生涯
イングランド ・ケンブリッジ 生まれ。母方の祖父はアインシュタイン とも親しかったドイツ 出身のユダヤ系 でノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人 の父親はケンブリッジ大学 のドイツ語 教授であった。母方の曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリング である。
5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年 にデビューした。
クリフ・リチャード のバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続いたが、1970年 にヴァル・ゲスト監督による『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』で映画主演し、歌も披露。1971年 にボブ・ディラン がジョージ・ハリスン に提供した曲のカバー「イフ・ノット・フォー・ユー (If Not For You)」がヒットしたのをきっかけにスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めた。1973年 頃よりAOR、コンテンポラリー色を強め、1974年 のシングル「愛の告白 (I Honestly Love You)」が全米1位を獲得、グラミー賞 の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。同じく1974年にはユーロビジョン・ソング・コンテスト に英国代表として出場し、「Long Live Love」を歌唱して4位を記録した。
1975年にアメリカに移住した後も「そよ風の誘惑 (Have You Never Been Mellow)」などのヒットを連発する。
オリビアとジョン・トラボルタ 女優としては1978年のミュージカル映画『グリース 』でジョン・トラボルタ と共演。興行成績は大成功を収め、サントラからも「愛のデュエット 」、アカデミー賞 歌曲賞候補となった「愛すれど悲し 」、「想い出のサマー・ナイツ」が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなる。1980年の映画『ザナドゥ 』に主演。興行成績は不発に終わるも、サントラ曲「マジック 」、ELO との「ザナドゥ 」、クリフ・リチャード とのデュエット「恋の予感 」(日本ではシングルにならず「春風の誘惑 (Suspended in Time)」がシングル・カット)がヒット。アンディ・ギブと「愛は微笑みの中に」など、AOR 系のデュエット曲を発表。
1981年にはロック色を強め、アップテンポなディスコ調の「フィジカル 」をリリース。全米でビルボード 10週連続1位、キャッシュボックス 8週連続1位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録(エアプレイ中心のラジオ&レコーズ では「フィジカル」は1位にならず、ビルボード、キャッシュボックスで「フィジカル」に抑えられ2位どまりだったフォリナー の「ガール・ライク・ユー 」が逆に1位を独走していた)。最終的にこの曲はビルボードにおいて、1980年代の全米チャートで最もヒットした曲となった。当時のフィットネス ブームを意識し、ミュージックビデオ ではレオタード姿でエアロビクス を踊るという強烈なイメージ戦略があたり、オリビアのセールスはこの頃にピークを迎えた。しかし、その意味深な歌詞のせいもあって、保守色の強い州南部などの一部の放送局では、この曲の放送を自粛する動きも見られた。
トラボルタと再度共演した『セカンド・チャンス 』のサントラ曲「運命のいたずら 」、「ディスペレイト・タイムス」といったヒットを挟み、1985年のシングル「ソウル・キッス 」がミディアム・ヒットに終わってセールスが一段落すると、ポーランド人のダンサーであるマット・ラッタンジーとの結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置く。その後、環境保護活動などに取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめた。1992年には乳がん闘病中と公表、以後はがん治療の啓発活動にも力を入れるようになった。
1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行なうほか、2000年 のシドニーオリンピック 開会式で「Dare To Dream」を披露した。
近年のオリビア(2012年) 2012年、約35年ぶりに、ジョン・トラボルタと共演したデュエット・アルバム『ディス・クリスマス 』をリリース。自身が鬱病との闘病生活を送っている事を告白。
2017年、がんが脊髄に転移していると公表。
2021年秋に、日本政府より『日本国の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功』により旭日小綬章 が授与された。
2022年8月8日、長い闘病ののち南カリフォルニアの自宅にて死去(73歳没)。翌年の2023年2月26日に故郷のメルボルンで国葬 が行われた。
その他
闘病中も歌手活動はできるだけ続けた(2017年ビニャ・デル・マール音楽祭 にて) 1992年に乳癌 と診断され、2013年に再発し肩に転移し闘病しながら活動していたが、2017年に3度目となる脊髄の癌を発病した。乳癌の際には、自ら簡易乳癌検査器具(触診用)のリヴエイドをプロデュースした。製造はシルバー精工 。また、オーストラリアのメルボルン にがんセンター「オリビア・ニュートン・ジョン・がん健康研究センター」を設立している。 ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム ライブ・アルバム コンピレーション・アルバム 主なシングル 「イフ・ノット・フォー・ユー」 - "If Not For You" (1971年) ※全米 25位、全英 7位 「バンクス・オブ・ジ・オハイオ」 - "Banks of the Ohio" (1971年) ※全英6位 「美しき人生 」 - "What Is Life" (1972年) ※全英16位 「カントリー・ロード 」 - "Take Me Home, Country Roads" (1972年) ※全英15位。1976年に「たそがれの恋」との両A面で日本でシングルカットされオリコン6位。オリコン洋楽チャートで1976年11月29日付から15週連続1位を獲得。1995年公開の日本のアニメーション映画『耳をすませば 』のオープニング曲。 「レット・ミー・ビー・ゼア 」 - "Let Me Be There" (1973年) ※全米6位 「青空の天使」 - "Long Live Love" (1974年) ※全英11位 「愛しい貴方 」 - "If You Love Me (Let Me Know)" (1974年) ※全米5位 「愛の告白 」 - "I Honestly Love You" (1974年) ※全米1位、全英22位 「そよ風の誘惑 」 - "Have You Never Been Mellow" (1975年) ※全米1位 「プリーズ・ミスター・プリーズ」 - "Please Mr. Please" (1975年) ※全米3位 「秋風のバラード」 - "Something Better To Do" (1975年) 「レット・イット・シャイン」 - "Let It Shine" (1975年) 「フォロー・ミー」 - "Follow Me" (1975年) 「フライ・アウェイ」 - "Fly Away" (1975年) ※ジョン・デンバー のシングルにデュエット参加 「一人ぼっちの囁き」 - "Come On Over" (1976年) 「ジョリーン 」 - "Jolene" (1976年) ※オーストラリア・日本・ヨーロッパ圏の一部の国で発売 「たそがれの恋」 - "Don't Stop Believin'" (1976年) 「恋する瞳」 - "Compassionate Man" (1976年) ※日本のみ発売 「サム」 - "Sam" (1976年) ※全英6位 「きらめく光のように」 - "Making A Good Thing Better" (1977年) 「サッド・ソング」 - "Sad Songs" (1977年) ※日本のみ発売 「愛のデュエット 」 - "You're The One That I Want" (1978年) ※ジョン・トラボルタ とのデュエット。全米1位、全英1位 「愛すれど悲し 」 - "Hopelessly Devoted To You" (1978年) ※全米3位、全英2位 「想い出のサマー・ナイツ」 - "Summer Nights" (1978年) ※全米5位、全英1位 「愛は魔術師 (マジジャン)」 - "A Little More Love" (1978年) ※全米3位、全英4位 「さよならは一度だけ」 - "Totally Hot" (1978年) 「愛の炎」 - "Deeper Than The Night" (1979年) 「愛は微笑みの中に」 - "Rest Your Love On Me" (1979年) ※アンディ・ギブ とのデュエット 「アイ・キャント・ヘルプ・イット」 - "I Can't Help It" (1979年) ※アンディ・ギブとのデュエット 「マジック 」 - "Magic" (1980年) ※全米1位 「ザナドゥ 」 - "Xanadu" (1980年) with ELO ※全米8位、全英1位。ソフトバンクモバイル 『ホワイトプラン 』CMソング 「恋の予感 」 - "Suddenly" (1980年) ※クリフ・リチャード とのデュエット。全英15位 「春風の誘惑」 - "Suspended In Time" (1980年) ※日本のみ発売 「フィジカル 」 - "Physical" (1981年) ※全米1位、全英7位。オリコン洋楽チャートで1982年1月25日付から9週連続1位を獲得 「ムーヴ・オン・ミー 」 - "Make A Move On Me" (1982年) ※全米5位 「ランドスライド 」 - "Landslide" (1982年) ※全英18位 「ハート・アタック 」 - "Heart Attack" (1982年) ※全米3位 「タイド・アップ 」 - "Tied Up" (1983年) 「運命のいたずら 」 - "Twist of Fate" (1984年) ※全米5位 「テイク・ア・チャンス」 - "Take A Chance" (1984年) ※ジョン・トラヴォルタとのデュエット 「ディスペレイト・タイムス」 - "Livin' In A Desperate Times" (1984年) 「ソウル・キッス 」 - "Soul Kiss" (1985年) ※全米20位 「恋愛専科 」 - "Toughen Up" (1985年) 「ベスト・オブ・ミー 」 - "The Best of Me" (1986年) ※デイヴィッド・フォスター とのデュエット 「噂 」 - "The Rumour" (1988年) 「愛を抱きしめて」 - "Can't We Talk It Over In Bed" (1988年) 「リーチ・アウト・フォー・ミー」 - "Reach Out For Me" (1989年) 「アイ・ニード・ラヴ 」 - "I Need Love" (1992年) 「ドント・カット・ミー・ダウン」 - "Don't Cut Me Down" (1994年) "Had To Be" (1995年) ※クリフ・リチャードとのデュエット。全英22位 「愛の告白」 - "I Honestly Love You" (1998年) ※「愛の告白」のセルフカバー "Back With A Heart" (1998年) "Love Shouldn't Hurt" (1998年) ※チャリティ・シングルCD with オール・フォー・ワン、スティーヴン・ビショップ、マイケル・ボルトン 、ボビー・コールドウェル 、ジョーダン・ヒル、クリス・スティルス、スティーヴン・スティルス 、リチャード・スタイツ、タミア 、アン・ウィルソン 、カーニー・ウィルソン & ウェンディ・ウィルソン 、グレゴリー・カーティス、ローラ・デイヴィス、オーウェン・エリオット、エマニュエル・オフィサー "Dare to Dream" (2000年) ※ジョン・ファーナム とのデュエット。シドニー・オリンピック ・テーマ曲 "Physical" (2010年) ※デュエット with ジェーン・リンチ (テレビドラマ『glee/グリー 』より) iTunes 配信シングル "Hotel Sessions" (2014年) ※配信 EP フィルモグラフィ
Funny Things Happen Down Under (1965年) 『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』 - Toomorrow (1970年) 『グリース 』 - Grease (1978年) 『ザナドゥ 』 - Xanadu (1980年) 『セカンド・チャンス 』 - Two of a Kind (1983年) 『クリスマスに願いを』 - A Mom for Christmas (1990年) A Christmas Romance (1994年) 『ラスト・パーティ 』 - It's My Party (1996年) Sordid Lives (2000年) 『ジャスミン・ラブ』 - The Wilde Girls (2001年) 1 a Minute (2010年) Score: A Hockey Musical (2010年) A Few Best Men (2011年) 『シャークネード5 ワールド・タイフーン 』 - Sharknado 5: Global Swarming (2017年) The Very Excellent Mr. Dundee (2020年) 来日記録
1972年 - クリフ・リチャード の日本公演のバックコーラスとして初来日。 1973年 - 東京音楽祭 出場のために2度目の来日。 1976年 - ソロとして初来日。※日本武道館での公演の様子が映像収録され12月25日にまずライヴ音源がTBSラジオで、その後大晦日の夜にはTBSテレビでも放送された。 1978年 - 2度目のソロ公演。4月の公演は彼女が日本のイルカ駆除 に反対したため延期となり、半年後に開催された(後に壱岐 の漁民が生きる為の手段であった事を知り、日本公演の際にイルカと人間が共存できる研究の為に千葉県 の海洋生物研究所に2万ドル寄付した。)。 1981年 - 5度目の来日。 1990年 - 環境親善大使として来日。 1991年 - 24時間テレビ チャリティコンサート出演のために来日し、都庁で歌を披露。 2003年 - 25年ぶりのソロ公演で来日。 2006年 3月 - ソロ公演で来日。 2009年 3月 - 乳がん撲滅キャンペーンのため来日。 2010年 - 10月にデビュー40周年記念CDのキャンペーンで来日。11月 - 12月にかけて4都市(東京都・金沢市・名古屋市・尼崎市)でライヴ・ツアー。11月10日にはNHKの音楽番組「SONGS 」にも出演した。※出演したのは第156回「SONGS」そよ風の誘惑、ザナドゥ、フィジカル、愛の告白を歌う。 2015年 4月・5月 - デビュー45周年を記念した来日公演、5月に震災追悼公演「Pray For Fukushima」を開催。 脚注
外部リンク
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article オリビア・ニュートン=ジョン , which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0") ; additional terms may apply (view authors ). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0 のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses. ®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.