田園調布(でんえんちょうふ)は、東京都大田区・世田谷区の広域地名。都内有数の高級住宅街となっている。
田園調布 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度35分43秒 東経139度40分06秒 / 北緯35.595225度 東経139.668317度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 大田区 |
地域 | 大森地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在) | |
人口 | 18,952 人 |
世帯数 | 9,183 世帯 |
面積() | |
1.833301026 km² | |
人口密度 | 10337.64 人/km² |
郵便番号 | 145-0071 |
市外局番 | 03(東京MA) |
ナンバープレート | 品川 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 東京都 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
田園調布本町 | |
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町丁 | |
北緯35度35分8.61秒 東経139度40分30.66秒 / 北緯35.5857250度 東経139.6751833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 大田区 |
地域 | 大森地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在) | |
人口 | 8,020 人 |
世帯数 | 4,121 世帯 |
面積() | |
0.431618293 km² | |
人口密度 | 18581.23 人/km² |
郵便番号 | 145-0072 |
市外局番 | 03(東京MA) |
ナンバープレート | 品川 |
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町名は大田区田園調布、田園調布本町(でんえんちょうふほんちょう)、田園調布南、世田谷区玉川田園調布。本項では、田園調布および田園調布本町について解説する。
田園調布は、1918年(大正7年)に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた「理想的な住宅地『田園都市』の開発」を目的とする田園都市株式会社により主に開発され、1923年(大正12年)8月から分譲開始した地域である。田園都市株式会社は東急電鉄、東急不動産の始祖にあたる会社である。
旧東京市大森区田園調布の一部である。また隣接する世田谷区(旧・玉川村)に玉川田園調布(たまがわでんえんちょうふ)の町名があるが、田園都市株式会社が多摩川台住宅地として田園調布と一体的に造成・分譲を行った地域である。
昭和30年代初頭の住居表示変更により、大田区田園調布一丁目から五丁目が、一丁目から七丁目に変更された。さらに1970年(昭和45年)に地番改正が行われ、中原街道から北側の田園調布三丁目から七丁目を一丁目から五丁目に、中原街道と東海道新幹線と品鶴線(現・横須賀線)に挟まれる田園調布二丁目を田園調布本町、線路の南側の田園調布一丁目を田園調布南と変更した。
現在の大田区田園調布の大部分の地域が第一種低層住居専用地域と第二種風致地区にあたり、日本有数の高級住宅街として有名である。
現在の大田区田園調布は一丁目~五丁目から成り、広さは約63万坪(約205万平方メートル)である。
田園調布と表記のつく地域は、次の二つからなる。
高級住宅街のイメージで語られる際の「田園調布」とは、田園調布駅西側に広がる扇状の街路付近の大田区田園調布三丁目、四丁目の一部、及び世田谷区玉川田園調布の一部を中心とした一帯を指すが、かつては田園調布一丁目から二丁目にかけての国分寺崖線に面した部分、及び田園調布四丁目から五丁目にかけての多摩川に面した国分寺崖線の辺りに大邸宅が集中し、現在、多摩川駅周辺の斜面に点在するマンション群はその名残である。
大田区田園調布には、北から、東急東横線と目黒線が乗り入れる田園調布駅と、この2線に加え東急多摩川線の始発駅でもある多摩川駅があり、田園調布本町には東急多摩川線の沼部駅がある。
田園調布には、東京都内で最大規模の古墳である荏原台古墳群のうち、田園調布古墳群があり、荏原台古墳群で最古の宝萊山古墳と最大の亀甲山古墳がある。
大深度地下方式によるリニア中央新幹線のトンネル掘削工事が予定されており、完成時には第一首都圏トンネルが田園調布の一部を東西に通過する。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(いずれも東調布町) |
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田園調布一丁目 | 1932年10月1日 | 大字下沼部字大道通・字長久保・字東原・字石塚・字大境・字上川田・字観音堂・字下ノ根・字下川原・字下川邊 |
田園調布二丁目 | 大字下沼部字宮前・字中原・字出山・字宮ノ上・字龜塚・字いかり・字中谷・字柳谷・字丸山・字石菖谷・字堀廻・字稻荷森・字西中原・字新宿久保・字川邊 | |
田園調布三丁目 | 大字下沼部字一本木谷・字大原・字中丸・字汐見臺・字西谷・字旭野・字牡若谷 | |
田園調布四丁目 | 大字上沼部(全域)、大字下沼部字上沼部前 |
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければその一部) |
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田園調布一丁目 | 1970年9月1日 | 田園調布三丁目、調布大塚町 |
田園調布二丁目 | 田園調布四丁目(全域) | |
田園調布三丁目 | 田園調布五丁目(全域) | |
田園調布四丁目 | 田園調布六丁目(全域)、田園調布三丁目 | |
田園調布五丁目 | 田園調布七丁目(全域) | |
田園調布本町 | 田園調布二丁目、調布大塚町、調布嶺町一丁目 | |
田園調布南 | 田園調布一丁目(全域)、調布嶺町二丁目(全域)、田園調布二丁目、調布嶺町一丁目 |
開発当初は日本の都市に新たに出現した中堅層向けの住宅地であったが、田園調布に居住しこの街の開発を推進した、渋沢栄一の子渋沢秀雄によると「私は田園調布の西側に半円のエトワール型を取り入れてもらった。この分譲地のサイト・プランを依頼した矢部金太郎君に注文をつけたのである」とエトワール型の道路を造り街路樹を植え、広場と公園を整備し、庭を広くとり緑地の一部とし、街全体を庭園のようにするなど、良好な住宅環境であったことから次第に評価が高まった。また国分寺崖線の良好な地盤の上にある事から、関東大震災後に都心から多くの人が移住し、関東大震災後から都心で被災した富裕層が次々に移り住むようになった。
開発当初からの駅西側に広がる扇状に整備された区画一体は、イチョウの並木と相まって高級住宅街としての趣を備えている。地元自治会としては1926年(大正15年)に設立された「田園調布会」があり、住宅の新改築に際しては厳しい制限を求め、環境保全に努めている。大田区役所及び田園調布会によれば、田園調布が「日本で初めて庭園都市(ガーデンシティー)として計画的に開発され分譲された地域」であるとされている。
対比される兵庫県芦屋市六麓荘町は1928年(昭和3年)から、お屋敷町として数万坪が開発されたが、田園調布では、田園都市株式会社により街全体を庭園、つまり庭園都市(ガーデンシティー)にすることを目的に、約30万坪(約100万平方メートル)が開発されており、開発コンセプトは全く異なっている。なお田園調布も、当初は旧制大学や旧制高等学校を卒業し、工場(企業)に勤める中堅層を販売の対象にしていた。
東急東横線・目黒線が通る多摩川駅の東側、田園調布一丁目に、約3万平方メートルの広さの田園調布せせらぎ公園(旧多摩川園遊園地の一部)があり、多摩川駅の西側から多摩川の河川敷との間、一丁目と四丁目に約6万6千平方メートルの広さの多摩川台公園が、そして三丁目には大正時代末期からある宝来公園があり、第二種風致地区による建築制限と相まって、良好な住環境が整っている。
田園調布一丁目、二丁目の主要区画道路には桜並木が植えられ、かつて学校の始業式の季節には満開の桜が花のトンネルのようであった。現在ではその多くが老木となり、最盛期よりも減ってはいるが、開花期には美しい花を咲かせている。
戦後には、長嶋茂雄など著名人が多く住み、1980年代には星セント・ルイスのギャグのネタ「田園調布に家が建つ」にもなった。
大正時代に、渋沢栄一が中心となって、イギリスで提唱された田園都市構想をモデルとした。その理念は、都市の外側を田園や緑地帯で囲み、企業も誘致し、交通渋滞や公害のない、住宅環境に優れた都市を建設するというものである。田園調布の駅前広場を中心に放射状に延びる街路は、当時のヨーロッパの都市に見られた特徴をそのまま取り入れた名残である。
日本の田園都市建設の参考とするため、渋沢秀雄が田園都市視察のため1919年(大正8年)8月から欧米11カ国を訪問した。その時の回想記によると エベネザー・ハワードがロンドン郊外に創設した田園都市レッチワースよりも、サンフランシスコ郊外の高級住宅地セントフランシス・ウッドの街並を田園都市建設の参考にしているようである。
また、分譲当時の「田園都市案内パンフレット」の中の理想的住宅地によると、日本の田園都市を建設するにあたり、次のように述べている。
つまり、ロンドンのレッチワースは住宅街に隣接して工業地域を作り、住宅街の周囲を農業地域が取り囲み緑地帯にしたのに対し、日本の田園都市ではそれらを造らず、「街全体を庭園都市(ガーデンシティー)とすることを建設の目的とした」のである。実際に田園調布の西側に半円のエトワール型の道路を取り入れ、採算を度外視し、道路面積だけでも街全体の18パーセントに達しており、また広場と公園を整備し、良好な住環境を提供している。
また「田園都市案内パンフレット」には、理想的な住宅地である田園都市において住宅建設をする上で守るべき条件として以下の基準を挙げている。
これらの「理念」及び「建築の基準」は、現在の田園調布においても「一般社団法人田園調布会」及び大田区都市計画による「田園調布憲章」「環境保全についての申し合わせ」及び「大田区田園調布地区地区計画」などにより受け継がれている。
1950年、田園調布南に開校した東京都立大田高等学校は、1953年2月に東京都立田園調布高等学校に改称している。
田園調布学園中等部・高等部は1926年開校の調布女学校に起源を持つ私立の女子校である。戦後の新制度に適合して調布中学校、調布高等学校となったが、2004年4月に現校名に改称した。学校敷地は世田谷区東玉川にあるが、環八通りを挟んで田園調布と隣り合っており、最寄駅は東急東横線・目黒線の田園調布駅である。
警察署や消防署は、当初「東調布警察署」「東調布消防署」を名乗っていたが、1987年(昭和62年)12月に警察署が、1994年(平成6年)11月1日に消防署がそれぞれ「田園調布 - 」と改称した。 ただし、田園調布警察署は田園調布一丁目にあるが、田園調布消防署の所在地は雪谷大塚町である。なお、田園調布を冠した施設には他に「田園調布郵便局」があるがその所在地は南雪谷であり、これら警察署、消防署、郵便局の三者は中原街道と環八通りとの交差点「田園調布陸橋」を囲んで向かい合って存在している。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
田園調布一丁目 | 3,759世帯 | 7,291人 |
田園調布二丁目 | 2,250世帯 | 4,454人 |
田園調布三丁目 | 772世帯 | 1,837人 |
田園調布四丁目 | 893世帯 | 1,982人 |
田園調布五丁目 | 1,509世帯 | 3,388人 |
計 | 9,183世帯 | 18,952人 |
国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年) | 16,979 |
2000年(平成12年) | 17,682 |
2005年(平成17年) | 17,973 |
2010年(平成22年) | 17,923 |
2015年(平成27年) | 18,056 |
2020年(令和2年) | 18,606 |
国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年) | 6,986 |
2000年(平成12年) | 7,665 |
2005年(平成17年) | 7,917 |
2010年(平成22年) | 8,187 |
2015年(平成27年) | 8,453 |
2020年(令和2年) | 8,866 |
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
田園調布一丁目 | 205事業所 | 1,422人 |
田園調布二丁目 | 236事業所 | 1,707人 |
田園調布三丁目 | 79事業所 | 444人 |
田園調布四丁目 | 57事業所 | 147人 |
田園調布五丁目 | 80事業所 | 389人 |
計 | 657事業所 | 4,109人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年) | 648 |
2021年(令和3年) | 657 |
経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年) | 4,223 |
2021年(令和3年) | 4,109 |
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
田園調布本町 | 4,121世帯 | 8,020人 |
国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年) | 7,211 |
2000年(平成12年) | 7,450 |
2005年(平成17年) | 7,404 |
2010年(平成22年) | 7,586 |
2015年(平成27年) | 8,166 |
2020年(令和2年) | 8,444 |
国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年) | 3,167 |
2000年(平成12年) | 3,353 |
2005年(平成17年) | 3,479 |
2010年(平成22年) | 3,699 |
2015年(平成27年) | 4,205 |
2020年(令和2年) | 4,385 |
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
町丁 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
田園調布本町 | 152事業所 | 1,049人 |
経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年) | 168 |
2021年(令和3年) | 152 |
経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年) | 881 |
2021年(令和3年) | 1,049 |
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
田園調布一丁目 | 1番の一部 | 大田区立調布大塚小学校 | 大田区立石川台中学校 |
1番の一部 2〜9番 13〜29番 31〜40番 | 大田区立田園調布中学校 | ||
10〜12番 30番 41〜64番 | 大田区立田園調布小学校 | ||
田園調布二丁目 | 全域 | ||
田園調布三丁目 | 全域 | ||
田園調布四丁目 | 全域 | ||
田園調布五丁目 | 全域 |
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
田園調布本町 | 50〜51番 | 大田区立調布大塚小学校 | 大田区立石川台中学校 |
52〜53番 | 大田区立東調布中学校 | ||
1〜49番 54〜58番 | 大田区立東調布第一小学校 |
町丁 | 郵便番号 | 郵便局 |
---|---|---|
田園調布 | 145-0071 | 田園調布郵便局 |
田園調布本町 | 145-0072 |
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