所在地
長崎市尾上町5番26号(2020年(令和2年)3月7日から) 管轄区域
沿革
1874年 (明治 7年)10月27日 - 長崎県警察局(長崎県警察の前身)の本営が本大工町に開庁。同時に「八百屋町分営 」(長崎警察署の前身)と新地町分営が設置される。 1875年 (明治8年) 12月17日 長崎県警察局の外浦町への移転に伴い、旧警察局舎に八百屋町の邏卒屯所(分営)が移転し、「第一警察出張所 」となる。 新地町の邏卒屯所(分営)は第二警察出張所(大浦警察署 の前身)となる。 1876年 (明治9年) 1月8日 - 長崎県警察局(本部)が長崎県第四課と改称。 1月10日 - 長崎県第四課(本部)が長崎県警察所と改称。 1878年 (明治11年) 1月18日 長崎県警察所(本部)が長崎県警察本署と改称。 出張所・屯所・分屯所が警察署・分署・派出所・交番所に改められる。第一警察出張所は「長崎警察署 」、第二警察出張所は長崎警察署新地分署となる。 5月8日 - 長崎警察署、市街地で初めて戸口調査を実施。 1879年 (明治12年)10月14日 - 新地分署の新地警察署への昇格に伴い、3分署(大波止・深堀・茂木)と高島派出所を新地警察署へ移管。 1880年 (明治13年) 7月16日 - 長崎県警察本署、帯剣用法並取扱心得を定め、巡査全員に帯剣させる。 11月9日 - 長崎県警察本署、2署(長崎警察署と新地警察署)あてに、当分の間帯剣は廃止し、官棒の携帯を通達。 この通達は上記の2署に限ったものであった。その背景には、当時は治外法権 であった長崎市の外国人居留地 への配慮があった。 1884年 (明治17年)12月24日 - 新地警察署が梅ヶ崎町に移転し、梅香崎警察署と改称。 1885年 (明治18年)7月1日 - 大波止分署を梅香崎警察署に移管し、水上警察派出所に改称。 1886年 (明治19年)8月7日 - 地方官官制の公布で、長崎県警察本署を長崎県警本部と改称。 1887年 (明治20年)2月1日 - 長崎区内を対象とした「火災消防規則」が制定され、区内消防組は警察署長 が管理することとなる。 1888年 (明治21年)1月29日 - 長崎区内の駐在所9カ所(馬町、桶屋町、豊後町、恵美須町、大波止、材木町、新橋町、丸山町、浪之平)を巡査派出所と改称。 1890年 (明治23年)10月 - 長崎県警本部が長崎県警察部に改称。 1905年 (明治38年)4月 - 長崎県警察部が長崎県第四部に改称。 1907年 (明治40年)7月 - 長崎県第四部(本部)を長崎県警察部に改称。 1940年 (昭和 15年)6月25日 - 梅香崎警察署が旧香港上海銀行長崎支店(1931年 (昭和6年)に閉鎖)に移転。 1941年 (昭和16年)12月8日 - 稲佐警察署を設置。 1946年 (昭和21年)5月13日 - 長崎警察署襲撃事件 1948年 (昭和23年) 2月1日 - 警察法(旧警察法 )施行に先立ち、準備訓練のため、国家地方警察 (国警)、国警地区警察署、自治体警察署(自警)が発足。 3月7日 - 警察法の施行により、国警と自警察が発足。 長崎県警察部(本部)が廃止、国家地方警察長崎県本部が設置される。 消防組織法の制定で、消防業務が警察より分離される。 長崎市に自治体警察として「長崎市警察 」が発足。(江戸町41番地、長崎市一円を管轄する) 職員数 - 369(警視1、警部1、警部補15、巡査部長39、巡査291、技師・技手2、書記・書記生20) 機構 - 4課(総務課、警備課、刑事課、経済防犯課)13係 警部補派出所1、巡査派出所54 5月26日 - 長崎水上警察署が長崎市警察署に移管される。 1951年 (昭和26年)1月4日 - 長崎市警察音楽隊を創設。隊長以下37名で吹奏楽隊を編成。 1952年 (昭和27年)8月20日 - 従来の1市1署(長崎市警察署)から1局(長崎市警察局)2署(長崎警察署・稲佐警察署) に機構を改める。 1953年 (昭和28年) 1月1日 - 長崎市警察局、初めて自動交通信号機を春雨通り(浜町)十字路に設置。 4月1日 - 大波止十字路にも交通信号機 を設置。 1954年 (昭和29年) 6月30日 - 長崎市警察廃庁式が執り行われる。 7月1日 - 警察法の全面改正が行われる(現警察法 施行)。 国家地方警察長崎県本部と県内の自治体警察が廃止、長崎県警察が発足。7自治体警察署と17地区警察署を統合し、県内に27警察署が配置される。 長崎市には「長崎警察署 」、大浦警察署(旧梅香崎警察署)、稲佐警察署、浦上警察署 の4署が設置される。 1963年 (昭和38年) 1966年 (昭和41年)4月1日 - 外勤課を新設。 1968年 (昭和43年)9月3日 - 長崎警察署、桶屋町に新庁舎が完成し、落成式を挙行。 鉄筋コンクリート造地下1階、地上5階建て 旧長崎警察署(江戸町)の地下倉庫から1945年(昭和20年)8月9日(長崎原爆 の日)の空襲死体検視名簿4冊が発見。約1万柱の氏名が記載されていた。 1970年 (昭和45年) 7月21日 - 過密・過疎対策の一環として、県内で駐在所・派出所の統廃合が実施。(小江原団地に派出所を開設) 9月2日 - 観光通りと鍛冶屋町通りで、自動車乗り入れを禁止し、歩行者天国 を初めて実施。 期間: 9月2日~4日までの2日間 時間帯: 午前8時~10時までの2時間と午後5時~7時までの2時間、計4時間。 1974年 (昭和49年)4月10日 - 長崎警察署、佐世保警察署の2署で九州では初めてのヤングテレホン制度を実施。 1976年 (昭和51年)10月1日 - 東長崎警察署 (長崎市田中町、署員109名)の新設により、東長崎地区を移管。 2005年 (平成 17年)4月1日 - 東長崎警察署を廃止の上、統合。東長崎地区も管轄となる。 東長崎警察署が管轄していた諫早市(旧西彼杵郡)多良見町地区に関しては、諫早警察署 に移管。 2006年 (平成18年)- 県全体で交番、駐在所の統廃合を開始。長崎警察署では7交番と3駐在所、計10カ所を廃止。 2008年 (平成20年)- 1交番を廃止し、結果として長崎警察署の交番数は18から10に、駐在所数は3から0となる。 旧庁舎(桶屋町) 交番
13カ所
丸山町交番(まるやままち、長崎市丸山町) 長崎駅前交番(長崎市尾上町) 立山交番(たてやま、長崎市立山1丁目) 中川交番(なかがわ、長崎市中川1丁目) 田上交番(たがみ、長崎市桜木町) 元船町交番(もとふなまち、長崎市元船町) 西山交番(にしやま、長崎市西山2丁目) 矢上交番(やがみ、長崎市田中町)---旧矢上町交番、2005年名称変更、旧東長崎警察署に移転。 橘交番(たちばな、長崎市かき道3丁目)---旧矢上団地交番、2006年名称変更。 古賀町交番(こがまち、長崎市古賀町) 飽の浦交番(あくのうら、長崎市入船町) 淵交番(ふち、長崎市淵町3-23) 福田交番(ふくだ、長崎市大浜町1605-3) 警備派出所
警備艇
廃止された交番・駐在所 ( )は読み、所在地だった場所。---は廃止後に所管区が移された交番・駐在所を表す。
2006年 (平成18年) 湊公園交番(みなとこうえん、長崎市新地町7番10号)---丸山町交番 浜町交番(はまのまち、長崎市浜町7番10号)---同上 宝町交番(たからまち、長崎市宝町10番12号)---長崎駅前交番 中島川公園交番(なかしまがわ、長崎市魚の町9番1号)---立山交番 新大工町交番(しんだいくまち、長崎市新大工町1番16号)---同上 愛宕交番(あたご、長崎市愛宕2丁目10番25号)---田上交番 茂木町警察官駐在所(もぎまち、長崎市茂木町76番地6)---同上 中央橋交番(ちゅうおうばし、長崎市江戸町10番6号)---元船町交番 浜平町警察官駐在所 (はまひらまち、長崎市浜平1丁目17番1号)---西山交番 戸石町警察官駐在所(といしまち、長崎市戸石町678番地12)---橘交番 2008年 (平成20年) 日見交番(ひみ、長崎市界2丁目1番21号)---矢上交番 脚注 関連項目 外部リンク
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