多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は東京都大田区田園調布にある神社。旧・下沼部村(田園調布の南半分)の鎮守。登記上の宗教法人名称は浅間神社(せんげんじんじゃ)。
浅間神社 | |
---|---|
所在地 | 東京都大田区田園調布1-55-12 |
位置 | 北緯35度35分14.5秒 東経139度40分7.1秒 / 北緯35.587361度 東経139.668639度 東経139度40分7.1秒 / 北緯35.587361度 東経139.668639度 |
主祭神 | 木花咲耶姫命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 鎌倉時代文治年間 |
本殿の様式 | 浅間造 |
別名 | 多摩川浅間神社 |
例祭 | 6月1日 |
地図 |
全国にある浅間神社の一社。本殿の建築様式は浅間造であり、これは東京都内では唯一。社殿は浅間神社古墳の上に建てられており、間に東急東横線を挟んで多摩川台公園の舌状台地に連なる。社殿までの参道は多数の溶岩が置かれ、富士塚のように富士登山を模している。
社地は古代に前方後円墳が築かれていた場所であり、本殿の場所が、後円部にあたる。
創建は鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)と伝えられる。
源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。
その後、1652年(承応元年)5月に浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行ったという。これにならい、現在も6月に例祭を行っている。
1907年(明治40年)に『一村に一神社』という合祀のための政令が出されたため、当時の東京府荏原郡調布村大字下沼部にあった赤城神社、熊野神社、浅間神社の三社のうち前二社を当社に合祀する。
境内には、富士講中興の祖である食行身禄の石碑がある。明治15年に地元の講社が33回目の登山を記念して建てたものである。この石碑の字を書いたのは勝海舟である。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 多摩川浅間神社, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.