フュージョン(jazz fusion、fusion)は、1960年代後半から1970年代初頭に発生した、ジャズを基調にロックやラテン音楽、時にはクラシック音楽などを融合させた音楽のジャンルである。ジャズの派生ジャンルとされている。
フュージョン Jazz fusion | |
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マイルス・デイヴィスのエレクトリック・ジャズはクロスオーバーを経て、後年フュージョンへと変質した。 | |
様式的起源 | ジャズ、ロック |
文化的起源 | 1970年代、アメリカ合衆国 |
使用楽器 | エレクトリックギター、ピアノ、エレクトリックピアノ、ドラムス、パーカッション、サクソフォーン、トランペット、エレクトリックベース、シンセサイザー、ハモンドオルガン、ボーカル |
派生ジャンル | スムーズジャズ、アシッドジャズ |
電気楽器をジャズに導入する試みは、 60年代後半から開始された。マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)と『ビッチェズ・ブリュー』。マイルスのアルバムとしては(1970年)は、初期のエレクトリック・ジャズの代表作である。電気楽器を使用したジャズは、当初はジャズ・ロックやエレクトリック・ジャズと呼ばれることが多かった。それ以前の1966年に、ラリー・コリエル率いるザ・フリー・スピリッツのアルバムが発表されているが、知名度はきわめて低かった。また、ギル・メレの『トムVI』(1967年)も、最も初期のエレクトリック・ジャズの1枚ではないかという説もある。さらに1970年代(1972年ごろ)に入ると、ソウル・ミュージックやラテン音楽の要素を取り入れ、クロスオーバーと呼ばれるようになる。同時期にはクラシック音楽を題材にした曲もあり、異例のセールスを記録したデオダートの『ツァラトゥストラはかく語りき』(R.シュトラウス)や、ボブ・ジェームスの『はげ山の一夜』(M.ムソルグスキー)等がある。またジャン=リュック・ポンティのアルバムも話題になった。1970年代半ばになり、クロスオーバーをさらに商業化したサウンドが現れるようになると、他のジャンルと融合した音楽という意味で、それらの音楽をフュージョンと呼ぶようになった。一方で、フュージョンは同時代の「ディスコ」や「産業ロック」と同じように、商業主義的だとして批判されることがあった。1977年ごろにさかんにNHK-FM放送を中心とした日本のFM局でオンエアされたミュージシャンには、リー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラ、高中正義らがいた。1978年にはチャック・マンジョーネの「フィールズ・ソー・グッド」が、全米でトップ5に入る大ヒットとなった。アール・クルーがインスト・カバーした「ダンス・ウィズ・ミー」(オリジナルはオーリアンズ)は、天気情報番組のバックでさかんにオンエアされた。1990年代から現在にかけては、フュージョンを大衆に聞きやすくしたスムーズジャズのジャンルに移行している。フュージョンの曲の多くは、ボーカル無しのインストゥルメンタルであったため、BGMとして使用しやすく、テレビ・ラジオ番組で、フュージョンの楽曲がさかんに使用された。
ジャズマンについてはジャズ音楽家の一覧も参照。
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