『人間魚雷回天』(にんげんぎょらいかいてん)は、1955年に公開された、新東宝制作の戦争映画。監督松林宗恵、脚本須崎勝彌。主演は岡田英次、木村功。モノクロ、87分。
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人間魚雷回天 | |
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人間魚雷回天 | |
監督 | 松林宗恵 |
脚本 | 須崎勝彌 |
出演者 | 岡田英次 木村功 宇津井健 |
音楽 | 飯田信夫 |
撮影 | 西垣六郎 |
編集 | 後藤敏男 |
配給 | 新東宝 |
公開 | 1955年1月9日 |
上映時間 | 87分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
1954年に出版された元海軍中佐で海軍予備学校の教官だった津村敏行の著した『人間魚雷回天』をベースに、元海軍予備士官の須崎勝彌が脚本を書き、元海軍士官の松林宗恵が監督を務めた。長年会社に言われた通りの企画を撮り続けた職人監督・松林の唯一の企画映画と言われる。
回天特別攻撃隊菊水隊隊員たちを主人公として、1944年秋から物語は始まり、訓練・出撃前夜・出撃の3部で物語が構成されている。 『きけ、わだつみの声』(1950)、『雲ながるる果てに』(1953)に次ぐ学徒兵の悲劇を描いた作品で、兵学校卒の軍人と予備士官との間の、「娑婆っ気」という言葉に象徴される意識の断絶と、否応なく死へと追いやられる者たちの思いをテーマとして色濃く描いている。
珊瑚礁の海底、海藻の中に朽ちつつも原型を留めたままの人間魚雷「回天」が一基横たわっている。浸水した艇内の錆びた特眼鏡に刻みつけられた「十九年十二月十二日 一五三〇 我未ダ生存セリ」の文字が白く光る。
昭和十九年、菊薫る秋。嵐部隊大津島基地隊。特攻兵器「回天」の隊員に選ばれた男たちに、時々刻々と出撃の日が迫る……。
当初15人いた「回天」搭乗員の海軍予備士官のうち7人は既に戦死、或いは訓練中に殉職している。計器の不備の為に岡田少尉が殉職し、遺された仲間たちは遺影の前で岡田の母校・明治大学の校歌を歌って彼を偲ぶ。その歌声を耳にした海軍兵学校出身の陣之内大尉は「貴様たちの今の娑婆っ気は何だッ」と一同を整列させ、予備士官である彼らの心根を強く非難する。同じく予備士官である関谷中尉が止めに入るが聞き入れられず、関谷を含め全員が陣之内の鉄拳制裁を受ける。
暗澹たる思いの一同の元に、出撃していた村瀬少尉が姿を現した。艇の故障で発進できず戻って来た村瀬だったが、以前にも同様の事があり、二度の出撃失敗に複雑な思いを抱いていた。村瀬の思いを察して労りの言葉をかける朝倉少尉。龍谷大学出身で僧籍を持つ川村少尉が戯けながら、掲げられていた村瀬の遺影を取り外す。玉井少尉は、目をかけていた北村上飛曹も村瀬と同じく、出撃を果たせず基地に帰ってきたことを知り、生への一縷の希望を見出し安堵と喜びを覚えた。
数日後、訓練中に朝倉の乗った回天が操作不能になり海底に沈んでしまう。救助艇にも気付かれず、必死の努力で何とか自力で艇を浮上させた朝倉は、ハッチを開け新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、生きているということに感動を覚える。海沿いの小径を歩く女の子たちの歌う「赤とんぼ」が聞こえてくる。浮上した朝倉を発見し、救助に来た玉井と村瀬たちに「生きてるってことは文句なしに素晴らしいぞ」と言う朝倉だが、明朝出撃の命令が下ったことが告げられる。
出撃前夜、他の士官たちは主計少佐と共に外出したが、朝倉は一人、宿舎で過ごす。散歩から帰ってきた朝倉は、彼らの世話係を務める二人の老水兵が古参水兵から理不尽な鉄拳制裁を受けている場に出会し、「特攻隊への申し訳」「海軍の伝統と精神」という言葉で暴力を正当化していることに強い怒りを覚える。「特攻隊に出撃して行くのは誰だ、貴様達か」と古参兵に怒りをぶつけ、「俺は今から特攻隊の名において貴様達を修正する」と拳を振り上げたものの、「人間を人間として扱わないこと。それがもし、帝国海軍の伝統なら大へんな誤りだと、学生上がりの予備士官が言い残して出撃して行ったことを時々は思い出してくれ」と言い残して立ち去る。部屋に戻ってカントの『純粋理性批判』を読んでいると、世話係の一人、田辺一水が兵役に就く前は大学で教師をしており、母校の東大の先輩と知り、最後の夜を二人で語り合う。死地に向かう有為の若者を前に、田辺はいたたまれず「死なないでください」と訴えるが、朝倉は、自分たちは無謀な戦いを無謀なものと気づかせる為に死んでいくのだと答え、“Es ist gut(これでよい)”とカントの最期の言葉で自身の心境を表現する。
朝倉以外の仲間と酒宴に参加したものの、割り切れない思いに苦しむ玉井は、彼を訪ねて来た婚約者の早智子と出会い、最後の時を共に過ごす。
そして様々な思いを胸に、彼らは出撃の朝を迎えた。
シナリオにはあるが映画からは削除された主なシーンと相違部分
概ね好評価ではあったが、当時まだ新人であった須崎勝彌の脚本家としての力量不足と、冒頭とラストのモノローグについては脚本家の主張が前面に出過ぎていることが難点として指摘されている。
演出に関しては、ミニチュア撮影の稚拙さと、関屋艇発進の際に爆雷の震動が止んでしまうことが演出ミスではないかと指摘されている。 虚しく海底に座した朝倉艇と、それに気付かず意気揚々と引き上げてゆくイ号潜水艦という締め括りについては、両者の対比によって朝倉少尉の虚しさと孤独感が際立ち、効果的な余韻となったと評価された。
演技面では、デビュー間もなかった宇津井健について「演技者の硬さもあって台無し」と辛口の評価を受けているが、既に劇団青俳の中心メンバーであった岡田英次と木村功の絶望を表す演技については秀逸と評価されている。
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