貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)とは、物語の類型の一種であり、折口学の用語の一つ。若い神や英雄が他郷をさまよいながら試練を克服した結果、尊い存在となるとする説話の一類型。貴種漂流譚(きしゅひょうりゅうたん)とも。折口信夫が一連の「日本文学の発生」をめぐる論考のなかで、日本における物語文学(小説)の原型として論じた概念である。その説くところは時期によって細部が異なるが、基本的には「幼神の流浪」をその中核に据える。折口は『丹後風土記逸文』の竹野郡奈具社の由来を引きつつ、天上の存在が地上(人間界)に下って、試練や流離の果てに再び天上の存在になる一定の筋があることを研究し、貴種流離譚の概念を確立した。
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神話学の1つの視点としてモノミスの理論がある。これは、すべての文明に見られる神話にはある種の基底構造があるとする仮説であり、ジョーゼフ・キャンベルは「千の顔を持つ英雄」モデルを提示している。この中でジョーゼフは、全ての神話上の英雄には基本的に同じパターン(ヒーローズ・ジャーニー)が見られるとする。もっとも、このモノミス理論は神話研究の主流派には認められているものではない。
神話的英雄の苦難の冒険の物語については、ギリシア神話や日本の神話にも例が見られ、「高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が、『忌子として捨てられた双子の弟』『王位継承を望まれない(あるいはできない)王子』などといった不幸の境遇に置かれ、しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」という話型を持つものがある。
これら神話をモチーフにしたさまざまな派生・創作作品についても、貴種流離譚と表現することがある。
大塚英志は著書『物語の体操』で、以下のように定義している。
贖罪タイプの作品とは、高貴な生まれの主人公が、罪を犯して放浪することになり、苦難に満ちた旅によって贖罪していく作品である。
不遇闊達タイプの作品とは、高貴な生まれの主人公が、楽園から追放されてさまよい試練の果てに名誉を回復していく作品である。
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