パリ・14区の位置 概要
地理
住民
人口 14区の人口は、1954年に181,414人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の132,844人となった。2005年の推計では134,700人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。
また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の7割程度の23,634人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。
年 区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考 1872年 69,611 1,851,792 3.76% 12,384 21,303 1954年 181,414 2,850,189 6.36% 32,274 32,788 人口がピークに達する。 1962年 178,149 2,790,091 6.39% 31,693 32,097 1968年 167,093 2,590,771 6.45% 29,727 29,804 1975年 149,137 2,299,830 6.48% 26,532 26,457 1982年 138,596 2,176,243 6.37% 24,657 25,035 1990年 136,574 2,152,423 6.35% 24,297 24,761 1999年 132,844 2,125,246 6.25% 23,634 24,449 2005年 134,700 2,166,200 6.22% 23,964 24,920 人口は推計。
歴史
政治・行政・司法
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主な官公庁・公共機関 ラ・クーポール ル・ドーム 経済
安全 警察等 コシャン病院 健康・福祉 左はコシャン病院の裏側。奥に見えるドーム建築はパリ5区のNotre-Dame du Val-de-Grâce 。Rue de la Santé から北を見る。 サンタンヌ中央病院。1651年、王妃アンヌ・ドートリッシュ の寄附で造成された。 保健・医療 フランス赤十字社本部 (Croix-Rouge Française (CRF) )- 14区の南西部、ディド通り沿いにある。 コシャン病院 (Hôpital Cochin ) サン=ヴァンサン=ド=ポール病院 (Hôpital Saint-Vincent-de-Paul ) サン=ジョセフ病院 (Hôpital Saint-Joseph ) サンタンヌ中央病院 (Centre Hospitalier Sainte-Anne ) ノートル=ダム=ド=ボン=スクール病院 (Hôpital Notre-Dame-de-Bon-Secours ) ブルッセ病院 (Hôpital Broussais ) ラ・ロシュフコー病院 (Hôpital La Rochefoucauld ) 生活 モンパルナス墓地 から望むモンパルナスタワー 上水道 モンスーリ貯水池 (Réservoir de Montsouris ) - パリ市内に飲料水 を供給している貯水池 のひとつ。 墓地等 モンパルナス墓地 (Cimetière du Montparnasse ) モンルージュ墓地 (Cimetière de Montrouge ) 学術・研究 研究施設 育児学・周産期医学研究所 (Institut de Puériculture et de Périnatalogie ) パリ天文台 (Observatoire de Paris ) 教育 国際館、国際大学都市 大学等 高等研究実習院 (École pratique des hautes études ) 13区 区境サン=ジャック大通り界隈フェリュス通り(Rue Ferrus )4-14番地レ・パシオ・サン=ジャック(Les Patios Saint-Jacques )にあるPSL研究大学 。 エコール・ノルマル・シュペリウール パリ経済学校 (英語 : Paris School of Economics, PSE 、フランス語 : École d'économie de Paris ) フランスや欧州を代表する経済学の統合型大学院的性格の学校。ジュールダン大通り48番地にある。 その他 国際大学都市 (シテ・アンテルナシオナル・ユニヴェルシテール・ド・パリ、Cité Internationale Universitaire de Paris ) ジュールダン大通り(Boulevard Jourdan )17番地にある、大学等高等教育機関 の各国学生・研究者向けの各国別学生寮ないし学生会館がある。 宿泊施設 オテル ・イストリア (Hôtel Istria) 主な宿泊施設 文化施設 美術館・博物館 アンリ・カルティエ・ブレッソン財団 (Fondation Henri Cartier Bresson ) カルティエ財団現代美術館 (Fondation Cartier pour l'Art Contemporain ) 映画館・劇場 モンパルナス劇場 (Théâtre Montparnasse ) 宗教施設 サン=ピエール=ド=モンルージュ教会 同教会のクワイヤ ないし身廊 (Choeur, église Saint-Pierre-de-Montrouge) 教会・寺院 観光・憩い 建築 公園・緑地等 アスピラン=デュナン公園 (Square de l'Aspirant-Dunand ) アベ=ミーニュ公園 (Square de l'Abbé-Migne ) クロード=ニコラ=ルドゥー公園 (Square Claude-Nicolas-Ledoux ) ジャック=アントワーヌ公園 (Square Jacques-Antoine ) ジュリア=バルテ公園 (Square Julia-Bartet ) セルマン=ド=クフラ公園 (Square du Serment-de-Koufra ) フェルディナン=ブリュノー公園 (Square Ferdinand-Brunot ) モンスーリ公園 (Parc Montsouris ) ダンフェール=ロシュロー広場 旧跡・記念碑等 交通 画像をクリックして拡大
鉄道 高速道路・有料道路 画像をクリックして拡大
ペリフェリック (パリ環状道路)(Boulevard Périphérique ) ポルト・ド・ジャンティイ - ポルト・ドルレアン - ポルト・ド・シャティヨン - ポルト・ド・ヴァンヴ 道路 アラゴ大通り(Boulevard Arago ) 13区 ・5区 の境界線上を東西に走るサン=マルセル大通りが、5区と13区内中心部イタリー広場の間を南北に伸びるゴブラン大通りとの交差点で、下記区境を走るポール=ロワイヤル大通りとアラゴ大通りとに分岐し、アラゴは14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ )まで東西に伸びてゆく。 アレジア通り(Rue d'Alésia ) 14区内南側を東西に伸びる通り。東側で13区内から伸びるトルビアック通り (fr ) と、西側で15区内のヴィエ通り (fr ) と接続する。14区内南側中央のヴィクトーレ=エレーヌ=バシュ広場 (Place Victor-et-Hélène-Basch ) で下記ジャン=ムーラン、ジェネラル=ルクレール、メーヌ各大通りと交わる。 オプセルヴァトワール大通り(Avenue de l'Observatoire ) リュクサンブール庭園 、グラン=エクスプロラトゥール・マルコ=ポーロ・エ・カブリエ=ド=ラ=サール庭園東側に沿って走るサン=ミッシェル大通りから引き続いて南北に伸びる通り。モンパルナス大通りと交差し14区内に入りパリ天文台 界隈まで続く。 カンパーニュ=プルミエール通り(Rue Campagne-Première ) 下記ラスパイユ大通りと下記モンパルナス大通りとを繋ぐ、著名な文化人 らが多く居住した通り。ラスパイユ大通り側にメトロ ラスパイユ駅 が最寄りのイヴ=クライン公園があり、モンパルナス大通り側では、パブロ=ピカソ広場(旧ヴァヴァン交差点)の東側先に接続する。 ゲテ通り(Rue de la Gaîté ) サレット通り(Rue Sarrette ) サン=ジャック大通り(Boulevard Saint-Jacques ) 14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ)から区内を東側方向に走り、13区内でオーギュスト=ブランキ大通りと名を変え、途中ル・モンド 社屋を横に見て、同区内中心部イタリー広場に辿り着く。反対に、ダンフェール=ロシュロー広場から西側へはフォワドゥヴォ通り (Rue Froidevaux ) が走り、モンパルナス墓地 南側沿いを抜け、モンパルナス駅 南東界隈で南東に伸びる下記メーヌ大通りと交差する。アンリ・カルティエ・ブレッソン 財団がある同交差点から西側へは、名を変えジャン=ザイ通りが同駅南側界隈にあるカタローニュ広場へ走り、その先、モンパルナス駅からの鉄道線路帯を越えると15区 になる。 ジャン=ムーラン大通り(Avenue Jean-Moulin ) ジュールダン大通り(Boulevard Jourdan ) ジェネラル=ルクレール大通り(Avenue du Général-Leclerc ) ダゲール通り(Rue Daguerre ) ダンフェール=ロシュロー大通り(Avenue Denfert-Rochereau ) カルチエ・ラタン を南北に伸びるサン=ミッシェル大通りから続くオプセルヴァトワール大通りと、東西に走るモンパルナス大通りとの交差点から、オプセルヴァトワール大通りに引き続いて14区内をダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)界隈まで南北に走る。 ディド通り(Rue Didot ) デパール通り(Rue du Départ ) 文字通り"出発通り"。モンパルナス駅前広場からモンパルナス駅東側を南北に縫うように走る通り。15区 側駅西側は同様にアリヴェ通りが通るが、文字通り"到着通り"。 ドランブル通り(Rue Delambre ) 東西に走るモンパルナス大通りと南北に走るラスパイユ大通りとの交差点付近が起点の通り。14区内を南西に走り、モンパルナス駅前から南東に伸びるオデッサ通り、モンパルナス"大通り"を起点に南北に伸びるモンパルナス"通り"のこれら2通りとモンパルナス墓地北側で交差する。 トンブ=イソワール通り(Rue de la Tombe-Issoire ) ピエール=ド=クーベルタン大通り(Avenue Pierre-de-Coubertin ) フォーブール=サン=ジャック通り(Rue du Faubourg-Saint-Jacques ) ブラール通り(Rue Boulard ) プラント通り(Rue des Plantes ) ブリュヌ大通り(Boulevard Brune ) フロワドヴォー通り(Rue Froidevaux ) ダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)からサン=ジャック大通りに続く、14区内を東西に伸びる通り。 ペール=コランタン通り(Rue du Père-Corentin ) ヴェルサンジェトリクス通り(Rue Vercingétorix ) ポール=ロワイヤル大通り(Boulevard de Port-Royal ) 南北に走るオプセルヴァトワール大通りとの交差地点で、東西に走るモンパルナス大通りから名を変え引き継いで主に西側5区と13区との境界線上を同様に東西に走る。また、フォーブール=サン=ジャック通りとの交差地点界隈に旧パリのポール・ロワイヤル修道院 (fr )、病院と産院、コシャン病院がある。最寄りはRER のポール=ロワイヤル駅。 メーヌ大通り(Avenue du Maine ) モンパルナス大通り(Boulevard du Montparnasse ) 14区と6区との境界線上を東西に走り、通り東側ではリュクサンブール庭園 南隣接グラン・エクスプロラトゥール庭園(マルコ・ポーロ =カブリエ・ド・ラ・サール 庭園)南側オプセルヴァトワール大通りとの交差点で、主に5区と13区との境界線を東西に走るポール=ロワイヤル大通りに、反対に通り西側では、7区 内アンヴァリッド へ向かうアンヴァリッド大通りにそれぞれ接続する。モンパルナス駅前から通り東側方向へ、特にラスパイユ大通り交差点メトロ のヴァヴァン駅 界隈パブロ=ピカソ広場(旧ヴァヴァン交差点)にかけて、モンパルナス駅前のステーキレストランないしブラッスリー Hippopotamus, ブラッスリーLa Ruche はじめ, ブラッスリーLa Coupole (ラ・クーポール ), Café L'Atelier, ブラッスリーLe Select, ステーキレストランLe Relais De L'Entrecôte, レストランLa Rotonde, レストランLe Dôme, Bistrot(ビストロ ) du Dôme, ブラッスリーLa Closerie des Lilas ・・等が軒を連ねる。 サンテ通り(Rue de la Santé ) サンテ刑務所 に面した道路。フォーブール=サンジャック大通りの東側を並走する、13区との境界を南北に走る通り。区内南部を東西に走る上記アレジア通りとの交差点まで走る。通り北から順に、東西に走るアラゴ大通りと交差し、サンテ監獄、コシャン病院、東西に横切るサン=ジャック大通りを越えると、通り周辺界隈に高等研究実習院 があり、通り名の由来となったサンタンヌ中央病院・・がある。アレジア通りとの交差点の先を進むとモンスーリ公園がある。なお、サンテ刑務所では、1909年には40人の死刑囚 が、1939年には殺人犯マックス・ブロックが、アラゴ大通りとの交差点界隈でギロチン で公開処刑 に処された。同1939年に処刑は非公開になり、1972年に2人の死刑囚を最後にギロチンでの非公開処刑が執り行われた。1981年には死刑制度が廃止 された。 ラスパイユ大通り(Boulevard Raspail ) バック通りやサンジェルマン大通りが接続する7区 内のルネ=シャール広場から、ボン・マルシェ百貨店 やホテル・ルテシア等があるセーヴル通りと交差しながら6区内を斜めに横切り、モンパルナス大通りとの旧ヴァヴァン交差点パブロ=ピカソ広場界隈で14区内に入る。同交差点界隈は著名なレストランやブラッスリーが軒を連ねる。14区内をダンフェール=ロシュロー広場(カタコンブ・ド・パリ)界隈までを走る通り。 ルネ=コティ大通り(Avenue René-Coty ) レイモン=ロスラン通り(Rue Raymond-Losserand ) レイユ大通り(Avenue Reille ) 広場・交差点 画像をクリックして拡大
パリの「広場 (プラス、Place )」は、しばしば2以上の道路 が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー 状の交差点 となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク や緑地 等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門 があるシャルル・ド・ゴール広場 は世界的に有名である。14区の広場や交差点には、次のようなものがある。
カタローニュ広場(Place de Catalogne ) コリュシュ広場(Place Coluche ) サン=ジャック広場(Place Saint-Jacques ) 1940年6月18日広場(プラス・デュ・ディジュイ=ジュアン=ミル・ヌフサン・キャラント、Place du 18-Juin-1940 ) 6区 、14区、15区 の境界に位置する、モンパルナス駅前広場。 ダンフェール=ロシュロー広場(Place Denfert-Rochereau ) ヴィクトル=エ=エレーヌ=バッシュ広場(ヴィクトーレ=エレーヌ=バシュ広場, Place Victor-et-Hélène-Basch ) 著名な出身者 著名な居住者 1916年、ブラッスリー「ラ・ロトンド 」前(行政上はモンパルナス大通り6区 側)の、モディリアーニ 、ピカソ 、アンドレ・サルモン。ジャン・コクトー 撮影 Nabis Landscape 1890年 ポール・ランソン 作。ランソンはポスト印象派 , ナビ派 の画家。モンパルナス大通り25番地(厳密には通り6区側)に居住 政治 学者 ロベール・フォーティエ(フランス語版 ) (歴史学者) - ラスパイユ大通り (Boulevard Raspail ) 270番地に居住。高等研究実習院 出身 河上肇 (経済学者) 1914年 、パリでの下宿先を探していた河上肇は、同時期のパリに下宿していた島崎藤村 の世話で、グランド・オテル・ド・ポール=ロワイヤル (ポール=ロワイヤル大通り, Boulevard de Port-Royal 117番地) に滞在した。道路を挟んだ反対側には藤村の滞在先、同大通り86番地(5区 )があり、河上肇の部屋からはその部屋の明かりが確認できたという。 文化 佐伯祐三 (画家) 1927年10月から翌年4月末にかけて、モンパルナス大通り(Boulevard Montparnasse )162番地のアトリエ に住んだ。パリの街角に立ち、精力的に創作活動を続けていたが、1928年3月、雨中での製作で体調を崩した。4月末、同じ区内のヴァンヴ通り(Rue de Vanves 、現在のレイモン=ロスラン通り(Rue Raymond-Losserand ))5番地に引っ越したが結核 が悪化。精神状態も悪くなって入院し、8月16日、30歳の若さで死去した。 高村光太郎 (彫刻家、評論家、詩人) 1908年6月11日、パリに到着。畑正吉 の下宿に身を寄せたのち、カンパーニュ=プルミエール通り(Rue Campagne-Première )17番地のアトリエに住んだ。アトリエでは、主に泥による胸像の製作に取り組んでいる。翌年帰国。 林芙美子 (小説家) 林芙美子の滞在場所は3ヶ所あるが、いずれもダンフェール=ロシュロー広場の近くである。1931年11月23日から翌年1月23日まではブーラール通り(Rue Boulard )10番地のオテル・デュ・リオン・ベルフォール (Hôtel du Lion Belfort )に宿泊し、ロンドン での滞在を経た後、2月22日から4月5日まではダンフェール=ロシュロー広場28番地のオテル・フロリドル(Hôtel Floridor )の5階に宿を取り、翌日から5月12日まではダゲール通り(Rue Daguerre )22番地のアパルトマン(現在のオテル・ル・リオンソー(Hôtel le Lionceau ))の2階で生活し、5月12日の夜、日本へ発った。 藤田嗣治 (画家、彫刻家) 1917年 まで、カンパーニュ=プルミエール通り9番地に居住し、同23番地にアトリエがあり、1917年から1924年まで、藤田嗣治が画家としての名声を確立した時期に住んでいたのが、ドランブル通り(Rue Delambre )5番地のアパートである。2度目の妻であるフェルナンド・バレーと共に過ごした場所でもあった。フランスで最も知られる日本人の一人。 横光利一 (小説家、俳人) 『東京日日新聞 』、『大阪毎日新聞 』の特派員として1936年ベルリンオリンピック の取材に向かう途中、1936年3月28日から7月23日までラスパイユ大通り(Boulevard Raspail )259番地のセレクト・ラスパイユ・オテル(Select Raspail Hotel )に滞在した。 ゆかりの人物 脚注 参考文献 関連項目 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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