ジェネシス(Genesis)は、イングランド出身のロックバンド。1970年代、シアトリカルなプログレッシブ・ロックで地位を確立。フィル・コリンズらを中心とした1980年代にはスタジアム・ロックを展開し、世界的な成功を収めた。2010年「ロックの殿堂」入り。
ジェネシス | |
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フェアウェル・ツアー(2022年) | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド サリー州 ゴドルミング |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
公式サイト | genesis-music.com |
メンバー | |
旧メンバー | 別記参照 |
1967年、イングランド南東部にあるサリー州のパブリックスクール「チャーターハウス・スクール」の同級生であったピーター・ガブリエル(ボーカル)、アンソニー・フィリップス(ギター)、トニー・バンクス(キーボード)、マイク・ラザフォード(ベース)、クリス・スチュワート(ドラムス)が在学中にバンドを結成する。
5人のメンバーがグループとして揃うまで、それぞれは様々なバンドに参加していた。1966年にピーター・ガブリエルはアンソニー・フィリップスと共に「The Spoken World」という校外のセミプロ・バンドに参加。このときガブリエルはドラマーとして参加しており、このバンドでレコード・デビューを飾っている。フィリップスは校内の「The Anon」というバンドにも参加しており、このバンドにはマイク・ラザフォードがいた。トニー・バンクスはガブリエルと個人的に親しく、よく2人で曲を作っていた。
ミュージシャン兼プロデューサー、ジョナサン・キングのプロデュースで1969年に『創世記』でデビュー(録音時に、ドラマーはチャーターハウスの級友だったジョン・シルヴァーに交代)。当時はアメリカに同名のバンドが存在したため、バンド名をアルバム・ジャケットにクレジットせずに発売したことや、ジョナサン・キングに気に入られようとビージーズを意識したサウンドだったため、評価は芳しくなかった。プロ意識の欠如を反省したメンバーは、アート・ロックの方向性を強く意識し、練りに練った作品をリリースするようになる。
1970年、大学進学のために脱退したジョン・シルヴァーに代わり、『メロディ・メイカー』誌のメンバー募集広告に応募してきたジョン・メイヒューがドラムを担当し、2作目となるアルバム『侵入』をリリース。その後、アンソニー・フィリップスが健康上の理由で脱退(一説には、ステージ恐怖症だったとも言われている)。フィリップスの代わりにクワイエット・ワールド(Quiet World)のメンバーであったスティーヴ・ハケットが加入。さらに、力量に問題があったジョン・メイヒューの代わりにフレイミング・ユース(Flaming Youth)のメンバーだったフィル・コリンズが加入した。ともに公募によるオーディションで選ばれたメンバーであった。
初期のサウンドはトラッド・フォーク的なアンソニー・フィリップスの資質によるところが大きかったが、新加入のメンバー2人の個性が、バンドのサウンドを大きく変貌させる。そして3作目にあたる『怪奇骨董音楽箱』(1971年)でプログレッシブ・ロック・バンドとしての評価を確立。ピーター・ガブリエルの演劇性を持った独特のステージ・パフォーマンスもあって、イタリアで大人気となる。1975年、ガブリエルが『眩惑のブロードウェイ』ツアーの後に、プライベートな問題を理由に脱退。以降はソロとして活動している。
その後は、3作目以降のドラマーであったフィル・コリンズがリード・ボーカルも担当し、よりリズムを強調した新しいプログレ・サウンドに変化する(フィル・コリンズがボーカルをとることにより、ドラム担当としてビル・ブルーフォードが一時的に加入してライブ活動に加わったりしたが、それ以降はフランク・ザッパが率いたザ・マザーズ・オブ・インヴェンションでの活動などで知られるチェスター・トンプソンが準レギュラーとしてコンサートに帯同している)。同時期にフィルはブランドXに参加、当該プロジェクトにおいてテクニカルなフュージョンの可能性を追求したりもしている。
さらに、ギタリストのスティーヴ・ハケット脱退後は、ベーシストのマイク・ラザフォードがギターも担当するというトリオ編成となった(ステージではダリル・ステューマーが準レギュラー参加し、マイクと同様楽曲ごとにギターとベースを兼任)。3人でレコーディングした1978年発表の『そして3人が残った』では、それまでよりポップス色を深め、アメリカでの人気を不動のものとする。「フォロー・ユー・フォロー・ミー」がアメリカでもヒットした。1978年11月、初来日コンサート。
フィル・コリンズは1980年代初頭からソロ活動もおこない、「夜の囁き」「恋はあせらず」などをヒットさせた。「恋はあせらず」はモータウン・ヒットのカバーである。バンドとしては1984年に「ザッツ・オール」がヒット。1986年の『インヴィジブル・タッチ』は世界的な大ヒットとなり、アルバムのタイトル曲「インヴィジブル・タッチ」は1986年7月19日付のビルボード・シングルチャートで全米No.1となった。なお、バンドにとってこれは最初で最後の全米No.1となった。その翌週、ジェネシスを1位の座から下ろして全米No.1に輝いたのは、皮肉にもジェネシスを脱退したピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」だった。また、『インヴィジブル・タッチ』からシングル・カットされた「混迷の地」のミュージック・ビデオは、グラミー賞で最優秀コンセプト・ミュージック・ビデオ賞を受賞。
1980年代中盤からは、各メンバーのソロ活動が活発になる。特に、フィル・コリンズはソロ・アーティストとしてジェネシス以上の成功を収める。バンドとソロ活動に加え、映画出演やプロデュース業もこなし、「世界で最も忙しい男」と呼ばれた。フィル・コリンズは、またしてもモータウン・サウンドの「トゥー・ハーツ」をヒットさせ好評を得た。
1991年、久々の新作となる『ウィ・キャント・ダンス』を発表し、さらなるメガヒットを記録する。その後、いくつかのライブ・アルバムなどを発表している。
1996年、フィル・コリンズが脱退を表明。後任のボーカリストとしてレイ・ウイルソン(元スティルトスキン)を正式メンバーに、サポートメンバーにニック・ディヴァージリオ(スポックス・ビアード)とニア・Zを迎える。
1997年に新生ジェネシスとして『コーリング・オール・ステーションズ』を発表する。ツアーサポートメンバーにニア・Zとアンソニー・ドレナンを加えてアルバムツアーを開始する。イギリス本国やヨーロッパでは好評だったが、アメリカでのセールスに恵まれず、1998年にバンドは活動を停止した。
2006年11月7日、フィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォードの黄金期のメンバー3人による活動再開と欧州ツアーが発表された。2007年5月より「ターン・イット・オン・アゲイン・ツアー」を開始し、同年にはツアーの模様を収録したライヴ・アルバム『ライヴ・オーヴァー・ヨーロッパ 2007』を発表。
2008年、フィルが脊髄手術の後遺症で手の動きに支障が出ている事情があり、レコーディング/ライブからの引退を表明。これにより現体制での活動が不可能になり、解散宣言のない活動終了状態となった。
2010年、『ロックの殿堂』入り。3月15日の授賞式ではフィッシュのトレイ・アナスタシオがプレゼンターを務め、フィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォード、スティーヴ・ハケットが出席し、ピーター・ガブリエルは自身の公演のリハーサルと重なったことから欠席した。
2020年3月、フィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォードが、ジェネシスの再結成と「The Last Domino? Tour」の開催を発表した。ダリル・ステューマーとニック・コリンズ(フィル・コリンズの息子)を帯同し、同年11月から12月にかけて開催される予定だったツアーは、新型コロナウイルス感染症の世界的流行した影響により延期となり、2021年9月から14年ぶりの再結成ツアーを開始。翌2022年3月のO2アリーナ (ロンドン)公演で閉幕し、最終日は旧メンバーのピーター・ガブリエルも来場した。
最終公演でフィル・コリンズは、観客に向け「ここがツアーの最終地点であり、ジェネシスの最後のショーだ」と発言。正式な解散の明言は無いもののメンバーの年齢や健康事情も踏まえると、これが最後のコンサートになると示唆している。
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