株式会社リコー(英: RICOH COMPANY,LTD.)は、事務機器、光学機器などを製造するメーカー。
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社 |
市場情報 | OTCQB RICOY |
本社所在地 | 日本 〒143-8555 東京都大田区中馬込一丁目3番6号 |
設立 | 1936年(昭和11年)2月6日 (理研感光紙株式会社) |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 2010801012579 |
事業内容 | 光学機器、事務用機器、印刷用機器、音響機器、電気機器、電子機器、通信機器、精密機器、計測器、照明機器、医療関連機器、その他一般機械器具およびこれらの附属品消耗品の製造、販売 他 |
代表者 | 代表取締役兼会長 山下良則 代表取締役兼社長執行役員兼CEO 大山晃 |
資本金 | 1,353億64百万円 (2022年3月31日時点) |
発行済株式総数 | 6億3,746万8,178株 (2022年3月31日時点) |
売上高 | 連結:1兆7,585億87百万円 (2022年3月31日時点) |
営業利益 | 連結:400億52百万円 (2022年3月31日時点) |
純利益 | 連結:303億71百万円 (2022年3月31日時点) |
純資産 | 連結:9,058億25百万円 (2022年3月31日時点) |
総資産 | 連結:1兆8,532億54百万円 (2022年3月31日時点) |
従業員数 | 連結:78,362人 (2022年3月31日時点) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 有限責任監査法人トーマツ |
主要株主 | 日本マスタートラスト信託銀行(信託口)18.60% GOLDMAN SACHS INTERNATIONAL 4.77% 日本生命保険 4.62% 日本カストディ銀⾏(信託口) 4.20% 新生信託銀⾏ 3.29% (2022年3月31日現在) |
主要子会社 | リコージャパン 100% リコーインダストリー 100% リコーエレメックス 100% |
関係する人物 | 市村清(創業者) 大河内正敏(理化学研究所第3代所長) 浜田広(元社長) 桜井正光(元社長) 近藤史朗(元社長) 三浦善司(元社長) |
外部リンク | https://www.ricoh.co.jp/ |
特記事項:国際会計基準のため純利益は「親会社の所有者に帰属する当期利益」、純資産は「資本合計」 |
主な製品は複写機、ファクシミリ、レーザープリンターやそれらの複合機、カメラ(デジタルカメラなど)である。日経平均株価の構成銘柄の一つ。
1936年2月6日に、理化学研究所で開発された複写機用感光紙「理研陽画感光紙」の製造販売の目的で理化学興業から独立し、「理研感光紙株式会社」として東京・銀座に設立された。従業員33人での出発で、創業者の市村清は「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の「三愛精神」を創業の精神として掲げた。この「三愛」はグループ会社の社名の由来ともなっている。1938年3月「理研光学工業株式会社」に社名変更。理研光学工業時代の王子工場は感光紙製造の主力工場で、カメラや双眼鏡も製造していた。戦後の財閥解体による理研コンツェルンの解体を経て、事業の多角化に伴い1963年に現社名となった。
複写機用感光紙製造事業から出発し、戦前からカメラを製造していた老舗カメラメーカーでもあるが、1955年に「リコピー」1号機「リコピー101」を発売して事務機器分野へ進出。以降、カメラなど光学機器分野と複写機など事務機器分野の2本柱を中心に事業を展開し、1977年4月には業界で初めて「オフィス・オートメーション (OA) 」を提唱した。
OA機器分野では「販売のリコー」とも呼ばれるほど広く厚い販売網を持っており、企業や商店にも強く、複合機の印刷速度が速い代償として故障しやすいため、顧客先へのサポートはほぼ毎日と言っていいほど行われている。過去には、表計算ソフト「マイツール」、ワープロ専用機「マイリポート」といった、このターゲットに特化したヒット商品も放った。かつては各都道府県に一つは販売子会社を持っていたが、2004年から2005年にかけて、それまで都道府県ごとに存在していた販社を地方ブロックごとに統合する作業を進めた。
2005年10月1日付より、新CIロゴを制定し、社名フォントも一新した。
2015年から国内において建物内の全面禁煙を開始した。社員に対しては出張や移動中など社外であっても就業時間内は禁煙が義務付けられた。また禁煙を支援するため独自の補助制度も新設した。
2017年、MITが監修する『MIT Technology Review』誌において、2017年で注目すべき10個の革新的技術の1つとして「360度自撮り技術(The 360-Degree Selfie)」のなかで、Kodak等の製品とともに、リコーのRICOH THETA Sが紹介された。
本社は元グループ会社の三愛と共に長年東京・銀座にあったが、三愛を分割・売却した後、首都圏事業所再編の一環として2017年末限りで引き払った。2018年1月5日から、創業の地である大田区中馬込の馬込事業所を「本社事業所」と改称して移転した。なお、銀座のビル「三愛ドリームセンター」は2006年よりリコーが広告主となっており、このビルにはリコーが運営するフォトギャラリー「RING CUBE」が設置されている。
桜井正光までは『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』による。
過去にジアゾ式や電子写真式の複写機では国内で圧倒的なシェアを持っていたため、同社の商標「リコピー」は、複写機の事実上の代名詞であった(商標の普通名称化)。
複写機のデジタル化では先陣を切り、カラーコピーが主流となった今、国内でのシェアはカラー、モノクロで総合首位である。スモールオフィス向けの小型複合機やファクスでも高いシェアを持つ。
1990年代以降は提携・買収による事業戦略の強化を進めており、2001年には米OA機器販社レニエを子会社化し、海外事業の販売力を強化。2004年には日立製作所の大型プリンター部門を分社化した日立プリンティングソリューションズ株式会社を友好的買収により子会社化し、大型業務用プリンター事業に参入した。2007年には米IBMの大型業務用プリンター事業部門を買収して同事業の強化を推し進め、OA関連機器事業全体の収益増を見込んでいる。2008年8月27日には、米国の独立系大手事務機器販売会社である、アイコンオフィスソリューションズ(en:IKON_Office_Solutions)を買収すると発表した。
2010年代には複合機の生産拠点を中国の上海市と深圳に置き、アメリカをはじめとした海外へ輸出を行ってきたが、2019年、米中貿易戦争が激化したことを契機にタイの拠点へ生産移管を始めた。
2023年4月には、2022年9月に子会社化したPFUが製造・販売するイメージスキャナを「RICOH」ブランドへ改めたことで、リコー単体では取り扱っていなかったスキャナーが取扱品目に加わることとなった。
カメラの老舗でもあり、戦前はライカに範を取り独自の機構を盛り込んだ「護国」「リコール」シリーズ等の高級カメラから、各種蛇腹カメラや35mmフィルム使用のコンパクトカメラの先駆ともいえる「オリンピック」シリーズ、各種軽便カメラ等の中級機から大衆機までを手広く製造した。
戦後は構造を単純化し製造を容易にした「リコーフレックスIII」が安価(6,500円)でよく写ると大評判になり、一時は店頭に行列が出来たりプレミアすらついたりと爆発的な売れ行きを示し、国産二眼レフカメラの大ブームの火付け役となった。リコーフレックスはその後次々と改良・シリーズ化され、高品質大衆カメラのリコーという印象を消費者に植え付けた。
一眼レフカメラの時代には、ペンタックスのカメラと互換性のあるプラクチカマウントやKマウントを採用したカメラを発売している。 1978年にはレンズ込み39,800円と画期的な低価格を実現した「リコーXR500」を発売、「リコーのサンキュッパ」のテレビCMを流して宣伝した。それまでプロカメラマンやマニアが持つものであった一眼レフカメラを普及させ、一眼レフ最多販売記録も作られた。XRシリーズはその後も改良が続けられロングセラーとなり、1980年には世界最軽量のAE一眼レフ「リコーXR7」、世界最軽量の一眼レフ用標準レンズ「XRリケノンF2」が発売。翌1981年に発売された「リコーXR6」とAFリケノン50mmF2レンズのセット「スクープアイ」は世界初のオートフォーカス一眼レフカメラとなった。また同年発売された「リコーXR-S」は世界初の太陽電池搭載一眼レフカメラである。
デジタルカメラ時代になってからは、コンパクトデジタルカメラのエントリー機として2001年から2007年まで「キャプリオ」シリーズ、2005年からは高級コンパクトデジタルカメラというジャンルを開拓した「GRデジタル」シリーズを発売。
廉価でありながら性能は高いことからアマチュアカメラマンの支持を得ており、同時に先進的な技術への挑戦を重ねているメーカーでもある。[要出典]
2011年10月、HOYAよりPENTAXイメージング・システム事業を買収し、ペンタックスリコーイメージング株式会社(現・リコーイメージング株式会社)を完全子会社として発足させた。 ペンタックスのブランドと、デジタル一眼レフ機のKマウント機や645マウント機、ミラーレス一眼カメラのQマウント機などの多マウント展開を活かし、コンシューマー向け製品やサービスの強化に取り組む方針を打ち出した。2012年4月1日、「RICOH」および「PENTAX」の双方のブランドのコンシューマー向けカメラ事業を同社に集約したのち、2013年8月に社名を現在のリコーイメージング株式会社に変更した。
半導体部品においては、かつてファミリーコンピュータ用のLSIを製造していたほか、フォントパッケージ「TrueTypeWorld【ValueFont D2】」も制作。リョービの明朝体、ゴシック体をTrueTypeフォント化したものが、日本語版Microsoft Windows搭載の「MS 明朝・MS ゴシック」になっている。
2003年、カナダ・トロントに位置する「CNEコロシアム」のリニューアル時に命名権を獲得し「リコー・コロシアム」となった。当地は北米のプロアイスホッケーリーグ・NHLの下部組織にあたるAHLに所属するチーム・トロント・マーリーズの本拠地となっている。また2005年には、イギリスのプロサッカークラブであるコヴェントリー・シティFCのホームスタジアムの命名権を獲得し「リコー・アリーナ」と名付けられた。当地はスタジアムの他、商業施設やホテル、会議場、展示場なども擁する大規模複合施設である。
音楽配信を行う株式会社フェイス・ワンダワークスの「GIGA PARK」のルーツは旧ギガネットワークスである。ギガネットワークスはリコーの通信機器ノウハウを生かして通信カラオケ市場に参入。のちに通信カラオケの曲データを用いて着メロに参入後、市場激化のため通信カラオケ事業より撤退して着メロ事業に一本化した。その後三愛グループ配下を経て、2006年4月にフェイスが買収した。しばらくロゴは当時のまま使用していた。2009年4月に株式会社デスペラードと合併し、株式会社フェイス・ワンダワークスに社名変更した。現在、リコーグループとは無関係である。
2011年より将棋の女流棋戦である女流王座戦を主催しており、日本将棋連盟と共同で棋譜の自動記録システム「リコーAI自動記録システム(リコー棋録)」を開発している。2020年5月16日の女流王座戦一次予選で初めて運用され、翌2021年1月29日からは同じく女流棋戦である白玲戦でも運用が開始された。慢性的な記録係不足解消や、コロナ禍における感染症対策の一環として期待されている。2021年4月1日よりリコーAI自動記録システムの運用をHEROZ株式会社へと継承することになった。2021年、将棋界への貢献により、日本将棋連盟より第28回大山康晴賞を受賞。
事業ではなく社員の個人活動であるが、リコーの将棋部は、谷川浩司の兄の谷川俊昭(元社員)をはじめ、アマチュア強豪が多数参加しており、全国大会優勝者が10人以上所属している。アマチュア将棋の団体戦の「職団戦」で多数の優勝を果たしている。また、リコーが主宰する「リコー杯アマチュア将棋団体戦 日本選手権」は、社会人と学生との、その年の団体優勝チームが戦って「日本一」を決める大会であり、こちらでも多数、勝利している。
2011年夏に同社が一部従業員に対して発した出向命令を不当として、その効力を争う訴訟が提起された。裁判所による審理を経て、2013年11月に出向命令を無効とする判決が下され、以後会社と従業員との間で再配置への協議が進められていたが、2014年10月、社員が加入する東京管理職ユニオンにより会社側と命令を撤回する和解が成立したことが公表された。リコーは「社員の能力を最大限に発揮できる職場配置を行い、さらなる事業成長に取り組んでまいります」とのコメントを公表した。
2017年、経営再建中のインド子会社に対する追加の財政支援を打ち切ると発表した。2015年の不正会計の発覚後、リコーが債務保証などで支えてきたが、赤字が続き主要取引先との関係も悪化したため打ち切りを決めた。損失発生など一連の騒動を受け、山下良則社長を含む、5人の役員が月額基本報酬の15%を3カ月間返上する。
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