鈴木 直人(すずき なおと、1900年(明治33年)5月19日 - 1957年(昭和32年)9月20日)は、日本の内務官僚、政治家。熊本県知事(官選第35代)、参議院議員(1期)、衆議院議員(2期)。
福島県相馬郡磯部村(現相馬市蒲庭)で鈴木佳衛の二男として生まれた。
旧制相馬中学、水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進み、1926年(大正15年)に同政治学科を卒業し、同年12月、高等試験行政科試験に合格した。東京市役所に入り、その後、内務省に転じ、警視庁警部、沖縄県特高課長、さらに山梨県、広島県の特高課長を歴任した。
その後、埼玉県、東京府の経済課長を経て、1939年(昭和14年)に石川県経済部長に昇進した。次いで広島県経済部長、山口県部長や内政部長を歴任した後、終戦前後には愛知県経済部長兼終戦処理局長の職にあった。戦後の1946年(昭和21年)、熊本県内務部長に就任、同県の桜井三郎知事が公選知事選出馬のため辞任したため、1947年(昭和22年)3月12日から3月25日まで約1ヶ月、選挙管理知事として熊本県知事になった。政府が官選から公選知事への切り替え期に、一度に44人の短命知事を作った時の1人である。熱塩加納村出身の遠藤直人が兵庫県知事になったのも、全くこれと同じケースであった。
1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙全国区に立候補して当選(6年議員)し、第2次吉田内閣逓信政務次官、緑風会幹事長、両院法規委員長を務めたほか、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和会議には議員代表として出席した。
1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で旧福島県第3区に自由党より出馬し、5万6000余票の最高点で当選。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙には出馬しなかったが、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で当選。1957年(昭和32年)9月20日、現職のまま病死した。57歳没。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)、正五位から正四位に叙される。地盤は斎藤邦吉が継承した。
田中角右衛門 | 捨吉 | 角次 | 角栄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正法 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
はな | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
眞紀子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雄一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鈴木佳衛 | 鈴木直人 | 直紀 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
真奈子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
真美子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
官職 | ||
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先代 桜井三郎 | 熊本県知事 官選第35代:1947年 | 次代 廃止 |
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