ルーシ県(ウクライナ語:Руське воєводство;ポーランド語: Województwo ruskie;ラテン語:Palatinatus Russiae)は、1434年から1791年にかけて存在したポーランド王国の地方行政単位である。ポーランド・リトアニア共和国の県(ヴォイェヴォツトフォ)の一つ。小ポーランド州に属す。リヴィウを中心としたハルィチ地方とポジーリャ地方の西部を含んでいた。ルテニア県とも。
1349年にルーシ系の国の一つ、ハールィチ・ヴォルィーニ王国(ルーシ王国)のボレスワフ・ユーリー2世王がなくなると、その王国の継承をめぐって隣国のリトアニア大公国とポーランド王国はハールィチ・ヴォルィーニ戦争を開始した。その結果、リトアニアは北のヴォルィーニ地方を、ポーランドは南のハールィチ地方を手に入れた。1434年にポーランド国王ヴワディスワフ2世はハールィチ地方にルーシ県を設し、自らがルーシの君主であると主張した。ハールィチ地方で最大の都市リヴィウは県庁と県知事(ヴォイェヴォダ)の所在地となり、県裁判はスドーヴァ・ヴィーシュニャに置かれた。
ルーシ県の人口の過半数はルーシ人であった。彼らは農村部を中心に暮らしていたが、都市や町などでポーランド人、ユダヤ人、アルメニア人、ドイツ人などの民族と共に住んでいた。1677年の時点で、ルーシ県内には3000以上の村と100以上の町が存在した。
1772年にポーランド・リトアニア共和国の分割に伴い、ルーシ県はオーストリア帝国に併合された。県域はガリツィア・ロドメリア王国に再編成された。ホルム郡はロシア帝国の領土となった。
現在、旧ルーシ県域はウクライナのリヴィウ州、テルノーピリ州、イヴァノ=フランキウシク州、ベラルーシのブレスト州、ポーランドのポトカルパチェ県に当たる。
タンネンベルクの戦い (1410年)における諸州の騎士の軍旗。
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