にはこれが点滅して発車間際であることを知らせる。
改札口は頭端式ホームの先端(車止め側)にある3階改札口のほか、2階南側の2階中央改札口、2階北側の茶屋町口改札口がある。3階改札口には、柱を挟んで43台の自動改札機が並ぶ。このため3階改札口は、一か所の自動改札機設置台数としては日本一である。自動改札機は、東芝製が設置されている。エレベーターは、コンコース外に1階と3階を直通するものが、コンコース内に2階コンコースと1号線乗車用を結ぶものが設けられている。また、エスカレーターは、コンコース内では降車用も含め全てのホームに1基ずつ設置されている。
1973年に終了した駅大改良工事(歴史節参照)の際にホームが大阪環状線・東海道本線の北側に移転し大阪駅との距離が離れたため、日本で初めて(1967年設置)の動く歩道が一階コンコースに設けられている。
駅長配置駅であり、中津駅と十三駅を管轄する。
号線 | 路線 | 方向 | 方面 | 発車種別 |
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1 | ■京都本線 | 上り | 淡路・茨木市・高槻市・京都河原町・北千里・嵐山方面 | 特急、普通(平日朝夕、休日朝のみ) |
2 | 通勤特急、準特急、普通 | |||
3 | 快速特急、急行、準急、普通(朝夕のみ) | |||
4 | ■宝塚本線 | 下り | 豊中・石橋阪大前・川西能勢口・宝塚・箕面方面 | 特急「日生エクスプレス」、急行、普通(休日24時10分発のみ) |
5 | 普通、急行(平日夕ラッシュのみ) | |||
6 | 普通(平日朝夕のみ) | |||
7 | ■神戸本線 | 下り | 西宮北口・神戸三宮・神戸高速線方面 | 普通(早朝・夜間を除く) |
8 | 特急、通勤特急(平日朝ラッシュのみ)、通勤急行(平日夕ラッシュのみ)、普通(朝夕のみ) | |||
9 | 特急、通勤特急(平日朝ラッシュのみ)、準特急(深夜のみ)、急行(深夜のみ)、普通(早朝のみ) |
公式サイトでは、乗車ホームが異なる列車(京都本線の1号線、宝塚本線の6号線、神戸本線の7号線)のみ、その旨の案内を表記していた。
※ 大阪梅田駅 - 十三駅間の鉄道配線図(注意・巨大画像幅900px)を表示するには、右の [表示] をクリックしてください。
↑ 西宮北口・神戸三宮・新開地 方面 | ||
→ 石橋阪大前・ 池田・ 川西能勢口 ・雲雀丘花屋敷・宝塚・箕面・ 日生中央 方面 | ||
↓ 淡路・高槻市・桂・烏丸・京都河原町 ・北千里・嵐山 方面 | ||
凡例 出典:以下を参考に作成。 * 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』 第60巻第8号 通巻第837号、2010年8月 臨時増刊号、 「【特集】 阪急電鉄」、巻末折込「阪急電鉄線路配線略図 2010年(平成22年)4月10日現在」。 画像左より大阪梅田・中津・十三の各駅 画像上より■:神戸本線、■:宝塚本線、■:京都本線 白線クロスハッチは降車専用ホーム 大阪梅田駅 - 中津駅間の渡り線は2010年10月限りで撤去 十三駅の8番線横は保線基地、4番線宝塚方横にあるのは電路基地 |
2023年(令和4年)次の1日平均乗降人員は 444,572人である。阪急の駅では第1位であり、西日本の大手私鉄の駅としても第1位、全国の大手私鉄では渋谷駅(東急電鉄)、池袋駅(東京地下鉄)に次いで第3位。JRと地下鉄を含めると、大阪駅に次いで多い。
1980年代の最盛期には1日あたりの乗降人員が65万人を超え、私鉄のターミナルとして乗降客数が日本最大であった時期もあった。1990年代に入るとバブル崩壊による安定成長期終焉とそれに続く平成不況、1995年に発生した阪神・淡路大震災による乗客の逸失、さらには並行するJRとの激しい競争により、2010年度までは乗降客数が年々減少していた。2011年度からは一転して乗降人員は漸増している。
大規模駅としては珍しく他路線との直通運転を行っておらず、同駅で乗降する利用者の殆どが改札機を通過する。
また、2019年度のある特定日における1日の乗降人員は542,824人であり、路線別1日乗降人員は以下のとおりである。京都本線の乗降人員は淡路駅以南でバイパス路線のOsaka metro堺筋線を持つため、宝塚本線や神戸本線の7割程度になっている。
各年度の1日乗降・乗車人員数は下表の通りである。
年度 | 特定日 | 1日平均 | 出典 | ||
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乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | ||
1960年(昭和35年) | - | - | 470,521 | 234,919 | |
1961年(昭和36年) | 518,172 | 257,062 | |||
1962年(昭和37年) | 578,913 | 285,174 | |||
1963年(昭和38年) | 629,834 | 309,964 | |||
1964年(昭和39年) | 674,262 | 333,048 | |||
1965年(昭和40年) | 695,471 | 344,678 | |||
1966年(昭和41年) | 307,244 | 705,788 | 348,701 | ||
1967年(昭和42年) | 312,882 | 721,162 | 356,198 | ||
1968年(昭和43年) | 323,162 | - | 376,981 | ||
1969年(昭和44年) | 328,347 | 394,330 | |||
1970年(昭和45年) | 315,904 | 401,166 | |||
1971年(昭和46年) | 307,384 | 356,925 | |||
1972年(昭和47年) | 305,535 | 358,850 | |||
1973年(昭和48年) | 301,561 | 360,666 | |||
1974年(昭和49年) | 304,362 | 362,250 | |||
1975年(昭和50年) | 313,065 | 362,500 | |||
1976年(昭和51年) | 313,550 | 356,667 | |||
1977年(昭和52年) | 316,494 | 359,084 | |||
1978年(昭和53年) | 312,131 | 357,000 | |||
1979年(昭和54年) | 310,242 | 350,000 | |||
1980年(昭和55年) | 322,949 | 358,833 | |||
1981年(昭和56年) | 320,001 | 364,999 | |||
1982年(昭和57年) | 642,762 | 323,220 | 369,267 | ||
1983年(昭和58年) | 640,885 | 322,563 | 372,559 | ||
1984年(昭和59年) | 644,801 | 327,188 | 369,555 | ||
1985年(昭和60年) | 639,885 | 322,237 | 379,594 | ||
1986年(昭和61年) | 652,762 | 331,266 | 383,319 | ||
1987年(昭和62年) | 661,434 | 337,061 | 387,307 | ||
1988年(昭和63年) | 655,860 | 329,571 | 394,771 | ||
1989年(平成元年) | - | 387,805 | |||
1990年(平成 | 2年)653,613 | 331,422 | 391,526 | ||
1991年(平成 | 3年)- | 429,982 | |||
1992年(平成 | 4年)613,788 | 304,227 | 391,020 | ||
1993年(平成 | 5年)- | 373,373 | |||
1994年(平成 | 6年)378,826 | ||||
1995年(平成 | 7年)604,142 | 308,416 | 365,662 | ||
1996年(平成 | 8年)641,898 | 329,037 | 352,233 | ||
1997年(平成 | 9年)652,194 | 330,208 | 345,568 | ||
1998年(平成10年) | 609,170 | 308,340 | 346,680 | ||
1999年(平成11年) | - | 339,322 | |||
2000年(平成12年) | 586,965 | 294,580 | 332,981 | ||
2001年(平成13年) | 592,232 | 297,621 | 326,428 | ||
2002年(平成14年) | 584,359 | 293,445 | 318,886 | ||
2003年(平成15年) | 554,707 | 277,218 | 315,219 | ||
2004年(平成16年) | 567,646 | 284,384 | 309,203 | ||
2005年(平成17年) | 563,779 | 282,029 | 314,872 | ||
2006年(平成18年) | 553,101 | 278,148 | 304,213 | ||
2007年(平成19年) | 555,659 | 280,613 | 294,778 | ||
2008年(平成20年) | 543,168 | 273,334 | 290,981 | ||
2009年(平成21年) | 516,280 | 259,962 | 294,144 | ||
2010年(平成22年) | 507,202 | 255,149 | 282,063 | ||
2011年(平成23年) | 514,005 | 258,957 | 280,276 | ||
2012年(平成24年) | 516,359 | 259,928 | 285,416 | ||
2013年(平成25年) | 523,189 | 262,916 | 291,718 | ||
2014年(平成26年) | 533,483 | 268,652 | 295,623 | ||
2015年(平成27年) | 535,945 | 270,144 | 305,327 | ||
2016年(平成28年) | 536,909 | 270,040 | 301,484 | ||
2017年(平成29年) | 540,287 | 271,915 | 304,066 | ||
2018年(平成30年) | 543,518 | 273,634 | 305,237 | ||
2019年(令和元年) | 542,824 | 272,998 | 305,558 | ||
2020年(令和 | 2年)444,862 | 224,183 | 225,556 | ||
2021年(令和 | 3年)447,194 | 225,297 | |||
2022年(令和 | 4年)457,781 | 230,309 |
特定日の路線別乗降・乗車人員数は下表のとおりである。
年度 | 神戸本線 | 宝塚本線 | 京都本線 | 出典 | |||
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乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | ||
1985年(昭和60年) | 232,205 | 115,343 | 228,066 | 113,251 | 179,614 | 93,643 | |
1986年(昭和61年) | 238,204 | 119,344 | 232,198 | 116,238 | 182,360 | 95,684 | |
1987年(昭和62年) | 240,784 | 121,465 | 236,582 | 118,814 | 184,068 | 96,782 | |
1988年(昭和63年) | 238,980 | 119,075 | 236,144 | 116,733 | 180,736 | 93,763 | |
1989年(平成元年) | - | ||||||
1990年(平成 | 2年)242,309 | 121,712 | 239,518 | 120,237 | 171,786 | 89,473 | |
1991年(平成 | 3年)- | ||||||
1992年(平成 | 4年)226,304 | 111,600 | 228,365 | 111,245 | 158,819 | 81,382 | |
1993年(平成 | 5年)- | ||||||
1994年(平成 | 6年)|||||||
1995年(平成 | 7年)215,677 | 108,870 | 230,417 | 114,764 | 158,048 | 84,782 | |
1996年(平成 | 8年)226,440 | 114,054 | 239,230 | 119,683 | 176,228 | 95,300 | |
1997年(平成 | 9年)228,571 | 113,671 | 240,683 | 119,297 | 182,760 | 97,240 | |
1998年(平成10年) | 215,185 | 106,593 | 224,675 | 111,459 | 169,310 | 90,288 | |
1999年(平成11年) | - | ||||||
2000年(平成12年) | 212,856 | 105,942 | 217,857 | 108,133 | 156,252 | 80,505 | |
2001年(平成13年) | 213,665 | 106,983 | 219,652 | 108,997 | 158,915 | 81,641 | |
2002年(平成14年) | 210,679 | 105,420 | 214,742 | 106,427 | 158,938 | 81,598 | |
2003年(平成15年) | 199,196 | 98,417 | 205,263 | 101,487 | 150,278 | 77,314 | |
2004年(平成16年) | 201,218 | 99,593 | 212,049 | 105,401 | 154,379 | 79,390 | |
2005年(平成17年) | 199,897 | 98,954 | 210,774 | 104,843 | 153,138 | 78,232 | |
2006年(平成18年) | 198,853 | 98,555 | 207,779 | 104,034 | 146,469 | 75,559 | |
2007年(平成19年) | 200,181 | 99,974 | 209,436 | 105,417 | 146,042 | 75,222 | |
2008年(平成20年) | 197,803 | 98,407 | 205,108 | 102,557 | 140,257 | 72,370 | |
2009年(平成21年) | 187,960 | 93,490 | 196,422 | 98,253 | 131,898 | 68,219 | |
2010年(平成22年) | 183,941 | 91,438 | 192,299 | 96,184 | 130,962 | 67,527 | |
2011年(平成23年) | 186,623 | 92,833 | 193,772 | 97,079 | 133,610 | 69,045 | |
2012年(平成24年) | 187,765 | 93,566 | 192,171 | 96,270 | 136,423 | 70,092 | |
2013年(平成25年) | 187,386 | 93,126 | 198,307 | 99,084 | 137,496 | 70,706 | |
2014年(平成26年) | 191,104 | 95,195 | 200,551 | 100,552 | 141,828 | 72,905 | |
2015年(平成27年) | 190,936 | 94,901 | 201,397 | 101,433 | 143,612 | 73,810 | |
2016年(平成28年) | 191,839 | 95,539 | 201,475 | 101,045 | 143,595 | 73,456 | |
2017年(平成29年) | 192,595 | 96,039 | 204,576 | 102,601 | 143,116 | 73,275 | |
2018年(平成30年) | 194,672 | 97,190 | 206,140 | 103,527 | 142,706 | 72,917 | |
2019年(令和元年) | 196,872 | 98,250 | 206,544 | 103,887 | 139,408 | 70,861 | |
2020年(令和 | 2年)159,221 | 79,590 | 173,957 | 87,571 | 111,684 | 57,022 | |
2021年(令和 | 3年)162,302 | 81,267 | 142,473 | 86,704 | 112,419 | 57,326 | |
2022年(令和 | 4年)165,756 | 82,687 | 176,916 | 88,737 | 115,109 | 58,885 |
一日平均乗降・乗車人員は下表のとおりである。
年次 | 平日限定 | 通年平均 | ||
---|---|---|---|---|
乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | |
2007年(平成19年) | 559,654 | 281,347 | - | |
2008年(平成20年) | 556,971 | 280,148 | ||
2009年(平成21年) | 535,366 | 269,552 | ||
2010年(平成22年) | 523,744 | 263,677 | ||
2011年(平成23年) | 522,790 | 263,437 | ||
2012年(平成24年) | 524,578 | 264,347 | ||
2013年(平成25年) | 535,905 | 270,082 | ||
2014年(平成26年) | 540,568 | 272,337 | ||
2015年(平成27年) | 545,067 | 274,591 | ||
2016年(平成28年) | - | 505,359 | 255,011 | |
2017年(平成29年) | 510,643 | - | ||
2018年(平成30年) | 508,862 | |||
2019年(令和元年) | 512,887 | |||
2020年(令和 | 2年)356,742 | |||
2021年(令和 | 3年)349,521 | |||
2022年(令和 | 4年)402,947 | |||
2023年(令和 | 5年)444,572 |
梅田は大阪最大の繁華街・オフィス街である。難波や心斎橋と並ぶ大阪の商業の中心地であり、淀屋橋とともに大阪の代表的なオフィス街である。百貨店・ファッションビル・専門店・ホテル・オフィスビルなどが集積し、関西最大の超高層ビル群を形成している。
阪急大阪梅田駅周辺には阪急百貨店うめだ本店をはじめとする阪急関連の商業施設やオフィスビルなどが多く立ち並んでいるため、この地域を指して阪急村と呼ばれることがある。
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