『隋書』(ずいしょ)は、二十四史の一つで第13番目にあたる。中国大陸史の中における隋代を扱った歴史書。志の部分だけは通史である(後述)。
本紀5巻・志30巻・列伝50巻からなる。特に「経籍志」が名高い。唐の魏徴と長孫無忌らが太宗の勅を奉じて勅撰を行った。編纂には顔師古や孔穎達らが参加した。636年(貞観10年)には魏徴によって本紀5巻・列伝50巻が完成し、第3代高宗に代替わりした後の656年(顕慶元年)に、長孫無忌によって志30巻が完成、編入された。
『隋書』の最大の特徴は、この十志30巻である。本紀および列伝55巻が『漢書』に始まる断代史の体裁をとるのに対し、この十志は『史記』や『南史』・『北史』と同様の通史となっている。本紀および列伝の完成後に太宗が命じたのは、南朝梁・陳・北斉・北周・隋の5つの王朝に対する志の編纂であった。既に完成していた各朝の正史に志がなかったことによるが、一方で北魏と南朝宋以来、隋の統一までを南北朝という一つの時代と見て六朝と呼ぶ後世の視点とは異なり、当時の視点では南北の二極対立から再び三極の鼎立に至り、隋が統一を果たすという見方であったことを示している。よって、この十志だけを独立して「五代史志」と呼び習わし、また、断代史であって通史でもあるという正史が成立した。
「経籍志」は、第32巻志27から第35巻志30にあたる。中国の正史に付されたものとしては、『漢書』「芸文志」に次ぐものであった。
「律暦志」には、南朝宋・斉の祖沖之(429年 - 500年)が、円周率を3.1415927の位まで計算したことを記しているが、これは、『南斉書』の本伝にも見えない記録である。ヨーロッパにおいてこの桁数までの計算が果たされたのは16世紀のことであった。
『隋書』の「東夷伝」は、第81巻列伝46にあたる。この書の中では、当時の俀國(倭国)とその王多利思北孤や朝鮮半島にあった高句麗・新羅・百済と琉求について記述されている。記述の順番は高句麗・百済・新羅・靺鞨・琉求・倭国である。
俀(倭)に関する記述では、腕へ刺青を行っていたという風俗に関するもの、また多利思北孤が仏法僧を隋へ留学させたことなどが言及されている。
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