エルバ島(エルバとう、イタリア語: Elba)は、ティレニア海にあるイタリア領の島。イタリア半島とコルシカ島(フランス領)の間に位置し、トスカーナ群島中最大の島である。
エルバ島 Elba | |
---|---|
上空から見たエルバ島 | |
所在地 | イタリア トスカーナ州リヴォルノ県 |
所在海域 | ティレニア海(地中海) |
所属諸島 | トスカーナ群島 |
座標 | 北緯42度47分 東経10度17分 / 北緯42.783度 東経10.283度 東経10度17分 / 北緯42.783度 東経10.283度 |
面積 | 223 km² |
最高標高 | 1,018 m |
プロジェクト 地形 |
ナポレオン・ボナパルトが最初の退位後に追放された地として知られる。行政上はトスカーナ州リヴォルノ県に属し、約3万人が暮らす。
ティレニア海北部に位置するが、エルバ島以北の海がリグリア海と定義されることもある。グロッセート県の海岸から20kmの所に位置し、西方にはフランス領のコルシカ島がある。シチリア島、サルデーニャ島に次いで、イタリアでは3番目に大きい島である。
島民は3万人で、最大の都市は北岸のポルトフェッラーイオ。夏場は海水浴客が押し寄せる。
エルバ島を含むトスカーナ群島の島々(エルバ島、ピアノーサ、カプラーイア、モンテクリスト、ジリオ、ジャンヌートリ)は、トスカーナ群島国立公園として保護されている。
この島には古代から印欧語族LiguresのIlvates族が定住しており、島で産出する鉄の精錬で知られていた。古代ギリシャはこの島をAithàle (Αιθάλη)、Aithàleia (Αιθάλεια)またはAithalìa (Αιθαλία)と呼んでいたが、これは古代ギリシャ語で煙に因んだものである。古代ローマでは住民であるllvatesに因みllva、中世に入りllbaおよびHelbaと呼ばれるようになった。
古代にエトルリア人に侵略され、その後(紀元前480年以降)古代ローマに侵略された。11世紀始めにはピサ共和国に支配され、1398年にはミラノのヴィスコンティ家へ売却され、後にピオンビーノの領主の支配下となった。1544年には北アフリカの海賊(バルバリア海賊)の侵略により島は荒廃した。その後、トスカーナ大公国を支配するメディチ家によって実効支配された。島には、要塞と軍事と交易をするための海港、コスモーポリが建設された。この港は当時のトスカーナ大公コジモ1世の名を冠している。 1737年、メディチ家が断絶すると、エルバ島を含むトスカーナ大公国は、ハプスブルク家によって支配されることとなった。
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが1814年にこのエルバ島(1802年にフランス領)に追放され、「ムリーニ小宮殿」と呼ばれる小さな邸宅(現存)で299日間を過ごしたことでも有名である。内陸部には「サンマルティーノ」と呼ばれる別荘もあった。なおこれを種にした次のような回文は有名。:
「Able was I ere I saw Elba.(エルバ島を見るまでは、私に不可能はなかった)」
1954年にはコメット連続墜落事故の一つである英国海外航空781便墜落事故がエルバ島沖で発生している。
ワインで有名である。
トスカナ州ピオンビーノ港から、ポルトフェライオ港までフェリーで1時間ほどである。
映画監督スタンリー・キューブリックは晩年、エルバ島のナポレオンを題材とする新作を構想中であった。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article エルバ島, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.