ジアーナ・グルツカーヤ(グルジア語: დიანა ღურწკაია、ロシア語: Диана Гудаевна Гурцкая、1978年7月2日 - )は、ジョージア(アブハジア)のスフミ生まれの先天性視覚障害者(全盲)の歌手である。
ディアナ・グルツカヤ Диана Гурцкая დიანა ღურწკაია | |
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2021年のサンクトペテルブルクのコンサートにて | |
基本情報 | |
出生名 | დიანა ღურწკაია |
生誕 | 1978年7月2日(45歳) ソビエト連邦 グルジア・ソビエト社会主義共和国 アブハズ自治ソビエト社会主義共和国・スフミ |
ジャンル | ポップ・ミュージック |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1999年 - |
公式サイト | gurtskaya.ru |
1990年代初のアブハジア紛争で、家族と共にアブハジアを脱出し、難民キャンプに滞在した後にロシアに移住した。特別学校で勉強しながら音楽学校にも通っており、10歳のときにはトビリシのフィルハーモニー・ホールでパフォーマンスをした。1995年にトビリシの視覚障害者の特別学校を卒業し、同年に「ヤルタ・モスクワ・トランジット」国際若手歌手音楽祭で審査員特別賞を受賞した。その後はモスクワのグネーシン音楽学校に進学した。卒業後の1999年に歌手として活動し始め、ヴィーツェプスク・スラヴャンスキー・バザールなどにも参加した。2003年にはまたロシア舞台芸術アカデミーに入学した。歌手と学業の他に慈善活動も行っており、視覚障害のある子供のために慈善基金を設立したほか、定期的に孤児院や障害者の特別学校を訪れている。
2008年に『Peace Will Come』をもってジョージア代表としてユーロビジョン・ソング・コンテスト2008に参加し、決勝で83点を獲得し11位に終わった。
2009年に「ソチ2014」のパラリンピック組織委員会はグルツカヤに「ソチ2014大使」の称号を与えた。2014年のソチオリンピック直前の聖火リレーではグロズヌイで参加した。
近年はウラジーミル・プーチンを支持しており、2018年の大統領選挙ではプーチンを支持する文化人の名簿に登録された。
モスクワの弁護士、ロシア科学・高等教育省次官のピョートル・クチェレンコ(1977年 - 2023年不審死)と結婚しており、2007年6月に息子を出産した。
ジョージア国民栄誉賞、ロシア連邦功労芸術家、ウクライナ聖バルバラ賞、ロシア友好勲章(2010年)、ロシア名誉勲章(2014年)など。2022年にロシア連邦人民芸術家に選定される。
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