三上 章(みかみ あきら、1903年〈明治36年〉1月26日 - 1971年〈昭和46年〉9月16日)は、日本の言語学者。数学教師。筆名に、加茂 一政(かも いっせい)。従来の主語概念を否定して、「何々は」と「何々が」との機能差を明確にした「主語廃止論(主語否定論)」などで知られる。数学史家の三上義夫は大叔父にあたる。
人物情報 | |
---|---|
別名 | 加茂 一政 |
生誕 | 三上 彰(読み同じ) 1903年1月26日 大日本帝国・広島県高田郡甲立村 |
死没 | 1971年9月16日(68歳没) 日本・大阪府 |
出身校 | |
学問 | |
研究分野 | 言語学 |
学位 | |
特筆すべき概念 | 主語廃止論 |
主要な作品 |
|
影響を受けた人物 | 佐久間鼎 |
影響を与えた人物 | 寺村秀夫 |
広島県高田郡甲立村大字上甲立(現・安芸高田市)出身。1960年に『構文の研究』で文学博士(東洋大学、1960年)。『象は鼻が長い』などの日本語研究で知られている。三上自身が創立期に参加していた奥田靖雄・鈴木重幸らの言語学研究会での評価の他、世界的な評価もあり1970年にはハーバード大学に招かれて講義を行ったことがある。
広島高等師範附属中学(現・広島大学附属高校)から、1920年に(旧制)山口高等学校に首席入学。しかし、校風が気にいらず退学し、翌1921年第三高等学校入学。1927年東京帝国大学工学部建築学科卒。
この節の加筆が望まれています。 |
2003年に、三上の生誕100年を記念した「三上章フェスタ」が開催された。
若い頃哲学を志し、そのためには数学を学ぶ必要がある、として東京帝国大学工学部建築学科に入学する(1924年)。職業としては朝鮮や広島などで数学教師として長く勤務。朝鮮で教師をしていた時には哲学書を読み漁っていたという。1940年に加茂一政の名で『技藝は難く』を自費出版、その翌年、佐久間鼎に入門。日本語文法研究を志す決意をしたとき、本居宣長の墓に詣でたという。
三上章の理論は、益岡隆志が発見・刊行した博士論文(東洋大学)や『三上文法から寺村文法へ』により、その緊密な体系性が明らかとなった。
述語と補語の研究の中では、動詞の新たな分類が重要なものの一つである。従来の他動詞と自動詞という分類とは別に、「能動詞」と「所動詞」という分類を立てた。「所動詞」は最近の理論言語学でいう非対格動詞に相当する。「在る」や「要る」など、受動態にすることが不可能な動詞のクラスを表す。これは「間接受動」、あるいは「迷惑の受身」で自動詞を受動化できる日本語において重要な意味を持つ。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 三上章, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.