長崎港(ながさきこう)は、長崎県長崎市に位置する港湾。港湾管理者は長崎県。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。
長崎港 | |
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所在地 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長崎県長崎市 |
座標 | 北緯32度44分40.2秒 東経129度51分59.7秒 / 北緯32.744500度 東経129.866583度 東経129度51分59.7秒 / 北緯32.744500度 東経129.866583度 |
詳細 | |
開港 | 1571年 |
管理者 | 長崎県 |
種類 | 重要港湾、特定港 |
主要輸出品 | 産業機械 |
主要輸入品 | 液化天然ガス |
統計 | |
統計年度 | 2006 |
貨物取扱量 | 2,935,000トン |
旅客数 | 1,185,000人 |
公式サイト | 長崎港公式HP |
港を上空から見ると、鶴が羽を広げたような形に見えることから「鶴の港」とも呼ばれる。江戸時代は「鎖国」体制の下にあって江戸幕府が西洋(オランダ)・中国向けに唯一公認した国際貿易港として栄え(長崎貿易)、明治以降は上海への航路の発地として貿易や旅客の行き来が盛んになった。
現在では、港町・長崎の玄関口として、また離島の多い長崎県の交通の要衝であり港中心部の再開発も進んでいる。
一帯は2018年(平成30年)7月28日にみなとオアシスに登録していて、松が枝国際ターミナルビルを代表施設とするみなとオアシスNAGASAKIとして観光拠点ともなっている。松が枝国際観光船埠頭が、2011年度グッドデザイン賞受賞。また出島ハーバーはながさき・でじま海の駅として海の駅にも登録されている。
下記のデータは2006年時点のもの。
1923年(大正12年)、長崎・上海間に上海連絡船定期航路が開かれた。就航の第一船は日本郵船の貨客船「長崎丸」で、翌月には同型姉妹船「上海丸」が就航した。当時長崎 - 東京は汽車で36時間を要していたが、同航路は約26時間で連絡していた。
1930年(昭和5年)には長崎駅から出島岸壁に至る臨港線が完成し、長崎港駅が開設された。「下駄を履いて上海へ」と言われるほど、市民にとって上海は身近な存在だった。
1942年(昭和17年)、長崎丸が長崎港外で浮遊機雷に触れ沈没。翌年には上海丸も揚子江口で輸送船と衝突して沈没し、上海航路は幕を閉じた。
1994年(平成6年)にはハヤシマリンカンパニーと中国の合弁会社により戦後初めて復活し、1996年には貨客船からフェリー形の船舶に変更されたが1997年に利用客数の低迷により廃止された。
2012年(平成24年)2月29日にはHTBクルーズにより再度復活した。当初は暫定的に週2便の運航を行い、濃霧などによる遅れの場合、折り返し運転のための時間が必要な分取れないため、週1便の運航となる。2012年6月頃の改装後は一週間に複数便を運航する予定とした。その後尖閣諸島に端を発した日中関係の悪化により2012年10月13日で年内運航休止・2013年1月に無期限休止を発表し使用船は海外へリースされた。
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