農書(のうしょ)とは、在来のものより進んだ耕作の技術あるいは農業経営の技術の普及または記録を目的として著された農業技術書。
農書は、農耕や牧畜が行われている地域であれば世界のどの地域でも著されたとみられる。東洋では中国で紀元前後から編纂されるようになり、西洋でも古代ローマ時代から農書は書かれている。
中国の農書の歴史は紀元前3世紀に著された『呂氏春秋』が最初とされている。『呂氏春秋』は呂不韋が抱える知識集団によって編纂され、十二紀、八覧、六論の26部で構成されており、六論中の「士容論」第三編の「上農」では農業政策、第四編の「任地」では土地利用の原則、第五編の「弁士」では土地改良の原則、第六編の「審時」では適時作業の原則について述べられている。
紀元前1世紀には『氾勝之書』が著されたが現存しておらず、後代の農書にある引用から、耕作の原則、十数種の農作物の耕作法、種子の選別法と保存法が記されていたとみられる。
その後、後漢の崔寔が歳時記型の農書である『四民月令』を著した。
540年頃には賈思勰の『斉民要術』全9巻が刊行され、内容は『呂氏春秋』の農本思想を受け継ぎ、第6巻までは『氾勝之書』の形式で各農産物ごとに乾地農法の技術を述べ、第7巻からはは『四民月令』に近い内容の生活の技術を述べている。
元代には中国最古の官撰農書『農桑輯要』が編纂された。1313年には王禎の『農書』が著され、総論の「農桑通訣」、各論の「百穀譜」、農具を図解した「農器図譜」からなるが、記述の5分の4は農器図譜で300を超える農具を収録している。
続く明代には、各地で郷紳層により一地方の農業を取り上げた著作が多く出されるようになり、『補農書』などに見られるように耕作技術のみならず農家経営の改善が志向された。その一方で、16世紀後半以降、中国に渡航してきた西洋人宣教師などとの交流を通じてヨーロッパの農業技術が紹介された。
明代末には徐光啓によって『農政全書』が著され(刊行は1639年)、屯田開墾,、大規模な水利土木,、備荒に重点を置いている。この書は日本に輸出され、元禄期以降の日本農書の盛行に多大な影響を及ぼした。また厳密な意味での農書とは言えないものの『天工開物』では、在来の農業技術の紹介によりその復興をはかろうとする、農政全書とは逆の問題意識が見られる。
中国の農書の特色は、言及する地域が黄河流域のちには長江流域に及ぶ広大な地域を対象にしていること、農本思想を背景にしていること、官撰農書が数回編纂されたこと、古来の農書からの引用が多いことなどが挙げられている。
日本最古の農書は17世紀前半に記された『清良記』巻七とされている。中世まで農書が現れなかったのは、生産が慣行として行われており、中世まで文字を読み書きできる人の数も稀少で、土地条件の異なる中国の農書を翻訳しても役には立たなかったためと考えられている。
農耕の技術の伝承を目的とする農書は17世紀末に出現し、18世紀に増え、19世紀前半にピークになり、後世になるほど特定の営農部門の技術に特化した専門農書の割合が大きくなった。
江戸時代に入るとまず、17世紀末頃から三河・遠江(百姓伝記)・会津(会津農書)・紀伊(地方の聞書)など、各地域での見聞や著者自身の経験による知識を記した農書が出現するようになった。
元禄期(1697年)に成立した宮崎安貞『農業全書』は、中国の農書『農政全書』を参考にしつつ、日本の農業技術を取り入れ、貝原益軒から学んだ内容も含めて記述された。木版印刷により日本で最初に公刊された農書となり、江戸時代を通じて広く普及した。
これ以後の農書は地域ごとの具体的事情を述べ農業全書の総合性・全体性を補う内容のものが多くなり、文化・文政期以降幕末にかけて刊行数はピークに達した。宮崎安貞と併せて後年「江戸時代の三大農学者」と称された大蔵永常・佐藤信淵が多くの農書を著したのもこの時期である。特に大蔵永常は、畿内を中心にした西日本の先進的技術を広く農民たちに啓蒙することに貢献し、『広益国産考』などにおいてハゼノキ・棉などの商品作物を栽培して農家経営を安定・向上させることを強く主張した。さらに幕末期には、当時、地方の農村に大きな影響力を持っていた平田派国学や陰陽説に依拠して農民(多くは豪農)が自分たちの経験的知識を体系づけようとした著作が現れるようになる。
ヨーロッパから輸入された近代農法(泰西農法)が体系化される明治時代でも、老農と称される篤農家たちの経験をまとめた農書が刊行され、民間ではなお強い影響力を維持した。また『日本経済叢書』『日本経済大典』『日本農書全集』など叢書類の刊行により古農書の発掘・集成も進められた。
日本の農書の特色は、言及する範囲が狭く地域性があること、基本的な農法(従来の農法)の転換をすすめるものではなく小農を単位とする土地生産性の向上のための技術の普及(個別技術の改良)を目的にしていること、どの階層の農家でも参考にできることが挙げられる。
朝鮮においても日本と同様、中国農書の影響は大きく、朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代以前には元代の官撰農書・農桑輯要が広く普及していた。中国農書の影響を脱し朝鮮独自の農法を体系化しようとする企てが開始されたのは朝鮮王朝前期の15世紀前半であり、時期的には日本よりも早い。このなかで世宗の命により編纂・刊行された『農事直説』が各地の農村に配付、これ以後の農書に大きな影響を及ぼした。
朝鮮王朝後期には、16世紀末の日本軍の侵入で多くが失われた農事直説の再普及をはかる動きなどを背景に、多くの農書が著された。これらの朝鮮農書の特徴は、ハングルによって書かれた『農家月令歌』(19世紀前半)を主要な例外として、大多数は漢文によるということである。19世紀後半には開化派系の人々により日本農書を翻案したものが現れた。
日本統治時代になると、日本農法の直輸入をはかる総督府の政策のもと、在来農法を記した古農書の研究は等閑視されたが、独立後の朝鮮民主主義人民共和国を中心に研究・現代語訳が進められている。
琉球王府時代には多くの農書が編集されたが、その流れはほぼ3大別され、第一は王府が農事指導のために布達した「農務帳」で、18世紀前半の『蔡温農務帳』を始めとして5種が現存している。第二は『農業之次第』など各地域ごとに特化した内容のもの、第三は個別作物の具体的な耕作方法を詳述した「手段書」(農務手段書 / てだんがき)である。これらの農書は近代以降『琉球農業全書』(1916年刊)・『琉球産業制度資料』(全10巻・1924年完成)などの叢書類に全文、あるいは一部引用の形で収録されているが、原書が存在しないものが多く、題名などの書誌情報についてもしばしば混乱がみられる。
ヨーロッパで最初の農書は古代ギリシアで成立したが、ヘシオドス『仕事と日』のような文学作品を除き現在では失われており、現存する最古の農書はローマ時代のものである。古代ローマの農書のうち特に完備しているのはウァロ・大カト・コルメラの著作であり、これらは当時の地中海世界で主流であった二圃式農法のラティフンディウムを扱っている。中世になり、特にアルプス以北で二圃式に代わって三圃式農法が広く行われるようになると、13世紀のイングランドで三圃式農法を勧める『Treatise of Husbandry』が書かれ、北ヨーロッパでは最初の農書となった。
続いて15世紀後半には世界最初の活版印刷による『農業園芸全書』がドイツで刊行された。また16世紀前半にイングランドで刊行されたフィッツハーバート『農業書』は、毛織物業の発展により牧羊が盛んになったことを背景に、従来麦のみを栽培していた農地に一定期間牧草を栽培する「レイ農法」について記述し、その後は栽培牧草について記述した農書が次々に刊行されるようになった。
ヨーロッパのうちイギリスは最も農書が著された国とされるが、18世紀から19世紀の農業革命期にイングランドで技術的側面の普及のために農書が必要とされていた。18世紀になってイギリスの農業革命が本格化すると、A・ヤング(1741 - 1820)を始めとして、多くの農学者たちが新しいノーフォーク式農法を理論化する農書を著すようになり、これが次世代のチューネンらによる近代農学の成立につながった。
イギリスの農書の特色は、農場を単位とする新農法の普及を目的としていること、地域の性格が技術に強く反映されるため言及する範囲が1州から数州であること、自らの営農経験をもつ人物によって書かれているが、大農場主または大農場の執事としての経験であり参考にするには同じ水準の農場経営者でならないことなどが挙げられる。
イスラーム世界の農書は、他の自然科学の著作と同様ヘレニズム文明の影響下で発達し、6世紀にはギリシア・ローマの農書のシリア語訳が進められ、10世紀初めには、最初のアラビア語農書である『ナバテア人の農業書』が成立、後代に大きな影響を与えた。この書を基礎にエジプトや東方イスラーム世界での経験が加味され、これらをまとめた『農書』(12世紀半ば)は初めてスペイン語訳された初のイスラーム農書となり、同時期のヨーロッパ農書に影響を与えた。
この地域における農書の特徴は、他の地域と異なって農民の実用に供するための書ではなく、「地方で農業の監督や徴税の任を担当する官吏に農学の体系的知識を提供することを主な目的」としており、執筆者も医者・詩人など知識人が中心であった。内容としては西洋古典古代の農書に加え、各地の農業事情、新たな商品作物として普及したサトウキビ・棉・稲などの栽培法などを加味している。
以下、各国の主要な農書の一覧とそれぞれについての簡略な解題を示す。カッコ内は編著者(撰者)・巻数・成立(刊行)年代の順。個々の著者・著作物に関する独立項目が存在する場合はそちらも参照すること。
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