17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1600年代 1610年代 1620年代 1630年代 1640年代 1650年代 1660年代 1670年代 1680年代 1690年代 |
この時代のヨーロッパでは小氷期による世界レベルでの寒冷化が原因で17世紀の危機と呼ばれる混乱が生じ、各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、イギリスでは清教徒革命と名誉革命が起きて議会政治が、フランスではルイ13世によって絶対王政が確立された。この混乱を免れたオランダは自由貿易により大いに栄えた。ロシア帝国の前身となるロシア・ツァーリ国は未だ西欧化を受けていなかったが、旧宗主国のモンゴル帝国の後継政権諸国を下しつつ東方に勢力を伸ばし、本格的にシベリアで世界最大の版図を築いた。東欧はポーランド・リトアニア共和国が未だ強勢を保ったが、ロシア・ツァーリ国はこの圧力を次第に跳ね返し、ウクライナを奪うことになる。やがてこの動きはスウェーデンとロシアの挟撃によって東欧が西欧とロシアの従属的な地位に転落していく流れを生む。
ヨーロッパから現在における北アメリカ大陸への永久移民が入植した。また、西インド諸島でのプランテーション経営に多くの労働力を必要としたことから、北アフリカ諸地域から黒人奴隷が盛んに連れて来られるようになった(奴隷貿易、三角貿易)。さらに、イギリス・オランダなどが東インド会社を設立するなど、ヨーロッパ諸国はアジア、新大陸である現南北米地域との間で交易を活発にした。
アジアでは西アジア(トルコ)のオスマン帝国、南アジア(インド)のムガル帝国と大帝国が繁栄し、後者では皇帝シャー・ジャハーンが文化を保護し、壮麗なタージ・マハルが建設された。だが、17世後半、オスマン帝国は第二次ウィーン包囲に失敗し、その後に続く大トルコ戦争でもヨーロッパ諸国に敗れ、1699年にカルロヴィッツ条約でヨーロッパ側の領土の大規模割譲を強いられた。一方、ムガル帝国は皇帝アウラングゼーブのもと、それまでの融和路線を事実上打破する形で厳格な宗教政策を取り帝国を統治しようとしたが、マラーターの英雄シヴァージーに幾度となく抵抗された。シヴァージーの死後、アウラングゼーブはデカン戦争で帝国の最大領土を実現したが、マラーター王国との泥沼の戦いに入り、諸地方の反乱が起きるなど帝国は分裂の傾向を隠せずにいた。
東アジアでは建州女直から出たヌルハチが女真系諸国を統一して後金を興し、次のホンタイジの代で北元を征服して国号を大清国(ダイチン・グルン)と改め、さらに次代の順治帝は内紛で自壊した明を接収して元の北帰以来続いていたモンゴル高原と中国本土の対立する一種の南北朝時代を解消した。大清国は17世紀後半には康熙帝の登場により最盛期を迎えた。日本では16世紀末の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康による江戸幕府が開かれ、第2代将軍秀忠の頃になると鎖国政策がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。
微分積分学と光学、万有引力などの諸法則・定理を発見したアイザック・ニュートン、望遠鏡を使用して月の表面に凸凹があることや木星に衛星があること、天の川が無数の星の集合であることなど天体に関する様々な発見により天文学に大きく貢献したガリレオ・ガリレイ、惑星の軌道が楕円であることなど天体の運行法則に関するケプラーの法則の提唱やルドルフ表を作り地動説のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示したヨハネス・ケプラーなど科学的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから科学革命と呼ばれている。 誰にでも検証可能な方法によって自説の正しさを証明するという、科学的方法が用いられるようになったのもこの時期からである。
ヨーロッパで15世紀から広がり始めた魔女狩りが、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけてピークを迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で極刑を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が処刑されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの植民地でも数は少ないが魔女狩りの例がある(セイラム魔女裁判など)。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 17世紀, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.