第24次暴動 (2008年6月) 概要
各暴動一覧
1960年代 第1次暴動 (1961年8月1日-8月5日) 日雇い労働者がタクシー に轢かれた交通事故 の処理を巡って発生した暴動。最初の西成暴動である。8月1日から4日にかけて労働者と警官隊が衝突して1人が死亡、約600人が負傷した。 第2次暴動 (1963年5月17日-5月19日) 夜間作業の求人 が意外に少なかったことに端を発する暴動。 第3次暴動 (1963年12月31日-1964年1月5日) 第4次暴動 (1966年3月15日) 立ち飲み屋の支払いを巡るトラブル で、日雇い労働者が警察 に連行されたことに端を発する暴動。 第5次暴動 (1966年5月28日-5月30日) 第6次暴動 (1966年6月21日-6月23日) パチンコ 屋の店員と日雇い労働者が喧嘩したことに端を発する暴動。 第7次暴動 (1966年8月26日) 第8次暴動 (1967年6月2日-6月8日) 飲食店 で支払った代金を巡るトラブルに端を発する暴動。店の備品のほとんどを破壊した。 1970年代 第9次暴動 (1970年12月30日) 年末で求人が激減したことに端を発する暴動。ちなみに新左翼 活動家による越年闘争 が始まるのは、この後からである。 第10次暴動 (1971年5月25日-5月30日) 夜間作業の求人に来ていた業者とのトラブルに端を発する暴動。新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。 第11次暴動 (1971年6月13日-6月17日) 簡易宿所 の管理人が玄関に寝ていた日雇い労働者をどかそうとしたことに端を発する暴動。 第12次暴動 (1971年9月11日-9月15日) 果物屋の店員が酔っ払っていた日雇い労働者を転倒させたことに端を発する暴動。果物屋が焼打ちされた。 第13次暴動 (1972年5月1日-5月2日) 釜ヶ崎メーデーで逮捕 された被疑者 の釈放 を求めた暴動。新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。 第14次暴動 (1972年5月28日-5月31日) 第15次暴動 (1972年6月28日-7月3日) 第14次暴動の検挙者の釈放を求めた新左翼活動家とそれに煽動された日雇い労働者による暴動。 第16次暴動 (1972年8月13日-8月16日) 釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)と右翼団体 とのトラブルに端を発する暴動。 第17次暴動 (1972年9月11日-9月15日) 新装開店したパチンコ屋が、機械 の故障でただちに閉店したことに端を発する暴動。 第18次暴動 (1972年10月3日-10月4日) 病院 職員と日雇い労働者とのトラブルに端を発する暴動。 第19次暴動 (1972年10月10日-10月11日) 第20次暴動 (1973年4月30日-5月1日) 第21次暴動 (1973年6月14日-6月30日) 1990年代 第22次暴動 (1990年10月2日-10月7日) あいりん地区を管轄する西成警察署 の署員が、暴力団から賄賂を貰ったことが発覚したことに端を発する暴動。 第23次暴動 (1992年10月1日-10月3日) 大阪市 が行っていた資金貸付を、資金が尽きたことを理由に中止したことに端を発する暴動。 2000年代 第24次暴動 (2008年6月13日-6月17日) 飲食店の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。 脚注
参考文献
大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察40年の記録 』大阪府警察本部、1998年 関連項目
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