袴田事件

袴田事件(はかまたじけん)は、1966年(昭和41年)6月30日に日本の静岡県清水市横砂(現: 静岡市清水区横砂東町)の民家で味噌製造会社の専務一家4人が殺害されて集金袋が奪われ、この民家が放火された強盗殺人・放火事件の通称である。

袴田事件
事件現場の位置座標
場所 日本の旗 日本
静岡県清水市横砂651番地の1
(現: 静岡市清水区横砂東町)
座標
北緯35度02分40.79秒 東経138度30分14.429秒 / 北緯35.0446639度 東経138.50400806度 / 35.0446639; 138.50400806 東経138度30分14.429秒 / 北緯35.0446639度 東経138.50400806度 / 35.0446639; 138.50400806
日付 1966年昭和41年)6月30日
未明 (UTC+9)
概要 味噌製造会社専務の一家4人が殺害され、金品を奪われた上に住宅に放火された。同社の従業員だった袴田巌が犯人とされて死刑確定したが、冤罪の可能性が強く指摘されている。
死亡者 4人
被害者 味噌製造会社の専務男性A(当時41歳)ら一家4人
犯人 確定判決によると袴田巌とされるが、冤罪とみられる。
対処 静岡県警が袴田を逮捕し、静岡地検が起訴
刑事訴訟 袴田が犯人と認定され、死刑判決が確定したが、後に再審開始が確定
管轄
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被告人として起訴された袴田巌に対し、1980年昭和55年)に死刑の有罪判決確定したが、袴田は冤罪を主張しており、死刑確定後の1981年(昭和56年)から2度の再審請求を行った。

2014年平成26年)3月、第2次再審請求審で静岡地裁が再審開始と、袴田の死刑および拘置の執行停止を決定し、袴田は釈放された。その後、検察側が東京高裁即時抗告したところ、同高裁は2018年(平成30年)に再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を出したが、同決定を不服とした弁護側が特別抗告したところ、最高裁2020年(令和2年)12月に同決定を取り消し、審理を同高裁に差し戻す決定を出した。

差し戻し後の審理で、東京高裁は2023年(令和5年)3月に静岡地裁の再審開始決定を支持(同決定に対する検察側の即時抗告を棄却)する決定を出し、東京高検がそれに対する特別抗告を断念したため、死刑確定事件としては戦後5件目となる再審開始が確定した。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。

「袴田事件」という名称は1981年の再審請求後に広まった通称である。第2次再審請求で再審決定が出され、上記の強盗殺人事件の実行犯が袴田だとする判決が否定されており、報道などでは「袴田事件」の名称を使わなかったり、「通称・袴田事件」「いわゆる『袴田事件』」などの表記を用いる場合もある。

被害者・事件現場

事件で殺害された被害者は、男性A(当時41歳)と妻B(当時38歳)、次女C(当時17歳:静岡英和女学院2年生)、長男D(当時14歳:市立袖師中学校3年生)の一家4人である。

事件現場は、静岡県清水市横砂651番地の1(現在の静岡市清水区横砂東町:位置座標)に所在していた被害者A一家の住宅である。同宅は旧東海道に面した民家で、事件後に建て替えられた。その後、事件に巻き込まれずに生き残ったA・B夫婦の長女(C・D姉弟の姉)が暮らしていたが、事件から50年が経過した2016年6月時点では既に空き家になっている。一方、同宅に併設されていた土蔵は2023年3月時点でも残っており、その外壁には焦げ跡の黒い煤が残されている。

Aの父親(事件当時68歳)、もしくはその先代は大正時代に個人商店として「橋本藤作(Aの父親の実名)商店」を創業し、事件当時はAの父親が社長を務め、同社を合資会社としていた。同社は当時、38人ないし37人の従業員を抱え、Aの父親が社長を、長男であるAが専務を務め、味噌(商品名は「こがね味噌」)・醤油の製造・販売を行っていた。なお、Aの父親は事件後も不自由な体で会社の再建に尽くしてきたが、事件の後処理に追われた過労で体調を崩し、同年9月6日に脳溢血のため、68歳で死亡している。また、「橋本藤作商店」は事件後に吸収合併されて商号を「株式会社王こがね」に変更し、Aの長女が社長に就任した。

「橋本藤作商店」が製造していた「こがね味噌」は事件当時、関東東海地方に知られ、年産約1,200トンで、静岡県では第3位であった。同社の味噌・醤油の年間取引額は1億円を超えており、経営は順調であった。Aが経営していた味噌工場は、A宅から東海道本線の線路を挟んで南に約30メートルほどの場所に建っており、袴田は事件当時、工場2階の寮に住んでいた。工場は事件後しばらくして閉鎖され、跡地は2004年(平成16年)から遡って約20年前に宅地分譲された。

経過

  • 1966年(昭和41年)
    • 6月30日 - 2時10分ごろに現場の住宅から出火し、全焼。両隣の住宅もそれぞれ一部が焼けた。焼跡からA・B・C・Dの計4人が他殺死体となって発見される。事件当時、Aの父親はリウマチのため清水市内の厚生病院に入院しており、また彼の妻(Aの母親:当時61歳)と家事を手伝っていたAの長女(当時19歳)はそれぞれ工場横の隠居部屋で寝ていたため、難を逃れている。静岡県警察の所轄警察署である清水警察署が調べたところ、4人の遺体にはいずれも刺し傷があり、前日に集金された現金約50万円のうち37万円が発見されなかった。また現場からは凶器の一部と思われる短刀の鞘らしきものが発見されたため、同署は強盗殺人放火事件と断定して捜査本部を設置、県警本部捜査一課とともに捜査を開始した。確定判決によれば、凶器は刃渡り12 cmのくり小刀のみとされている。
    • 7月4日 - 清水署が、味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時同社の従業員であった元プロボクサー袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。袴田が捜査線上に浮かんだ理由は、巨漢で柔道の有段者である専務と格闘できた人間として、元ボクサーである袴田の名が浮上したとされている。
    • 8月18日 - 清水署の特捜本部が、袴田を一家4人殺害事件の被疑者として逮捕。逮捕容疑には強盗殺人放火に加え、前年の1965年(昭和40年)8月ごろから4回にわたって工場の製品である4 kg入り味噌1樽や500 g入りの金山寺味噌45袋(計2,695円相当)を盗み、清水市内の旅館に売っていたとする窃盗の余罪も含まれている。
    • 8月19日 - 取調べ(3回 計10時間30分)
    • 8月20日 - 取調べ(3回 計7時間23分)同日午後、特捜本部は袴田を殺人、放火、窃盗容疑で静岡地方検察庁送検した。
    • 8月21日 - 取調べ(2回 計6時間5分)
    • 8月22日 - 取調べ(6回 計12時間)
    • 8月23日 - 取調べ(3回 計12時間50分)
    • 8月24日 - 取調べ(3回 計12時間7分)
    • 8月25日 - 取調べ(4回 計12時間7分)
    • 8月26日 - 取調べ(3回 計12時間26分)
    • 8月27日 - 取調べ(3回 計13時間17分)
    • 8月28日 - 取調べ(3回 計12時間32分)
    • 8月29日 - 取調べ(5回 計7時間19分)
    • 8月30日 - 取調べ(4回 計12時間47分)
    • 8月31日 - 取調べ(3回 計13時間18分)
    • 9月1日 - 取調べ(3回 計13時間18分)
    • 9月2日 - 取調べ(4回 計9時間15分)
    • 9月3日 - 取調べ(2回 計9時間50分)
    • 9月4日 - 取調べ(3回 計16時間20分)
    • 9月5日 - 取調べ(3回 計12時間50分)
    • 9月6日 - 取調べ(3回 計14時間40分)。犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前の同日、犯行を自白。自供内容は、前日(6月29日)夕方に犯行を決意して従業員寮で時間を待ち、30日1時20分ごろ、パジャマの上に工場内の雨合羽を着て、工場から見て東海道線の向こうにあったA宅に侵入したが、寝ていたAに気づかれて大声を出されたため、格闘の末に持っていたくり小刀で刺殺した。その後、Aの大声で目を覚ましたB・C・Dも相次いで殺害し、「焼いてしまえば跡が残らない」と考え、1人1人に油をかけた上でマッチを使って点火した――というものである。
    • 9月9日 - 静岡地検は拘置期限となる同日、袴田を住居侵入、強盗殺人、放火の罪で静岡地方裁判所起訴。ただし、窃盗の余罪については不起訴処分とした。
    • 11月15日 - 静岡地裁で開かれた第一審の初公判で、袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
  • 1967年(昭和42年)
    • 8月31日 - 味噌製造工場にある味噌の1号タンク内から、従業員が血染めの「5点の衣類」を発見。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月9日 - 第29回公判で、静岡地検検事の岩成重義が袴田に死刑を求刑する。
    • 5月23日 - 第31回公判で袴田の弁護人による最終弁論。岡村鶴夫・斎藤準之助の両弁護人が自白の信用性・任意性・真実性を否定する旨の弁論を行い、無罪を主張。
    • 9月11日 - 静岡地裁(石見勝四裁判長)が袴田に死刑判決を宣告。ただし、自白調書45通については1通を除き、任意性を否定し、証拠として採用しなかった。同判決によれば、盗まれた被害品は売上金20万4,000円余と、小切手5枚(額面:63,970円)などである。裁判長は石見勝四、右陪席裁判官は高井吉夫、左陪席裁判官は熊本典道。熊本は袴田が無罪との心証を抱き、無罪判決を書いて裁判官3人による合議に臨んだが、石見ら2人を説得できず、2対1で有罪(死刑)の結論が出たため、不本意ながら死刑判決を書いた。熊本はほか2人の死後、評議の秘密に反してこの出来事を明らかにしている。袴田は同日夕方、弁護人を通じて東京高等裁判所控訴した。
  • 1976年(昭和51年)
    • 5月18日 - 東京高裁第2刑事部(横川敏雄裁判長)が袴田の控訴を棄却する判決を宣告。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1981年(昭和56年)
    • 4月20日 - 袴田の弁護団が、静岡地裁に第1次再審請求を申し立てる。弁護団(「日弁連袴田事件弁護団」)は1994年8月時点で、団長を伊藤和夫が務め、地元の弁護団と日弁連人権擁護委員会の16人で構成されていた。
  • 1984年(昭和59年)
    • 11月17日 - 静岡地裁、静岡地検、弁護団による第1回三者協議が開かれる。
  • 1991年平成3年)
    • 10月 - 戦後日本で初の死刑囚再審無罪事件である「免田事件」で弁護人を務めた経験を有する弁護士の安倍治夫が弁護団に加わる。ボクシング関係者から安倍を紹介された袴田の姉が弁護を依頼したことがきっかけである。
  • 1992年平成4年)
    • 3月 - 安倍が「被害者の傷はくり小刀ではない」という鑑定書を第10回三者協議に提出しようとしたところ、弁護団から「内容が不十分」と反対され、後に安倍が弁護団から脱退する布石となる。安倍は「可能性のある限り、考えうる証拠は積極的に出すべきだ」と考え、東京の支援団体「袴田巌さんを救う会」とともに新証拠の発掘を進めていたが、弁護団は「再審請求に誤りは許されない」として確実な証拠のみを出す姿勢でいたため、足並みが揃わなかった。安倍は弁護団の姿勢を「10年以上も再審開始の進展がないのは、弁護団の怠慢。旧証拠を蒸し返しているだけだ」と批判した一方、弁護団事務局長を務めていた小倉博は当初、島田事件の再審活動と時期が重なったことから本事件の弁護活動が出遅れたことを認めた上で、「弁護団の分裂が決定に悪影響を与えないとは言えない。あえて足並みを乱す言動には弁護士のモラルを疑う」と安倍を強く批判していた。
    • 6月3日 - 安倍が弁護団から脱退し、弁護団は事実上分裂状態になる。安倍はその後も独自の弁護活動を展開したが、脱退後に静岡地裁に提出した意見書には弁護団批判も展開されていたことから、これに反発した弁護団は安倍意見書を再審開始決定の判断材料にしないよう同地裁に申し入れている。
  • 1993年(平成5年)
    • 5月26日 - 第14回三者協議が行われ、三者協議が終了。
    • 10月22日 - 検察側が最終意見書を提出。
    • 10月27日 - 弁護団が最終意見書を提出。
  • 1994年(平成6年)
    • 8月8日 - 静岡地裁刑事第1部(鈴木勝利裁判長)が袴田の再審請求を棄却する決定。決定内容は翌9日、弁護団・検察側の双方、そして獄中の袴田に伝えられた。
    • 8月12日 - 袴田側が即時抗告。
  • 2004年(平成16年)
    • 8月26日 - 東京高裁(安広文夫裁判長)が即時抗告を棄却する決定。
    • 9月1日 - 弁護側が最高裁に特別抗告。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月24日 - 最高裁第二小法廷(今井功裁判長)が特別抗告を棄却する決定を出し、第一次再審請求は棄却が確定。
    • 4月25日 - 袴田の姉が請求人となり、静岡地裁に第2次再審請求を行う。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月20日 - 衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会を開催。
    • 8月24日 - 袴田巌死刑囚救援議員連盟が「袴田死刑囚は心神喪失状態にある」として、千葉景子法務大臣に刑の執行停止を要請した。
  • 2011年(平成23年)
    • 1月27日 - 日本弁護士連合会が、妄想性障害等を理由として、刑の執行停止と医療機関での治療を受けさせるよう法務省に要請した。
    • 2月11日 - 千葉景子法務大臣の指示の下、法務省は袴田を含む複数の死刑囚を対象に精神鑑定などを実施したが、袴田については「執行停止の必要性は認められない」との結論に達していたことが明らかになった。
    • 8月 - 第二次再審請求審において、静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、衣類5点の再鑑定を決定。
  • 2014年(平成26年)
    • 3月27日 - 静岡地裁刑事第1部(村山浩昭裁判長)が再審開始と、袴田の死刑及び拘置の執行停止を決定。袴田は同日午後に東京拘置所から釈放された。静岡地検は東京高裁に拘置停止について抗告を申し立てるが、高裁は28日、拘置停止決定を支持し抗告を棄却。31日、静岡地検が再審開始を認めた静岡地裁の決定を不服として即時抗告。
    • 3月28日 - 18時ごろ、生き残っていた被害者一家の長女が亡くなっているのが自宅で発見された(満67歳没)。長女は事件後、現場跡地に建つ住宅で暮らしていたが、4、5年前に夫が病死してからは1人暮らししており、家族が度々様子を見に来ていた。また死亡が確認される直前は体調を崩しており、外出することは少なかった一方、味噌製造会社の元従業員によれば、晩年は精神的に不安定な様子だったという。彼女は生前、『朝日新聞』の取材に対し「もし袴田さんが無罪なら、一日も早く真犯人が見つからないと仏様は浮かばれない」と話していた一方、『読売新聞』の取材に対しては「もう昔のことです。もう何も知らない。私には関係ないわよ」と語っている。また、同月20日に『毎日新聞』の取材を受けた際には「裁判はもう終わった。話すことはありません」と話していた。
    • 8月5日 - 抗告審理で、弁護士側の証拠開示要求に対して、静岡地検が一審当時から「存在しない」と主張し続けて来た、袴田有罪の証拠「5点の衣類の写真」のネガフィルムが、実際には静岡県警で保管されていた事が判明。
  • 2018年(平成30年)
    • 6月11日 - 即時抗告審で、東京高裁(大島隆明裁判長)は原決定(静岡地裁決定)を取り消し、再審請求を棄却する決定を出す。ただし、袴田の死刑および拘置の執行停止は維持した。
    • 6月18日 - 弁護側が特別抗告。
  • 2020年令和2年)
    • 12月22日 - 最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)が、再審請求を棄却した東京高裁決定には審理を尽くさなかった違法があるとしてこれを取り消し、高裁に審理を差し戻した。合議体を形成する裁判官5名のうち林景一宇賀克也は、新証拠は再審を開始すべき合理的な疑いを生じさせるものであることは明らかでその判断のためだけにこれ以上の時間をかけるべきでないとし、高裁決定を取り消した上で最高裁自ら再審開始決定を行うべきとする反対意見を述べた。その後、審理は東京高裁第2刑事部で審理されることとなった。同刑事部には最高裁調査官として特別抗告審に携わった中尾佳久(2020年4月1日付で同部に異動)が所属していたが、彼は担当から外れた。
  • 2021年(令和3年)
    • 3月22日 - 差し戻し審で三者協議が開始される。
    • 11月1日 - 弁護団が、味噌漬けにされた衣服から血痕の赤みが消失するメカニズムを科学的に示した鑑定書を東京高裁に提出。
  • 2022年(令和4年)
    • 4月 - 再審請求人および袴田の保佐人である袴田の姉(当時89歳)が高齢であることを考慮し、弁護団所属の弁護士1人が東京家裁により、2人目の保佐人として追加で選任される。この弁護士(村松奈緒美)はその後、2人目の再審請求人としても選任されている。
    • 7月から8月にかけ、東京高裁が鑑定人ら専門家5人の証人尋問を実施。
    • 11月1日 - 東京高裁の裁判長らが静岡地検を訪れ、東京高検が約1年2か月間続けていた「味噌漬け実験」の確認作業に立ち会う。
    • 12月2日 - 袴田の弁護団と東京高検が、それぞれ最終意見書を提出する。
    • 12月5日 - 袴田が東京高裁の大善文男裁判長ら担当裁判官3人と面会、袴田の姉が意見陳述する。再審請求審で袴田が担当裁判官と面会するのは、第1次再審請求審を含めて初めてだった。
  • 2023年(令和5年)
    • 3月13日 - 東京高裁(大善文男裁判長)は「衣類のほかに袴田を犯人と認定できる証拠はなく、確定判決の認定に合理的な疑いが生じることは明らか」として、再審開始を認める決定(原決定である静岡地裁決定に対する検察官の即時抗告を棄却する決定)を行った。
    • 3月20日 - 同日が特別抗告期限だったが、東京高検は特別抗告を断念することを決める。これにより、翌21日付で袴田の再審開始が確定した。死刑囚に対する再審開始決定が確定した事例は、島田事件(1987年に再審開始が確定)以来36年ぶり、5事件目であり、過去の4事件(免田事件財田川事件松山事件・島田事件)ではいずれも、死刑囚の無罪が再審で確定している。

被告人の現況

袴田は30歳で逮捕されて以来、2014年3月27日まで45年以上にわたり東京拘置所に収監拘束された(これは「世界最長収監」としてギネス世界記録に一時認定されていた)。

死刑確定後は、精神に異常を来たし始め、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。その後は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題についてはまったくコミュニケーションが取れなくなっていた。このため、2009年3月2日より、袴田の姉が保佐人となっている。

袴田は近年、獄中にて拘禁反応に加えて糖尿病も患っていることが判明している。なお、2014年3月27日の釈放後、袴田は東京都内の病院に入院していた際、拘禁反応については回復の傾向があり、糖尿病も深刻な状況ではないと診断された。同年5月27日、48年ぶりに故郷の静岡県浜松市に帰り、市内の病院に転院した。2020年時点、姉と暮らしている。

裁判の主な争点

自白の任意性・信用性

自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるものなどの理由で任意性を認めず証拠から排除したが、そのうちの2通の調書と、同日に取られ唯一証拠採用された検察官調書には任意性があるのかなど。「自白法則」を参照。

また「自白」によれば犯行着衣はパジャマだったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」については自白ではまったく触れられていない点など信用性にも疑義が呈されている。

凶器と犯行時の行動

凶器とされている、くり小刀で犯行は可能か。

逃走ルートとされた、留め金のかかったままの裏木戸からの逃走は可能か。また、可能だとして警察の示した写真が捏造されたものかどうか。

「5点の衣類」

犯行着衣とされた「5点の衣類」は犯人である証拠か、警察などによる捏造かも大きな争点である。衣類には袴田と同じB型の血液が検出されたことが、1968年の静岡地裁による死刑判決で理由に挙げられた。

弁護側は「サイズから見て被告人の着用は不可能」、検察は「1年間近く、味噌づけになってサイズが縮んだ」と主張している。2011年2月、弁護側により、ズボンについていたタグのアルファベットコードはサイズではなく色を示しているとして、警察が誤認もしくは故意に事実を無視した疑いが指摘された。

袴田の実家を家宅捜査した際に、犯行着衣と同じ共布を発見。これが犯行を裏付ける証拠として採用された。2010年9月に検察が一部開示した証拠を弁護側が検証したところ、共布発見の8日前と6日後の2度にわたり、捜査員がズボン製造元から同じ生地のサンプルを入手していたことが判明。弁護側はこの不自然な行動に「実家からの発見」を捏造した可能性があるとして2枚のサンプルの開示を要求、「検察側が示せないなら捏造の根拠になる」と主張している。

取り調べ

袴田への取り調べは過酷を極め、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取り調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせるなどした。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせるなどして一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限が迫ると取り調べはさらに過酷になり、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事たちも当初は3、4人だったのが、のちに10人近くになっている。

これらの違法行為については、静岡県警で次々と冤罪を作り上げたことで知られる紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。事件当時、袴田を取り調べた清水署刑事課の元警部補(2016年6月時点で89歳、静岡県藤枝市在住)は『中日新聞』記者である山田雄之の取材に対し「認知症を患い、責任を持って話せない」と、県警捜査一課の警部補だった男性(同月時点で95歳、静岡市在住)も「もう殆ど覚えていない」と、それぞれ話している。

再審請求

袴田は1980年に死刑判決が確定したが、翌年の1981年 弁護人は再審を請求した。しかし、第一次再審請求は退けられた。

第二次再審請求について

袴田は2008年4月に、2回目の再審請求をしている。その後、足利事件布川事件などにおいて、かねてから冤罪が疑われていた判決確定後の裁判に対し、再審が認められて立て続けに冤罪が確定した。これを機に、国民の冤罪に対する関心は高まり、検察は2013年3月、4月、7月と続いて当時の一部の証拠を開示した。また、同年11月には、事件当時、袴田の同僚が袴田のアリバイを供述していたにもかかわらず、検察は袴田が犯人であるかのような供述に捏造していた事実が発覚した。加えて12月には被害者が当時着用していた5点の衣類に付着している血液が袴田のものではない可能性があるとのDNA鑑定結果を弁護側が提出した。これらは裁判が開始して以来最大の変動でもあり、「重大な証拠」として再審が認められる可能性を大きく持った。2013年12月に、メディアでは「2014年の春ごろには再審の可否判断がされるだろう」との予想が新聞各紙にわたって掲載、同時に各ニュース番組でも報道された。

2014年3月27日、静岡地裁(刑事第1部、村山浩昭裁判長・大村陽一裁判官・満田智彦裁判官)で再審が認められ、さらに死刑と拘置の執行の停止を決定、袴田は釈放された。2014年3月31日 静岡地検は東京高裁に即時抗告した 。

2018年6月11日、東京高裁(大島隆明裁判長)は静岡地裁の決定に対し「地裁が認めたDNA鑑定の結果には科学的疑問が存在し、証拠として信用できない」として再審請求を棄却。弁護側は最高裁に特別抗告し、再審開始の判断は最高裁に委ねられることとなった。なお、死刑と拘置の執行停止については「袴田の年齢や生活状況などを鑑み、釈放の取り消しが相当とは言いがたい」として維持している。

2020年12月23日、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は前述の東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定を出した。 このうち、2名が「原決定を取り消した上,本件を東京高等裁判所に差し戻すのではなく,検察官の即時抗告を棄却して再審を開始すべきであると考える。」、「単にメイラード反応の影響等について審理するためだけに原裁判所に差し戻して更に時間をかけることになる多数意見には反対せざるを得ないのである。」と反対意見を出した。

2023年3月13日、東京高裁(大善文男裁判長)は検察の即時抗告を棄却し、弁護側の再審開始を認める判決を下した。その後、同月20日の最高裁への特別抗告の期限までに検察が申立を断念したため、再審開始が確実となった。

検察側の証拠捏造疑惑について

第2次請求審では、犯人が着ていたとされたシャツについた血液のDNA型が袴田元被告と一致しないとの鑑定結果が出た。村山裁判長は決定理由で、DNA鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する」と評価。事件の約1年後に発見され、有罪の最有力証拠とされたシャツなどの衣類について「捜査機関によって捏造された疑いのある証拠によって有罪とされ、死刑の恐怖の下で拘束されてきた」と指摘した。

毎日新聞』の荒木涼子記者は、このことに加え、以下のような検察側の証拠捏造の疑惑を示唆した。1970年代にあった控訴審での着用実験で、(使用していたとされる)ズボンが袴田には細すぎて履くことができなかった。だが、検察側は「タグの『B』の文字は84センチの『B4』サイズの意」などと言い張り、確定判決でもその通り認定された。しかし、これは捏造とも言える主張だった。「B」についてズボン製造業者が「色を示す」と説明した調書の存在が、今回の証拠開示で明らかになった。

裁判の問題点や批判

最高検察庁の検事として袴田事件の審理を担当した竹村照雄は、地検に眠っている証拠を「もう一回分析することはしなかった。その前の段階で有罪だと思っているから、改めて無罪のこと(証拠)をほじくることはない」と述べた。証拠の全体像を知るのは検察側だけで、何を裁判に出すかは検察の裁量に任されており、今の裁判員制度が始まる前の制度では、検事、検察官は、被告人を有罪するのに最も適切な証拠だけ出せばよく、それ以外の証拠は一切見せなくていい、という問題点が指摘されている。

NHK解説委員の橋本淳は「(死刑判決を書いた裁判官の)熊本さんは7年前、守秘義務を破って異例の告白をしました。この中では、警察の厳しい取り調べで、袴田さんがうその自白を強いられたと見ていたこと、無罪にしようとしたが、ほかの裁判官を説得できず、心ならずも死刑判決を書いたことを明らかにしました」と指摘した。

週刊現代』は、袴田事件裁判にかかわった裁判官・刑事・検事を実名で挙げ、その裁判の不当さを批判した。「裁判所が警察・検察とグルになって、袴田さんを殺人犯に仕立て上げた構図が浮かび上がる」と表現している。

2018年の東京高裁の再審請求を棄却したことについて、葛野尋之一橋大学法学部教授は「東京高裁は、有罪判決に合理的な疑いが残るかどうかを判断すべきなのに、再審請求で出された「新証拠」の個々の信用性を検討しており、問題がある」とした。

再審公判

支援の動き

  • 1979年 - ルポライターの高杉晋吾が、事件の冤罪性を指摘した記事を『現代の眼』に掲載し、死刑確定後に支援組織「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」(現「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巖さんを救う会」)を設立する。
  • 1981年11月13日 日本弁護士連合会(日弁連)が人権擁護委員会内に「袴田事件委員会」を設置する。
  • 1991年3月11日 - 日本プロボクシング協会(JPBA)の原田政彦会長(=ファイティング原田)が、後楽園ホールのリング上から再審開始を訴え、袴田支援を正式に表明する。
  • 2006年5月 - 東日本ボクシング協会が会長輪島功一を委員長、理事新田渉世を実行委員長とする「袴田巌再審支援委員会」を設立する。同委員会はボクシングの試合会場(後楽園ホールなど)で袴田の親族、弁護団所属の弁護士や救援会関係者らとともにリング上から早期再審開始を訴えたほか、東京拘置所への面会やボクシング雑誌の差入れなどを行った。
  • 2006年11月20日 - 輪島を始め5名の元ボクシング世界チャンピオンらが、早期再審開始を訴える約500筆の要請書を最高裁に提出する。
  • 2007年2月 - 一審静岡地裁で死刑判決に関わった熊本典道が、「彼は無罪だと確信したが裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった(下級裁判所合議審では各裁判官の個別意見を書くことは認められず、判決文は形式上、全会一致の体裁で作成しなければならない)。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」と告白。袴田の姉に謝罪し再審請求支援を表明する。なお、熊本がこれらの告白を行ったのは、熊本に死刑判決の判決文の作成を指示した当時の裁判長ともう一人の陪席判事が死亡した後であった。また、熊本自身は判決言い渡しの7ヵ月後、良心の呵責に耐えかねて裁判官を辞職し、弁護士に転職した旨を語っている。
  • 2007年6月25日 - 熊本が袴田の再審を求める上申書を最高裁に提出。
  • 2008年1月24日 - JPBA、後楽園ホールで支援チャリティーイベント「Free Hakamada Now!」を開催。日本ボクシングコミッションが袴田に対し名誉ライセンスを贈呈する。
  • 2008年 - 人権団体「拷問の廃止を目指して行動するキリスト者」(ACAF、Aktion der Christen fuer die Abschaffung der Folter)が、袴田のための署名活動を国際的に展開する。また死刑制度そのものに反対するアムネスティ・インターナショナルも釈放を求めている。袴田がカトリック教会志村辰弥神父の洗礼を獄中で受けたために、日本ではカトリック教会の司教などが、再審の署名集めに尽力してきた。
  • 2011年1月27日 - 日弁連は江田五月法相に対して袴田が長年の拘禁で妄想性障害にあり、刑の執行停止が認められる心神喪失の状態だと判断し刑の執行停止と、精神疾患の治療を指示するよう勧告した。
  • 2011年3月10日 - 袴田が「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録に認定された。認定期間は、第一審の静岡地裁で死刑判決を受けた1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。死刑確定後の拘置期間としてはマルヨ無線事件名張毒ぶどう酒事件ピアノ騒音殺人事件の死刑囚の方が長いが、第一審の死刑判決から「死刑囚として拘束」され続けているとして、袴田が最長と認定された。
  • 2012年5月19日 - JPBA、後楽園ホールのリングサイドに袴田の早期再審開始と釈放を祈り「袴田シート」2席を設置。この日は「ボクシングの日」でもある。
  • 2014年1月 - 世界ボクシング評議会名誉王座を認定し、釈放された場合はチャンピオンベルトを授けることを決定。14日、静岡地裁に7万4千筆、静岡地検に4万2千筆の、速やかな再審開始を求める署名(ビタリ・クリチコも賛同)が提出され、八重樫東も立ち会う。
  • 2014年4月 - 週刊現代が当時の捜査関係者(捜査員、検察官)と、死刑判決に関与した裁判官全員の実名を公表。依願退官した熊本以外の全員が功成り名遂げ、叙勲された者もいる。3日、NHKテレビ『クローズアップ現代』が静岡県警・静岡地検による袴田有利な証拠の隠蔽・捏造問題を採り上げる。木谷明が解説。

袴田巌死刑囚救援議員連盟

国会では、衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が発足し、2010年4月20日に設立総会を開いた。民主党自由民主党公明党国民新党社会民主党新党大地日本共産党みんなの党、等に所属する議員が発起人となり、総勢57名の超党派議員が参加、代表には牧野聖修・民主党衆議院議員、事務局長には鈴木宗男・新党大地衆議院議員が就任した。同議員連盟発足について牧野は「足利事件で無罪が明らかになるなど冤罪への関心が高まっており、袴田さんの冤罪を信じる議員が集まった。今後は法務大臣に死刑執行の停止や一刻も早い再審の開始を求めたい」と述べている。同議員連盟は、設立総会において、冤罪の可能性とともに、死刑執行への恐怖が長期間続いたため袴田は精神が不安定になっていることなどを指摘し、今後、法務大臣の職権による死刑執行の停止や、医療などの処遇改善を求めることを決めている。 同議員連盟代表の牧野は、強い拘禁反応によって心神喪失状態にある袴田に対し刑事訴訟法479条(死刑執行の停止: 死刑を言い渡されたものが心神喪失にあるときは、法務大臣に命令によって執行を停止することができる)に基づき、法務大臣に対し職務権限による死刑の停止と、速やかに適切な治療を求めるとともに、再審の道を開くべく追求することを表明している。また、担当弁護士は、国際法規に照らしても拘禁反応や糖尿病を放置している状況は人権侵害だと述べている。 また同議員連盟で、弁護団から、死刑確定後30年近く経過している現状は拷問等禁止条約などに違反している疑いがあるため、日弁連に対し人権救済の申し立てを行なった、などの報告があった。

その後鈴木が失職、牧野が落選し、他の参加議員にも変動があったため、2014年3月、袴田の再審決定・釈放を前に50人の超党派の国会議員が再結集し、議員連盟を再構築した。役員は以下の通り 。

漫画

『スプリット・デシジョン ―袴田巌 の元プロボクサー―』が2019年2月からネット配信。題名は、熊本典道が無罪の心証を持ったにも拘らず有罪判決が全員一致の形で出てしまった静岡地裁判決にちなむ(判定#プロ格闘技)。作者は元プロボクサーで漫画家の森重水。日本プロボクシング協会の支援委員会が製作。また、姉の支援活動を描いた「デコちゃんが行く ―袴田ひで子物語―」が袴田さん支援クラブの猪野待子代表の自費出版で2020年5月に刊行。

本事件が特集された番組

  • 『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー』(2020年9月21日、テレビ東京
  • ETV特集『雪冤(せつえん)〜ひで子と早智子の歳月〜』(2020年7月18日、NHK Eテレ

ギネス認定

袴田は、「世界で最も長く収監されている死刑囚」として、75歳の誕生日である2011年3月10日付でギネス世界記録で認定されたが、2014年現在は取り消されている。認定の対象期間は、静岡地裁で死刑判決を受けた一審判決の1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。

脚注

注釈

出典

参考文献

書籍

裁判資料

  • 第2次再審請求に対する再審開始決定 - 静岡地方裁判所刑事第1部決定 2014年(平成26年)3月27日 、平成20年(た)第1号、『A 再審請求事件決定』。
    • 決定主文:本件について再審を開始する。有罪の言渡を受けた者に対する死刑及び拘置の執行を停止する。
    • 裁判官:村山浩昭(裁判長)・大村陽一・満田智彦
    • (原文)” (PDF). 袴田さん支援クラブ. 2020年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月11日閲覧。
  • 第2次再審請求審における差戻即時抗告審決定 - 東京高等裁判所第8刑事部決定 2018年(平成30年)6月11日 、平成26年(く)第193号、『再審開始決定に対する即時抗告申立事件』。
    • 決定主文:原決定を取り消す。本件再審請求を棄却する。
    • 裁判官:大島隆明(裁判長)・菊池則明・林欣寛
  • 第2次再審請求審における特別抗告審決定 - 最高裁判所第三小法廷決定 2020年(令和2年)12月22日 集刑 第328号67頁、平成30年(し)第332号、『再審開始決定に対する即時抗告の決定に対する特別抗告事件』「再審請求を棄却した原決定に審理不尽の違法があるとされた事例」。
    • 決定主文:原決定を取り消す。本件を東京高等裁判所に差し戻す。
    • 最高裁判所裁判官林道晴(裁判長)・戸倉三郎林景一宮崎裕子宇賀克也
    • 備考:林・宇賀は原決定を取り消し、検察官の即時抗告を棄却して再審を開始すべきとする反対意見を述べている。また戸倉・宮崎による補足意見がある。
  • 第2次再審請求審における差戻即時抗告審決定 - 東京高等裁判所第2刑事部決定 2023年(令和5年)3月13日 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25594670、令和3年(く)第14号、『再審開始決定に対する即時抗告申立事件』。
    • 決定主文:本件即時抗告を棄却する。
    • 裁判官:大善文男(裁判長)・青沼潔・仁藤佳海

関連項目

  • 警察不祥事
  • 日本弁護士連合会が支援する再審事件
  • 紅林麻雄 - 直接的に当該事件には関係はないが、島田事件の捜査に関与するなど静岡県警が多くの冤罪事件をもたらす捜査手法を生む影響を与えたとされる
  • 松本久次郎
  • ルービン・カーター事件 - 「袴田事件」と同年にアメリカで発生した、元プロボクサーを巻き込んだ冤罪事件。
  • 清水局事件 - 同市で起こった別の冤罪事件。
  • 島田事件 - 同じ静岡県内で発生した死刑冤罪事件。死刑が確定した男性は逮捕から35年間にわたって収監された後、1989年に再審で無罪判決を宣告されて釈放された。
  • 御殿場事件 - 同じ静岡県内で発生した冤罪の可能性がある事件。有罪判決が確定した元被告人4人は既に刑期を終えて出所している。
  • 日本国民救援会
  • 熊本典道 - 一審の死刑判決に関わった陪席裁判官。のちに、冤罪の印象を強く持ったと告白。
  • 白鳥事件 - 上告審で裁判長・岸上康夫により示された「白鳥決定」(「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審制度においても適用される、という判断)が本件でも適用された。
  • 市民的及び政治的権利に関する国際規約

外部リンク

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