阿部重次

阿部 重次(あべ しげつぐ)は、江戸時代前期の大名。武蔵岩槻藩2代藩主。別名に三浦 重次(みうら しげつぐ)。徳川家光のもとで老中を務める。阿部家宗家2代。官位は山城守、対馬守。

 
阿部 重次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長3年(1598年
死没 慶安4年4月20日1651年6月8日
別名 三浦重次
墓所 上野公園の現龍院墓地
官位 山城守対馬守
幕府 江戸幕府若年寄老中
主君 徳川家光
下総三浦藩→旗本→武蔵岩槻藩
氏族 阿部氏
父母 父:阿部正次、母:佐原義成娘
養父:三浦重成
兄弟 政澄重次、盛次、内藤信照正室、
成瀬之成正室、安藤重元室
養兄弟:三浦重勝三浦政吉三浦重吉三浦安勝
正室:三浦重成
継室:松平定勝娘・正寿院
定高正春松平定行養女、
松平近陳正室
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生涯

大坂城代を務めた初代藩主・阿部正次の次男として誕生した。

初め、男子に恵まれなかった三浦重成(義次)の婿養子となったが、後に重成に男子(三浦重勝)が生まれたために、重成は重次に近江国浅井郡3千石の所領を分与し、別家を立てさせた。大坂夏の陣の際には病気の重成に代わって、重次が三浦家を率いて出陣した。のち、三浦家は重勝死去で断絶となり、重勝の弟の系統が阿部家の家臣となっている。

実兄で世嗣の政澄が死去したため阿部家に戻り、相続した。同時期に老中を務めた阿部忠秋は従弟で、重次が本家筋にあたる。政澄の遺児正能は、正次から分知を受け別家を立てた後、忠秋の養嗣子となり跡を継いだ。

元和2年(1616年)7月6日に幕府から改易された松平忠輝(家光の叔父)の子・徳松を預かるが、重次に冷遇された徳松自身は寛永9年(1632年)に焼身自殺する事件を起こしている。

父・正次は寛永3年(1626年)から死去する正保4年(1647年)まで大坂城代に任じられているが、その間に重次も寛永15年(1638年)に老中に任命されている。

主君の将軍家光はしばしば日光東照宮に社参しているが、江戸からの1泊目が岩槻にあたり、岩槻城主である重次が接待にあたっている。慶安4年(1651年)、家光が死去すると殉死した(同日、堀田正盛も殉死)。享年54。

家督は長男の定高が継いだ。

経歴

  • 寛永10年(1633年) 3月23日、六人衆となる
  • 寛永15年(1638年) 4月22日、5万9千石をもって岩槻藩主となる
  • 寛永15年(1638年)11月7日、老中に任ぜられる
  • 正保4年 (1647年)11月14日、父・正次、大坂城において死去
  • 慶安元年(1648年) 7月18日、父の遺領をあわせて9万9千石を領する
  • 慶安4年 (1651年) 4月20日、将軍家光の死去にともなって殉死

辞世は「天てらす月のひかりともろもろに 行すへすゞし曙のそら」。

系譜

脚注

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