17,192人(2021年12月31日現在)
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ニーダーザクセン州 |
郡: | ディープホルツ郡 |
緯度経度: | 北緯52度36分26秒 東経08度22分16秒 / 北緯52.60722度 東経8.37111度 東経08度22分16秒 / 北緯52.60722度 東経8.37111度 |
標高: | 海抜 37 m |
面積: | 104.7 km2 |
人口: | |
人口密度: | 164 人/km2 |
郵便番号: | 49356 |
市外局番: | 05441, 05447 |
ナンバープレート: | DH, SY |
自治体コード: | 03 2 51 012 |
行政庁舎の住所: | Rathausmarkt 1 49356 Diepholz |
ウェブサイト: | www.stadt-diepholz.de |
首長: | フローリアン・マレ (Florian Marré) |
郡内の位置 | |
地図 | |
ディープホルツ (ドイツ語: Diepholz, ドイツ語発音: [ˈdiːphɔlt͜s] ( 音声ファイル)、低地ドイツ語: Deefholt) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ディープホルツ郡の市である。同郡で4番目に大きな街であり、郡庁所在地である。かつてはハノーファー行政管区に属していた。ディープホルツは1994年からダンメ、ディープホルツ、ローネ、フェヒタからなる都市カルテットを形成している。
ディープホルツは、ブレーメン(北東 65 km)、オルデンブルク(北東 70 km)、オスナブリュック(南西 50 km)の間に位置している、ダンマー・ベルクの北東、デュンマー湖の北側のディープホルツァー・モーアニーデルング(ディープホルツ低湿地)に位置している。
多くの河川が南から、デュンマー湖から流れだし、湿原を通って、ディープホルツを流れている。本市はフンテ川(西)とシュトローテ川(東)に緊密に囲まれている。ローネ川が本市を貫いている。この川は市役所近くの街の中心部でフォルダーローネ川とヒンターローネ川に分かれる。両川筋はすぐに合流し、これ以後はフレーテ川と呼ばれる。
東側をグラヴィーデ川が流れている。もう1本の街の近くを流れる川がヴェーテリング川である。この川はフンテ川の支流である。
ディープホルツは、北東から時計回りに、ドレッバー、ヴェッチェン、レムブルーフ(以上、ディープホルツ郡)、ダンメ、シュタインフルト、ローネ、フェヒタ(以上、フェヒタ郡)と境を接している。
この他の近隣主要都市は、ブレーメン(北東 65 km)、ニーンブルク/ヴェーザー(東 62 km)、オスナブリュック(南西 51 km)、リンゲン (エムス)(西 80 km)がある。
自治体としてのディープホルツ市は多くの市区を含む中核市部ディープホルツ (44.59 km2) と、地域再編でディープホルツ市に統合されたアッシェン (32.01 km2)、ザンクト・ヒュルフェ (15.75 km2)、ヘーデ (12.12 km2) の各地区からなる。
ディープホルツ周辺は、北海からの湿った北西風による影響を受けた穏やかな海洋性気候が支配的である。ディープホルツの長期平均気温は 8.5 から 9.0℃、降水量は約 700 mm である。5月から8月までの間に平均20日から25日の夏日(最高気温が25℃を超える日)が観測される。
ディープホルツ市の起源は、10世紀から11世紀にこの付近に水城を築いた貴族テフホルテ家にまで遡る。
ディープホルツ (Diepholz) という名前は、おろらく古ザクセン語の devern(振動する)に由来し、木 (Holz) で覆われた湿地の土地が波打つように存在していることを表現している。地名は Thefholte から Deefholt を経て Diepholz となった。
1380年にヨハン3世フォン・ディープホルツは、住民にオスナブリュックと同等の都市権を授けた。ディープホルツの当主は1531年に伯に叙され、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公のレーエン権を得た。ディープホルツ伯の家系は1585年に断絶した。このためその所領はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領となった。しかし、1523年の段階ですでにヘッセン=カッセル方伯からレーエンとして得ていたアムト・アウブルクはこれに含まれなかった。18世紀から19世紀にディープホルツはホーヤ伯領とともにハノーファー選帝侯領(後にハノーファー王国)で州を形成した。
城は、最後のディープホルツ伯が亡くなるまで、その居館であり続けた。10世紀に建設されたこの城は、三十年戦争で一部が破壊され、後にリューネブルク=ツェレ公クリスティアン=ルートヴィヒによって再建された。高さ 43 m の塔は現在も遺っている。この城は1852年以降はアムト裁判所となった。
これと同じく特別重要なのが、伯の貨幣鋳造所であった「ミュンテ」である。ディープホルツ貴族家の、そして後にディープホルツ伯を自称していた時代の貨幣鋳造所も現在「ミュンテ」と呼ばれている場所にあったかどうかは定かではない。ディープホルツ伯という称号と紋章が刻まれた硬貨が鋳造されたことは確かである。硬貨には伯の紋章と称号の他に鋳造所として "MONETA DEPHOLT" または "MONETA WESTER"(現在のマリエンドレッバーにあたるヴェスター=ドレッバーの鋳造支所)が刻まれていた。
14世紀の第1三半期にブレーメンのブラクテアートを真似た硬貨が造られ始めた。14世紀の中頃からは、ミュンスター司教領の硬貨をモデルにしたシュヴァーレ硬貨が鋳造された。鋳造第2期には、ザクセンやベーメンの硬貨あるいはヴェンディッシュ貨幣連合のヴィッテ硬貨を真似ている。こうした鋳造期は1490年頃に始まり、1530年頃に終了し、鋳造マイスターのランベルト・ヴレミンクがディープホルツを去った。
1835年に建設されたシナゴーグは、1938年に国家社会主義者によって破壊された。1933年の時点でディープホルツには48人のユダヤ人が住んでおり、その一部は大いに尊敬を集めていた。1942年にこの街の最後のユダヤ人がワルシャワまたはテレージエンシュタットに移送された。
第二次世界大戦の間、この街は何度も連合軍の爆撃目標にされた。戦後には、旧ドイツ東部領土から追放された人々が移り住んだことでこの街の人口は大きく増加した。
ディープホルツ住民は長い間自らを「ハノーファー人」(ハノーファー王国あるいはハノーファー行政管区)として意識していた。ハノーファーは東に 100 km 以上離れている。1994年に都市カルテットに参加して以降、さらに2004年にニーダーザクセン州の行政管区が廃止されたことでますますディープホルツは、ヴェーザー川とエムス川との間に位置するという地理的特性に応じてオルデンブルク、ブレーメン、オスナブリュックを指向することで、ハノーファーから遠いという立地の欠点を解消しようとした。ディープホルツはブレーメンとオスナブリュックとを結ぶ鉄道の途中に位置している。この両市やオルデンブルクへはアウトバーン経由で簡単に行くことができる。ディープホルツは2005年に形成された北西部大都市圏)内に位置している。
2013年にエジプト風の「ディープホルツのミイラ」が発見されたことで、全国的な注目を集めた。
1974年3月1日にアッシェン、ヘーデ、ザンクト・ヒュルフェが合併した。
ディープホルツの市議会は、32議席からなる。さらに市長も市議会での投票権を有している。
CDUとFDPの推薦を受けたフローリアン・マレ(無所属)は、2018年6月10日の市長選挙決選投票で 50.65 % の支持票を獲得して、トーマス・シュルツェの後任市長に選出された。
図柄: 金地。垂直に配置された、金の冠を被って歩く赤い獅子。
ディープホルツ市は以下の都市と姉妹都市関係にある
ディープホルツの建造文化財リストにはディープホルツ中核市区に50件、ディープホルツ市全体では74件が登録されている。
ディープホルツ城は、1233年に初めて記録された水城から建造された城館である。その後は火災や戦争の影響による破壊を何度も受け、そのたびに再建された。三十年戦争の間、1637年にこの城塞は破壊された。リューネブルク=ツェレ公クリスティアン=ルートヴィヒが1660年頃にこの城塞の基礎壁上に城館を建設した。これにより城の塔は現在の外観を与えられた。付属建造物は1837年から1877年に建設された。伯家の断絶後この城館は宮廷所在地ではなくなった。
この城には、1723年までラントドロステ(代官)が、その後はアムトマンやその他の役人が住んだ。この他にツェレ公/選帝侯(すなわちハノーファー公/選帝侯)の狩りの館としても利用された。
1852年にアムトゲリヒト・ディープホルツがこの城に入居した。1885年には西翼棟の「騎士の間」に新設された郡役場が入居し、1954年にニーダーザクセン通りに新しい郡役場ができるまでここに置かれていた。
連邦道 B69号線に面して、ファルケンハルト地区にリッターグート・ファルケンハルト(騎士の館)がある。この施設は17世紀初めに荘園として建設され、1619年に永続的な荘園(騎士領)となった。所有者は何度も入れ替わった。入口付近の特徴的な塔は1915年に建設された。
1945年にイギリス軍の司令官バーナード・モントゴメリー元帥は、一時期ファルケンハルトの主館に住んだ。
ディープホルツには、約550席の巡業公演用劇場がある。この建物は学校センターの職業訓練センターのすぐ隣にある。公演は主にディープホルツ文化リングが主催し、多くは冬季に行われる。夏季の間この劇場は時に応じて異なる用途に用いられる。たとえばグラーフ=フリードリヒ=シューレのアビトゥーア修得生の卒業式や入学式がこの劇場で行われている。
ランゲン通りの旧市庁舎は、1789年に建設された先代の建物があった場所に1904年に建設された。20世紀初めのこの建築は、この時代のプロイセン=ドイツの駅、学校、市庁舎、郵便局、兵舎といった建物の建築様式のさらなる発展型を示している。後の歴史主義建築の萌芽が、たとえば、五弁のフォイル、出窓、小塔、レンガ造りのゴシック様式の破風、丸アーチ、かご形アーチ、緩やかな尖頭アーチといった中世風の様式を用いていることに見られる。この建物は1985年にラートハウスマルクト前に新しい市庁舎が完成したことで、市役所としての機能を失った。
ディープホルツ屋外プール前に、芝生広場やミニゴルフ施設のあるミュンテ公園がある。その近くにはシュロスパルク(城館公園)があり、その中央にディープホルツ城が建っている。2012年にシュロスパルクの城壁南側にバラ園が整備された。
ラートハウスマルクト1番地のディープホルツ市文書館は、ディープホルツ市の公文書館で、ディープホルツ市の歴史的活動がアーカイブ、すなわち収集され、利用者が閲覧できるようにされている。市文書館では、公文書、地図、史料、遺品が、要望に応じて誰でも閲覧できる。
Zensus 2011 によれば、住民の 59.0 % が福音主義、13.4 % がローマ=カトリックを信仰しており、27.6 % がその他の宗教または無宗教あるいは無回答であった。2019年12月31日には人口17,577人の、47.3 % が福音主義、18.9 % がローマ=カトリック、33.8 % がその他の宗教または無宗教であった。
ディープホルツには約1000人のムスリムが住んでいる。主にはアラブ出身者である。2015年に At-Taubahモスクが設立された。この組織は、IWP(慈善プロジェクトのためのイスラム組織)に参加している。
この街の最大の雇用主はディープホルツ航空基地のドイツ連邦軍である。
その他の主な企業としては以下がある。
ディープホルツには以下の道路で往来する。
2003年からディープホルツにはバイパス道路がある。この道路は北のB51号線とB69号線を結び、さらに南のB51号線までを結んでいる。最後の2.8 km区間(街の北側を通る)でニーンブルク方面のB214号線に接続する。この最後の区間は2008年に開通した。半環状バイパス道路の内側の旧連邦道の格下げと一部解体によりディープホルツの街区は、かつてにくらべて分断されている印象が薄らいだ。特に旧B214号線北側の内市街地区は、もはや都市中心部と区別されない。
アウトバーン A1号線を使ってディープホルツに向かうには、ホルドルフ・インターチェンジ、ローネ=ディンクラーゲ・インターチェンジ、フェヒタ・インターチェンジ、クロッペンブルク・インターチェンジを利用する。
ディープホルツ駅は、鉄道ヴァネ=アイケル - ハンブルク線のオスナブリュックとブレーメンとの間に位置する駅であり、3つのプラットホームを有している。ここにはレギオナルエクスプレス RE 9(オスナブリュック - ブレーメン - ブレーマーハーフェン)が一定間隔で発着し、インターシティーも数本停車する。ディープホルツにはかつて、ズーリンゲン経由でニーンブルクとを結ぶ鉄道路線(ニーンブルク - ディープホルツ線)があった。この路線は1966年以降旅客運行を停止している。2007年現在ズーリンゲンまでの路線では、バーレンブルクのエクソンモービル社およびレーデンの BTR-ロジスティーク社のための貨物輸送が行われている。ズーリンゲン - ニーンブルク間の路線は廃止されている。
DH-バスの以下の路線がディープホルツを運行している。
鉄道と同じくバスもブレーメン/ニーダーザクセン交通連合の運賃が適用される。
ディープホルツには軍事飛行場のディープホルツ航空基地がある。この飛行場は、アエロ=クラブ・ディープホルツ e.V. のスポーツ飛行場としても利用されている。この飛行場は長さ 1282 m、幅 45 m のアスファルトの滑走路を有している。パイロット向けのコールサインは Diepholz Info で、122.535 MHz で交信している。
ディープホルツには、学校センターの運動場とミューレンカンプシューレの運動場がある。学校センターにはさらに体育館が2つある。デルフィン屋内プールは夏季には閉鎖され、そのかわりにソーラーシステムによって加温された屋外プールがオープンする。
この他に、サウナ=スポーツパラダイスやフィットネス=ウェルネスクラブがある。
ディープホルツやディープホルツ郡ではモータースポーツが行われている。ディープホルツ空軍基地では飛行場レースが開催されていた。ここでは1990年代にドイツツーリングカー選手権やフォーミュラ3のレースも開催された。ヴァーゲンフェルトやラーデンでは砂地のレース、シュヴァルメでは草地のレースが行われた。
スポーツクラブとしては、SG ディープホルツがあり、16のスポーツ分野で約2000人の会員が活動している。ハントバル=シュピール=ゲマインシャフト・バルストルフ/ディープホルツは、バルンストルフとディープホルツのハンドボール・ゲームの団体である。スカッシュクラブ 1. SC ディープホルツは1987年に創設された。
ディープホルツのキャンピングカー駐車場は、20台のキャンピングカーが利用でき、排水と排泄物処理を無料で行うオプションがある。ここでは飲料水の提供と無料の無線LAN接続が提供されている。
ディープホルツには、ディープホルツ郡の2つのメディアセンター(メディオテーク・ディープホルツ)のうちの1つがある。この郡立メディアセンターには、映画の他に様々なオーディオ機器やビデオ機器があり、学校や公益団体に無料で貸し出している。
この地域で飼育されているディープホルツァー・モーアシュヌッケ(羊)の肉は、EUでは保護された原産地表示に登録されており、これを示す印影が表示されている。
連邦放射線防護局 (BfS) の局所γ線量を測定する約2000箇所の放射線モニタリングポストの1つがディープホルツにある。
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