マティアス・フェルナンデス(Matías Ariel Fernández Fernández, 1986年5月15日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元サッカー選手。元チリ代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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フィオレンティーナでのフェルナンデス (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | マティアス・アリエル・フェルナンデス・フェルナンデス Matías Ariel Fernández Fernández | |||||
愛称 | Mati(マティ)、Matigol(マティゴル)、El Pelusa(うぶ毛) | |||||
ラテン文字 | Matias Fernandez | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | チリ アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1986年5月15日(37歳) | |||||
出身地 | アルゼンチン ブエノスアイレス特別区 | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2006 | コロコロ | 82 | (37) | |||
2006-2009 | ビジャレアル | 71 | (7) | |||
2009-2012 | スポルティングCP | 69 | (12) | |||
2012-2017 | フィオレンティーナ | 96 | (7) | |||
2016-2017 | → ミラン (loan) | 13 | (1) | |||
2017-2019 | ネカクサ | 37 | (4) | |||
2019 | アトレティコ・ジュニオール | 11 | (1) | |||
2020-2021 | コロコロ | 19 | (0) | |||
2021-2022 | ラ・セレナ | 39 | (3) | |||
通算 | 437 | (32) | ||||
代表歴 | ||||||
2005 | チリ U-20 | 13 | (5) | |||
2005-2018 | チリ | 74 | (14) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
父親はチリ人であり、母親はアルゼンチン人である。アルゼンチンの首都ブエノスアイレス郊外のカバリート (Caballito) に生まれ、4歳の時にチリのラ・カレハ (La Calera) に移住した。ふたりの弟がいる。物心が付く前に生誕地のアルゼンチンからチリに移住したため、マティアスは自身をチリ人だとみなしている。
12歳の時にCSDコロコロの下部組織に入団し、2004年8月1日、ウニベルシダ・デ・チレ戦でトップチームデビューを果たした。その1週間後、CDコブレサル戦で初得点を含む2得点を挙げた。同じシーズンのCDオヒギンス戦では、"Matigol"(マティゴル)というあだ名の由来となるゴールを決めた。クラウスーラ2004では8得点し、優秀な若手選手として知られるようになった。アペルトゥーラ2006ではチーム創設以来24度目のリーグ優勝に貢献し、同年のコパ・スダメリカーナでは6試合で9得点を挙げて決勝に進出したが、決勝でメキシコのCFパチューカに敗れた。2006年は国内リーグで前後期完全優勝を果たし、ボカ・ジュニアーズのロドリゴ・パラシオやフェルナンド・ガゴらを抑えて、南米年間最優秀選手賞に選ばれた。チリ人としては1997年のマルセロ・サラス以来の受賞であった。CSDコロコロで通算112試合出場・57得点という記録を残した。
レアル・マドリードやチェルシーFCが獲得に興味を示していたが、2006年10月後半、彼が南米年間最優秀選手賞を受賞する前に、同郷のマヌエル・ペジェグリーニ監督が率いるスペインのビジャレアルCFと契約を結んだ。CSDコロコロには移籍金870万ユーロ(約13億7500万円)が支払われ、違約金は5000万ユーロと高額に設定された。
12月27日にスペインのバレンシア空港に降り立ち、2007年1月7日のバレンシアCF戦 (0-1) でデビューした。バレンシアCF戦の3ヶ月後のヒムナスティック・タラゴナ戦 (3-0) で移籍後初得点を決めた。2006-07シーズンのレアル・マドリード戦ではマルコス・ガルシアの得点をアシストし、クラブ史上初めてとなるレアル・マドリードからの勝利に貢献した。2007-08シーズンは30試合に出場して3得点し、クラブ最高の成績となる2位に貢献した。2009年5月10日、すでにリーグ優勝を決めていたFCバルセロナ相手にペナルティキックを決め、3-3の引き分けに持ち込んだ。しかし、2シーズン半で70試合の出場(そのうち先発出場は30試合)に終わり、期待に見合う活躍をしたとはいえなかった[要出典]。
エルネスト・バルベルデ新監督はマティアスを余剰戦力だと考えていたため、2009年7月1日、ポルトガル・スーペル・リーガのスポルティングCPと契約を結んだ。移籍金は365万ユーロ(ただし、出場試合数によって50万ユーロが加算される可能性がある)で契約期間は4年。10月27日のヴィトーリア・ギマランイス戦 (1-1) で初得点を決め、その1週間後のCSマリティモ戦 (1-1) でも得点した。UEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦・エヴァートンFC戦セカンドレグ (3-0) ではロスタイムに得点し、2試合合計4-2で勝ち抜けを決めた。
2012年7月12日、ACFフィオレンティーナへ移籍した。契約は4年間で移籍金は250万ユーロ。
2016年8月31日、恩師ヴィンチェンツォ・モンテッラ率いるACミランへのレンタル移籍が決定。
2017年9月4日、クルブ・ネカクサへ移籍した。
2019年2月4日、アトレティコ・ジュニオールへ移籍した。
世代別代表としてはU-17チリ代表とU-20チリ代表に招集されている。2005年にはU-20チリ代表のキャプテンとして2005 FIFAワールドユース選手権に出場し、ニコラス・カナレス (Nicolás Canales) 、カルロス・ビジャヌエバ、ホセ・ペドロ・フエンサリーダ (José Pedro Fuenzalida) などと一緒に戦った。7-0と大勝したU-20ホンジュラス代表戦では1得点を決めた。2回戦のU-20オランダ代表戦に敗れたが、マティアスは全体的に良いプレーを見せた。
2005年8月17日、ペルー代表戦でチリA代表デビューを果たした。2006年10月8日、パシフィック・カップのペルー戦では代表初得点を含む2得点を挙げた。2007年にはコパ・アメリカ2007に出場したが、グループリーグ3位でかろうじて決勝トーナメントに進出し、準決勝ではブラジルに1-6で大敗した。2010 FIFAワールドカップ・南米予選では、ペルー戦(ホーム)、コロンビア戦、ペルー戦(アウェー)で得点し、チリ代表の本大会出場に貢献した。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会にも選出され、グループリーグのホンジュラス戦 (1-0) とスイス戦 (1-0) に出場した。チリ代表はスペインに次いで2位でグループリーグを通過したが、決勝トーナメント1回戦のブラジル戦に敗れてベスト16に終わった。
得点 | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
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1 | 2006年10月8日 | ビニャ・デル・マール | ペルー | 1–1 | 3–2 | パシフィック・カップ |
2 | 2–1 | |||||
3 | 2007年2月7日 | マラカイボ | ベネズエラ | 0–1 | 0–1 | 親善試合 |
4 | 2007年10月17日 | サンティアゴ | ペルー | 2–0 | 2–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
5 | 2008年9月10日 | サンティアゴ | コロンビア | 4–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
6 | 2009年3月29日 | リマ | ペルー | 1–3 | 1–3 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
7 | 2009年6月6日 | アスンシオン | パラグアイ | 0–1 | 0–2 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
8 | 2011年3月26日 | レイリア | ポルトガル | 1–1 | 1–1 | 親善試合 |
9 | 2011年3月29日 | ハーグ | コロンビア | 0–1 | 0–2 | 親善試合 |
10 | 2011年6月19日 | サンティアゴ | エストニア | 1–0 | 4–0 | 親善試合 |
11 | 2011年10月7日 | ブエノスアイレス | アルゼンチン | 3–1 | 4–1 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
12 | 2012年2月29日 | フィラデルフィア | ガーナ | 1–1 | 1–1 | 親善試合 |
13 | 2012年6月9日 | プエルト・ラ・クルス | ベネズエラ | 0–1 | 0–2 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
14 | 2012年9月11日 | サンティアゴ | コロンビア | 1–0 | 1–3 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
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