株式会社ハドソン(英: Hudson Soft Company, Limited)はかつて存在した北海道を発祥とするゲームソフト開発・販売会社。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 | 日本 〒107-6288 東京都港区赤坂九丁目7番1号 ミッドタウン・タワー |
設立 | 1973年(昭和48年)5月18日 (有限会社ハドソン) |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | コンシューマコンテンツの開発・製造・販売 ネットワークコンテンツの開発・運営・配信 |
代表者 | 上原和彦(代表取締役社長) |
資本金 | 3億円 |
発行済株式総数 | 2881万2986株 |
売上高 | 連結:143億2460万6千円 単独:122億8337万1千円 (2011年3月期) |
営業利益 | 連結:△5億9786万9千円 単独:△9億0243万5千円 (2011年3月期) |
純利益 | 連結:1億7470万2千円 単独:543万0千円 (2011年3月期) |
純資産 | 連結:94億3625万6千円 単独:94億2544万9千円 (2011年3月31日現在) |
総資産 | 連結:110億7899万0千円 単独:110億5076万5千円 (2011年3月31日現在) |
従業員数 | 連結:433名 単独:421名 (2011年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | コナミ(株) 100% |
関係する人物 | 工藤裕司(創業者) 工藤浩(創業者) 高橋利幸(高橋名人) 中本伸一 大里幸夫 藤原茂樹 遠藤英俊 辻尚之 川田忠之(川田名人) |
特記事項:上記は2011年(平成23年)4月時点の情報。後に吸収合併を経てKDEのブランド(『ハドソンブランド』)となり、2013年12月31日をもってブランド消滅。 |
ゲームソフトのパッケージ裏面やその説明書の裏表紙などに正式社名ロゴを記載していないゲームソフトメーカーの一つでもあった。
2012年3月1日をもって当時親会社であったコナミデジタルエンタテインメント (KDE) に吸収され、2013年12月31日まで同社のブランドとなっていた。
1973年5月18日、工藤裕司とその弟工藤浩により札幌市豊平区に通信機器と美術写真の販売を目的とした「有限会社ハドソン」として創業。同年9月にはアマチュア無線ショップCQハドソンを開店。
1970年代後半にパソコンのソフトウェアの制作で頭角を現し、1978年には日本で初めてパソコン用のゲームソフトウェアを販売した。1980年代初頭には高い技術力でパソコンソフトメーカーの大手となる。主にシャープのパソコン用にリリースされたBASICインタープリタHu-BASICや、X68000のOSであるHuman68kやそのグラフィカルのシェルであるビジュアルシェル等を開発していた。
任天堂がファミリーコンピュータを発表した際、まだブームになっていない時点から接近を図り、任天堂初のサードパーティとなった。以降家庭用ゲーム機向けソフト開発がメインとなる。自由な社風の元、独自の企画を行っていた。特に「ハドソン全国キャラバン」や「高橋名人」は人気児童誌で積極的にタイアップされたことから、当時の子供世代にとっては抜群の知名度を誇る。
一方で自社でのハード開発にも乗り出しており、日本電気ホームエレクトロニクス株式会社(現:日本電気株式会社)と組み、1987年にはハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載した家庭用ゲーム機『PCエンジン』を発表、ソフトメーカーながら高い技術力の片鱗を見せた。1992年には将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門として、芸術の森アートビレッジ内に「ハドソン中央研究所」を設立。1994年12月に発売した後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットもPCエンジンと同様にHuC62シリーズが採用された。
1997年にはトレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出し、同年4月にパイロットショップ「フューチャービー」を開店する。
1998年11月にメインバンクである北海道拓殖銀行が破綻して以降は資金繰りが難航して経営が悪化した。2001年にコナミ(現:コナミグループ)が筆頭株主になり、2005年には子会社化。その後2011年にコナミの完全子会社になり、翌2012年にはコナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、グループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い、KDEに吸収合併され、法人としてのハドソンは解散した。その後はブランド名としてハドソンの名が残されていたが、2013年年末に同ブランドが名実共に消滅する事となり、2014年1月よりコナミブランドに統一されている。
ハドソンは本来、技術者の集団ということもあり、任天堂のサードパーティーとして、ファミコンブームの立役者としての立場に甘んじる事無く、独自のハード作りにも乗り出した。
1987年に日本電気ホームエレクトロニクス(NEC HE)と共同開発した家庭用ゲーム機PCエンジンは、ハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載しており、実質ハドソンが開発したゲーム機である。
PCエンジンは、当時のライバル機である任天堂のスーパーファミコン(全世界累計4,910万台)やセガのメガドライブ(全世界累計3,075万台)と、日本を含め世界市場で覇権争いを展開した。全世界累計の販売台数は1000万台を記録しており、ライバル機の売上には及ばないものの、競合をはるかに凌駕する「美麗なグラフィック」「高音質な楽曲・音声セリフ」「CD-ROMドライブによる大容量ゲーム」などを実現するなど、プレステなどの次世代機の可能性を感じさせる一時代を築いた名機として、おおむね成功といえる結果を残した。
1994年12月に発売された、後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットも、PCエンジンと同様にHuC62シリーズが採用された。しかし当時、次々と発表された競合ハードであるPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3D性能に対抗すべく急遽PC-FXに搭載する予定だった3Dポリゴン用チップの開発が間に合わず、結果としてPCエンジンの延長線上である従来型の2Dゲーム路線のソフト開発がメインになってしまうなど、急速に発展する3Dゲーム市場からは後塵を拝してしまう。
本機を最後に、ハドソンはハード開発から撤退する事になったものの、長年NEC HE系列のファーストパーティー的な存在であり続けた。
1991年にコンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社」を設立し同スクールを開校、コンピュータゲームに関わる人材を養成していたが、1997年に同社を「株式会社フューチャービー(後に株式会社未来蜂歌留多商会に商号変更)」とし、トレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出した。同年4月には東京都千代田区にあるサンポウ水道橋ビルの2階にトレーディングカードを扱うパイロットショップ「フューチャービー」を開店し、後に全国に展開された。
また1991年から札幌の老舗デパート丸井今井のデータウェアハウス構築に協力しており、その流通向けデータベース・マーケティングシステム開発のノウハウを活かしてデータウェアハウス用パッケージソフト「P2/S」を開発した。
1992年には札幌芸術の森アートビレッジ内に、将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門であるハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)を設立し、ゲーム機用半導体開発、ゲーム開発環境の整備などを行っていた。その一方同研究所は1997年に育成散歩計「てくてくエンジェル」を開発し、日経産業新聞優秀賞を受賞。その他にも筑波大学の徳永隆治らと共同で画像圧縮技術「Hybrid Vector Quantization(HVQ)」及び動画圧縮技術「HVQM」を開発した。
さらに2002年には、日本ビクターと共同でCD-ROMコピー防止技術「ROOT」を開発する、株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共同で独自のフォーマット形式の電子書籍を閲覧するソフトウェア「ebi.BookReader」を開発するなど、ゲーム業界だけではなく様々な業界に関わる技術開発を行っていた。
1990年代末、メインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻により資金繰りが悪化。2000年3月よりiモード用のゲームコンテンツ配信を開始するなど、携帯電話向けの事業に乗り出すが、経営状態は好転せず、2000年代に入ってコナミの資本が入るようになり、2004年には創業者が経営から完全に手を引き、2005年にはコナミの子会社となる。同時に特徴的であった「自由な社風」も社内から無くなった。
2007年に本社を東京ミッドタウンに移すがヒット作がほとんどなく、2008年には社長を退任した遠藤やマリオパーティシリーズのスタッフがエヌディーキューブに移籍。コナミの完全子会社になった2011年は、開発ラインナップに家庭用ゲーム機向けタイトルが無くなったことで高橋名人が退社。
さらに、『桃太郎シリーズ』のゲーム監督さくまあきらも、長年付き合いのあった桃太郎電鉄の開発チーム「Team Kawada」に在籍するハドソン社員の多くが退社したり、ハドソンを吸収合併したKDE-Jに在籍する社員との間に発生したトラブルにより、コナミとの確執を経て決別。事実上、桃太郎シリーズ打ち切りと同シリーズの著作権をコナミと他社に譲渡せず、一旦「永久に封印する」という事態が起きた。
そして翌2012年3月1日に、コナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、コナミグループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い、KDEに吸収合併する形で法人としてのハドソンが消滅した。
なお、法人消滅後も当初は体裁上ハドソンブランドのサービスは継続されていたが、バーチャルコンソールでのラインナップの追加以外には目立った動きはあまりなく、2013年末をもってハドソンブランドが消滅。これらのアーカイブも全てコナミブランドに統一され、翌年の2014年元日付けでハドソンブランドの公式ホームページも閉鎖され、名実共に40年7か月の歴史に幕を下ろした。
2014年にコナミブランドに統一された後から現在に至るまで、旧ハドソンブランドのシリーズ作品が新たに発売されている。ただし、ハドソンが開発・販売をしていた時とは携わっているスタッフが異なる場合が多く、現時点(2022年6月現在)ではいずれの作品も従来のシリーズとは路線の異なる部分が少なくない。
コナミブランド統一後(2014年以降)の各シリーズの展開については、各シリーズの記事を参照。
ハドソンの社名の由来は、熱狂的な鉄道ファンでもあった創業者・工藤裕司が、国鉄C62形蒸気機関車のハドソン形という車軸配置から取ったものである。
工藤は大学在学中からサラリーマン時代にかけて、サイドビジネスとして自ら撮影した蒸気機関車の写真を販売しており、その際に用いていた社名も「グループハドソンプロダクション」だった。
工藤の鉄道趣味は留まることを知らず、社名のみならずハドソンの社内にも鉄道関連のトリビアが溢れていた。社長室には常時組み立て中の鉄道模型が置かれ、工藤がC62形の2号機が好きだったことから、本社の入口にもC62の部品の一部が飾られていた。また、会社の代表電話番号の末尾4桁は4622で、さらには郵便番号をC62にちなんだ「062」にするため、本社をわざわざ北海道札幌市豊平区に置くという独特の拘りぶりだった。また、かつて札幌芸術の森に隣接したアートビレッジにあったハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)の屋上にはライブスチームの線路が敷設され、専属のメカニックが配置されていたほか、研究所の大会議室ではテーブル中央に鉄道模型のジオラマが置かれC62の模型が走っていた。その模様はNHKスペシャル『新・電子立国』でも取り上げられた。
1988年から1995年までC62ニセコ号を運行していた北海道鉄道文化協議会(通称:鉄文協)ではスポンサーの一社を務めていた。C62運行のスポンサーが集まらず、鉄文協が「おたくの社名のハドソンというのは、C62の車軸配置の通称なんですよ。その縁で協力してもらえませんか?」と依頼したところ、そこで初めて工藤もC62好きであることを知り、二つ返事で協力に至ったという[要出典]。
また、他の趣味として古銭の収集があり、社内に「東洋鋳造貨幣研究所」という古銭専門の研究所を設け、ハドソンの文化事業の一環として中央研究所の建物内に庶民の穴銭資料館「方泉處(ほうせんか)」という古銭博物館を開設していた他、博物館名と同じ「方泉處」という季刊の研究誌(1992年 - 1998年)も発行していたが、1990年代末に経営難に陥って以降はこれらの活動は順次的に廃止されていった。方泉處という名前は、展示の元になっていた工藤のコレクションの保管箱に付けられた名前「方穿貨(ほうせんか)」が由来となっている。
1980年代半ばのハドソン関係者が口々に言う「会社の自由な空気」は社員のみならず、社長自身もそれを体現していた。中でも1986年当時の社員旅行はバブル景気(バブル経済)の過度期であったこともあり、「貸切ジェット機でハワイ旅行」[要出典]という、一般企業ではあまり類のないものであった。
『迷宮組曲 ミロンの大冒険』を制作し、後に同社のサウンド部門のプロデューサーとなった笹川敏幸は「自由な空気」について「とっても些細なことに、とことんこだわってみる。究極までやりつくしてみる。」という遊び心があったと語っている。
社章は蜂で、「ハチ助」とも呼ばれている。ハドソンのゲームソフトにボーナスキャラ・隠れキャラとして古くから数多く登場している。由来は、北海道のアマチュア無線のエリア番号が「8(はち)」であるため、同音である「蜂」を採用したと言われている。高橋名人によると当初は「CQハチ助」と呼ばれていた(これは高橋の勘違いであり、実際は「JA8スケ」である[要出典]。理由は当時のアマチュア無線の北海道のコールサインがJA8で始まっていたことによるものである[要出典])。
1996年5月18日よりハドソンのCIロゴの表記が「HUDSON GROUP HUDSON SOFT」から「HUDSON」に変更された。高橋名人によるとその理由は「HUDSONのみの表記にすることで、全体的なCIロゴサイズを変更しなくてもハチ助を大きくレイアウト出来るから」だという。
2007年にはハチ助をモチーフとしたアーバンライフスタイルブランド「8SK(ハチスケ)」が立ち上げられ、Tシャツやキャップが公式サイトなどで販売されていた。
「ハドソン全国キャラバン」とは、ハドソンが国内大手の電子部品メーカーのTDKとの協賛で1985年から行っていたゲーム大会のこと。
最大の特徴は「キャラバン」の名にふさわしく、北海道から沖縄まで全国各地を巡業していた事である。各都道府県の政令指定都市にとどまらず、他の都市でも行われた。最大は第2回の40都道府県・65会場である。
2009年4月から2011年4月末まで、2本社体制となっていた(登記上本店は東京本社)。かつては、大阪、名古屋、福岡等にも事業所を設置していた。市谷田町に札幌市時計台を模した東京支社ビルを擁していた時期もある。
これらは、HuC62シリーズとしてPCエンジンのチップセットとして使われた。
実用ソフト
プログラミング言語、OS
任天堂製ファミコンソフトの移植(アレンジ移植を含む)
16ビットパソコン用ソフト
ゲーム
日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)との共同開発。
(★は筆頭提供番組、それ以外は複数社提供)
工藤裕司(1947年4月6日 - )北海道ニセコ町生まれ:ハドソン創業者。現在のペンネームは三遊亭あほまろ。趣味については#社長の趣味と企業風土を参照。
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